侑士兄ちゃんと俺
うちの兄ちゃんはいわば天才なんだと思う。
大阪から引っ越してきて、氷帝学園なんていう超お金持ち学校に通っていて、そんなに目立つ方じゃないが、俺が見ている限り、いつだってなんでもひょうひょうとこなしてしまう兄だ。
「勉強、したんか」
『しとらん』
「せんでどうすんねん」
『せんでも生きていけるやろ』
「またそないな事言って」
『兄ちゃんには関係ないやろ』
「……勝手にせえ」
最近、兄ちゃんが勉強に口うるさくなった。
なんでかはなんとなく分かる。
ただの押しつけだ。自分ができひんかったからって、俺に押し付ける。
兄ちゃんみたくなってほしくないって言えば、そりゃ聞こえはいいかもしいひんけど、俺は兄ちゃんと違って、何もできない。
ただの平凡な人間だ。
『なぁ、謙也くん。兄ちゃんがうるさい』
「なんや、またてんか」
『謙也くん、兄ちゃんをどうにかして』
「そうは言ってもやなぁ……」
『俺見るたびに勉強勉強言うねん。ほんまうざい』
そりゃどうも。
後ろから聞こえた声に、またか。と思った。
兄ちゃんがおらん間に、携帯借りて謙也くんに電話するのはいいが、いつも数分足らずで嗅ぎつけてくる。
ほんまうざい。ほんまにうざい。
「謙也なんかと話しとらんで、はよ勉強せえ」
ほらな。出たで。また勉強。
謙也なんかとはなんや。そんな声が携帯から聞こえる。
せや。大事な話しとったんや。なんでそこに兄ちゃんが出てくんねん。
取上げられそうになった携帯を、奪い返して、そのまま兄ちゃんに向かって投げつけた。なのに、なんなく受け止められた携帯が、俺を抉ってくる。
「何すんねん」
『何すんねんちゃうわ!兄ちゃんがあかんからや!』
「はぁ?」
兄ちゃんは天才やと思う。
いつも、いろんなことをなんなくこなしてみせる。
自分に自信だって持っている。ちゃんと自分を持っている。
俺と全く違う、正反対の兄ちゃんが、いつだってうらやましかった。いつだって尊敬してた。いや今でも尊敬してる。
俺も兄ちゃんみたいになれればよかったのに、なんてずっと思ってきた。俺だって、なんでもかんでもこなして、皆にすごいねって言ってもらいたかった。
せやのに。
今の兄ちゃんはなんやねん。
『うじうじうじうじ、何悩んでんねん!』
「俺は何も悩んでなんか」
『嘘ばっかや!そんなん兄ちゃんやないやろ!いつもの、兄ちゃんやない……』
「……なんで……なんでお前が泣いてんねん……」
いつの間にかぼろぼろと涙が出て来て、鼻水もぐじゅぐじゅで、兄ちゃんはそんな俺にタオルをくれた。
兄ちゃんがこないなってしまったのは何となく分かる。
テニスの団体戦で負けてしまったからや。あれからなんや兄ちゃん変になって、なんかどっか違うところ見てる。多分後悔っちゅーやつや。
兄ちゃんはあんなんやけど、きっと、めっちゃ悔しかったと思う。でも悔しい時に、悔しいって言えへんから、俺に押し付けた。
俺は、押し付けるのが嫌やったんやなくて、ずっとうじうじしとる兄ちゃんを見るのが嫌やった。
ぼんやりとした視界で兄ちゃんを見上げると、兄ちゃんは携帯を耳にあてた。
「なぁ、謙也」
「何やねん侑士」
「俺今めっちゃ幸せやわ」
「……そうか」
「もう悩むんやめにする」
「その方がええ」
「せやな」
兄ちゃんは電話を切って、俺を見て、なんて顔してんねんと言いながら笑った。
俺が今どないな顔しとるかなんてわからんけど、すっきりした顔をした兄ちゃんは、俺が知ってるいつもの兄ちゃんだった気がする。
『さっさとテニスしてこいバカお兄』
「はいはい」
ほな、行ってくるわ。
そう言って玄関を出た兄ちゃんの背中は、なんだか軽く見えた。