真田と不良更生日記
ほらあいつだよ。
ああ、例の事件の?
そうそう、殴り込みしたんだろ?
確か、一校潰したんだっけ?
全校生徒病院送りじゃなかったか?
うわ、見ろよあの目。目あったらぜってー殺されるって。
誰が殺すかよ。
舌打ちをすると、さっきの男子二人組はそそくさと逃げていく。殺る気も、直接言う気も無いくせに、こそこそ適当なこと言ってんじゃねえっつの。
あーあ。だっりーなぁ。ふけるか。
靴箱へと向かう階段で、仁王とすれ違いざまに目があったが、なんだか笑われてる気がして気味が悪かった。
しんとした昇降口で、うわばきを投げ入れて、かかとをつぶしながら靴をはく。女っ気のない靴箱は、やはり昔に比べると汚く感じる。
太陽で反射した地面に一歩踏み出せば、そこは灼熱の地獄で、足が一歩後ろに下がったが、さっきの仁王の顔が思い浮かんで来て、ため息をついた。
「帰るのか」
ああ、帰る。ここにいたってつまんねーだけだし。息つまるだけだし。夏休みに学校に出てくる義理だってないし。それに俺がいる方が他のやつにも迷惑になる……だろ……って、は?
「帰るとはたるんどる」
『げ、弦一……真田なんでお前こんなところに』
「てんお前こそ」
『お前校舎あっちだろ!?なんでこんなところにいんだよ、さっさと帰れよ!』
「仁王から連絡があった。てんが学校を抜け出そうとしているとな」
『仁王、あいつ余計なことを……』
あーくそ、さっさと帰ればよかった。仁王のことだ、あいつがこいつに連絡したに違いない。俺が補習をさぼろうとしている、とでも言えば、真田は吹っ飛んでくるだろう。仁王と会った時点でそのくらい予想しとけばよかった。
「それよりこの傷はなんだ」
『別に』
「……喧嘩か」
『るっせえな』
「どうしてすぐ喧嘩などする」
『知らねーよ。向こうが目合っただけで勝手にふっかけてくんだよ』
「お前の目つきの悪さは生まれつきだろう」
『そんなこと知ってんのお前ぐら……いやなんでもねーわ、帰る』
あついあつい。
ただでさえ暑いのにこのまま真田と話し続けていたらとけてしまう。校門をまたごうとすれば、首根っこを掴まれて何故かまた体が学校へと向いていた。
『おい、何すんだよ』
「サボるなど許さん」
『だから真田には関係ねーだろ』
「そういう訳にはいかない。直々に頼まれたことを俺は無視することなんてできない」
『はぁ?』
「お前を更生する」
『お前何言って』
「聞こえなかったか?梓月てん、お前を更生する」
こいつはいきなり何を言いだすんだ。俺を更生する?意味わっかんねえ。
俺はこんなこと頼んじゃいないし、頼むつもりもない。俺がどう生きていこうが、こいつには関係ないのに。
「さぁ、行くぞ」
『え、ちょっ、弦一郎!どこにっうわあああ』
ずるずると引っ張って行かれてついた先は、何故か立海大付属高校のテニスコート。
同じ立海大付属とはいえ、自分が通う工業高校とはまた違った雰囲気に包まれるそこで、俺を待っていたのは、何故かテニス部の面々だった。
「来たみたいだね」
相変わらず綺麗な顔をした幸村が、俺をじっと見つめて、そして笑った。
何笑ってんだよ、と吐き出そうとすれば、幸村の傍に立っていた切原(?)が睨み付けてきやがったので飲みこんだ。何故か満足気味な顔をした真田。柳に丸井にジャッカル、柳生に仁王。
『って、おい!なんでお前までいんだよ!』
「ピヨ」
「さぁ、始めようか」
どこにそんな力があるのかわからない。
今度は幸村に首根っこを掴まれて、コート内に引きずり出され、柳生に差し出されたラケットを受け取ってしまえば、ジャッカルにより高らかに宣言されるプレイ開始のコール。目の前にはラケットを構える真田の姿。木陰で涼む丸井、そして仁王と目が合うと、再び気味の悪い笑みを向けられた。
