財前のチキン南蛮


「いらっしゃいませ、おひとりですか」


近所のこじんまりとした居酒屋でアルバイトをしている俺は、引き戸を開けた客に、テンプレートな挨拶をした。
その客はすでに出来上がっているようで、足元はおぼつかないし、ろれつもまわっていない。
ようやく聞き取れた、『ひとりですけど』という半ギレの言葉に、さっさと帰れやなんて思いながら、カウンター席の一番端っこを案内した。


『お兄さん生一つ』

「てんちゃんえらい出来上がってるやん」

『大将!聞いてよ』


ああ、大将の知り合いか。
会わないだけで常連なのだろう。
てんと呼ばれたその客は、ハゲたおっさん大将相手に、恋愛相談なんてしている。マシンガントークを水道の音でかき消して、皿洗いをこなすが、きゅっと水道の栓を閉める頃になってもその話は終わっていなかった。
よう飽きもせずそない話せるもんやなあ。
大将も大将でそんなにこにこ頷いて聞けるもんやわ。


『はー!ありがとう大将!すっきりした!すっきりしたらお腹すいた!』

「てんちゃんらしいなあ……今日は何にする?」

『んー……あれ?大将、チキン南蛮なんてメニューにあったっけ?』

「あーそれな、そこのバイトがおる時だけ出しとるんやで」

『大将じゃなくて、お兄さんが作るの?』

「はぁ、まあ……」


突然向けられた会話の矛先に、めんど、なんて思いながら答える。
ふうん、と品定めでもするように見られた後、じゃあそれひとつなんて言うもんだから、やっぱりめんどいやつや、なんて思いながら俺は小さくため息をついた。
厨房に入って、冷蔵庫から鶏肉を出す。必要な調味料をいくつか揃え、片栗粉をまぶし卵にくぐらせた鶏肉を油の中に入れる。揚げた鶏肉を、温めた南蛮酢にしばらくつけ、皿に盛り付けて、鶏肉の上に開店前に仕込んでおいた、タルタルソースをのっけて、てんサンの前に出す。
以前バイトさせてもらった他の居酒屋で習ったものだ。
まかないとしてここで作っていたら、大将が目をつけて、いつの間にか俺がおる時だけの限定メニューになっていた。
ほんまこのおっさんめざとい。
てんサンは、皿の上のチキン南蛮をじっと見たあと、そっと口の中にいれた。


「てんちゃん、どない?」

『……』


黙ったまま、そっと箸を置く。
お気に召さんかったんやろか。
ここで初めてひやひやとして、てんサンを見つめる。
クレームやなんてほんま勘弁。
次の瞬間、カウンター越しから急に手が伸びて来て、俺の顔を挟むと、いつの間にかすごく近いところで、きらきらと輝くてんサンの目が二つ。


『てっげなおいしい!』


その言葉と共に離れていった二つの目は、もうすでにチキン南蛮のもの。
あっという間にたいらげた#anme2#サンは満足げに笑って、


『キミに会えてよかった』


なんて、恥ずかし気もなく言い放って帰って行った。


「大将」

「うん?」

「なんやったんすかね、あれ」

「そのまんまの意味やろ」


大将までそんな恥ずかし気もなく。
でも不思議と悪い気持ちにはなれなくて。
上気した頬を、厨房の暑さのせいにして、引き戸を開けた新たなお客さんに、少しだけ心のこもった挨拶をした。


財前光/宮崎



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