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「おい、付き合え」


いつも以上に難しそうな顔をした宍戸先輩は、自分のデスクで仕事をしていた私の所へ来て、そう一言だけ言って去って行ってしまった。
直属にあたるだけに、それが仕事終わりに飲みに付き合えという合図であることがわかった。と言っても、宍戸先輩はあまり飲みに行くことがない。愛犬の散歩があるとか、後輩のテニスの指導があるとか、なんとかかんとか。だから、彼がこうやって飲み(もしくは食事)に誘う時は、大事な仕事について話があるからだとか、仕事がひと段落した時のお疲れ様会か、そういう時くらいしかないのである。でも、ここ最近は大事だと思える仕事もなかったし、何か案件がひと区切りついたわけでもない。だから、さっきの言葉に戸惑ったのは言うまでもなかったわけだが、それでもすぐに去ってしまった宍戸先輩に聞き返すほどの余裕はなかったのである。
椅子にかけてあったコートと、机の上に無造作においていた鞄を取り、急いで彼のあとを追う。でも、入り口近くで、彼は私が出てくるのを待っていてくれたようだった。こういう時の優しさについつい、ぐっと来ちゃうけれど、宍戸先輩は運動部だったらしいし、面倒見のよさはきっとここから来てるんだろうな、とか、考えて自分を落ち着かせた。


宍戸先輩に似合う人は、さばさばとした完璧パーペキパーフェクトな子なんだろうな。
こういう場で、向かい合って飲みながら、話していると、つくづくそう思う。
私はどちらかというとネガティブな方だし、優柔不断で、言動にも自信がない。宍戸先輩はそんな私をいつも励ましてくれていた。
人間誰だってそんなもんだ。
そうなのだろうか。少なくとも彼はそんな感じは一つもない人だから。


「……」
『……』


だから、こんな沈黙が続くのは、どうしても腑に落ちなかったし、先ほどからソワソワと落ち着かない様子の宍戸先輩に違和感しか覚えなかった。
どうしたんだろう。宍戸先輩らしくない。
それに、なんだかいつもの居酒屋じゃないし。なんかおしゃれなお店だし。
私にも伝染して、ソワソワとしてきてしまった。少し俯き気味な宍戸先輩に、私はお手洗いにと言って席を立った。
ああ、なんだか、どうしちゃったんだろう。先輩も、私も。
妙な緊張感が続いて、その緊張に負けて、私は行きたくもないのにお手洗いにとか言ってしまった。そういえば二人っきりなのは初めてかもしれない。なんだかんだ言っていつも私と先輩の他に誰かいた。なのに今日は私と先輩だけ。緊張感はそのせいかもしれない。
そうか、だからか。
私はなんだかおかしくなって、すっと体の力が抜けた。顔の筋肉もほどけて、自然な笑みができるようになったのを確かめて、私は再びテーブルへと戻った。


『宍戸先輩、何にしましょうか』
「え、あ、あー」
『ワイン飲みますか?』


口を真一文字に結んだままコクコクと頷くので、私は、給仕さんを呼んで、適当に選んだものを告げた。やけににこやかに対応してくれる給仕さんに疑問を浮かべつつ、私は宍戸先輩に向き直った。顔が真っ赤になっていて、ネクタイを少し緩めた宍戸先輩は、未だソワソワとして落ち着きがない。
誘ったのは宍戸先輩なのに。
こっそり笑っていると、先ほどの給仕さんがワインを持って、私たちのテーブルへと近づいてくる。給仕さんと再びぱちりと目があって、それはそれは満面の笑みで、私たち二人のグラスにワインを注ぎ始めた。
なんなんだろう、さっきから。
そう思った時だった。
カラン。
注ぎ終わったグラスから、聞きなれない小さな音が聞こえて、私は目を向けた。私のグラスの中には、何故か指輪が入っていて、きらきらと光っている。不思議に思って、給仕さんを見ると、彼は私に笑いかけ、そして、つと、その人の方向を見た。つられて自分もその方向を見ると、顔を真っ赤にしたままの宍戸先輩が私をじっと見つめていた。


「……こんなキザっぽいことしたくなかったんだけどよ」
『え……』
「お前全然気づかないんだもんな」
『宍戸先輩?』


真剣な眼差しで宍戸先輩は私を見つめていた。指輪の入ったグラスにちらりと目線を送って、これは俺の気持ちだ、なんて。


「……受け取ってくれるか……てん」


なんだ、そうだったんだ。この緊張感も、ぎこちなさも、給仕さんの笑顔も。
全部全部最初っから仕組まれていて、私はまんまとその罠にひっかかってしまったんだ。
ああ、おかしい。そうか、そうだったんだ。


『そんなの』
「……」
『断れるわけないじゃないですか』


安堵のため息なのか、宍戸先輩は大きなため息を吐いて、それがなんだかおかしくて、私は涙がとまらなくなってしまった。
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