人生の終わりを予感した。
『もう……無理……』
「ぬるい!ぬるいわ!もうワンセット行くぞ!」
『いやだからもう無理だって』
案の定ラブゲームで、ばてばてになって倒れ込む。焼け焦げるようなコートの熱さはまるで真田みたいだ。
あーあ。なんか馬鹿みてえ。
昔のことなんて思い出したくないなんて、思って、弦一郎やテニス部の連中から離れることができる工業に進んだけど、結局何一つ弦一郎やあいつらは変わっちゃいない。もう3年ぶりと言ってもいいのに。
俺のことを殺人犯でも見るような奴らとは違う。昔と全く変わらない気持ちで、俺と接してくれている。何もなかったように。
テニスだって変わらない。辞めて6年経った今でも、俺は昔のようにラケットを振ったし、威力とかは変わったものの、弦一郎のプレイスタイルだって変わらない。受け入れてくれる場所がありながら、つっぱねてきた自分がおかしくて笑えてくる。
「なんだテニスやってたっつーからどんなつえーヤツかと思えば大したことないじゃないっすか」
「こら赤也、しょうがないだろう。梓月には6年のブランクがあるんだ」
「こう見えてもなかなか強いぞ、てんは」
「関係ねーっすよ」
『切原だっけ』
「あ?」
『ぶっ飛ばす』
「上等じゃん!潰してやるよ」
「赤也ほどほどにしとけよー」
『丸井、てめえも余計なこと言ってんじゃねえよ。お前負かす』
「言ってくれんじゃん?俺の天才的妙技うけてみろい」
「じゃあ、その次俺もやるぜよ」
『仁王てめえだけは許さねえ!ぼっこぼこにしてやる!』
「梓月くん、テニスは人を傷つけるものではありませんよ」
『んなもんわかってんだよ柳生!お前も負かす!』
「ちょ、おい、喧嘩すんなよ」
『喧嘩じゃねーし!果たし状叩きつけてんだよ!』
「だからそれが喧嘩なんじゃねえか!」
『うっせえ!ジャッカルお前も負かしてやる!』
と、大見得切って言ったものの、当然現役テニス部になんて勝てるわけがない。
テニス部レギュラー全員と戦って、力尽きてコートに倒れると、どこからともなく涼しい風が吹いてきた。
おいおい、もう日が暮れかけてるじゃねえかよ。
目をつぶって、ゆっくり呼吸を整えると、弦一郎が俺の名前を呼んだ。うっすらと目をあければ、差し出された手があって、俺はその手にしがみついた。
『……お前ら、化け物かよ』
「まぁ……あながち間違いではないかもな」
『あーあくっそだっせえ。ホント、俺だせえ』
ぶわっと目からあふれ出る涙を弦一郎に見せないように俯いたけれど、遅かったみたいだ。弦一郎の手が、俺の背中を軽く叩いた。
「ずっと気にしていた」
『……弦一郎』
「いや、俺じゃない」
『え?』
「あの大会の日、お前に黙ってドイツへ行ってしまったことを、ずっと後悔していた」
『……あいつが?』
「だから、頼まれた。てんが前に進めるよう、助けてやってくれ、と」
『なっ……んだよそれ……』
「てん、あいつはいつだってお前の心配をしている」
『……どいつもこいつも余計なお世話なんだよ……っ』
「てん……」
『なぁ、弦一郎……一つだけ聞いていいか?』
「なんだ」
『あいつはなんでドイツに行ったんだ?』
「それは」
なんとなく気づいていたんだ。
あいつがドイツに行った理由。シングルスの初戦、戦えることを楽しみにしていた友人が、突然俺の目の前からいなくなった理由。
それは、痛めてしまった肩を治療するためだったのだということを。俺は、あいつが、テニスコートの中で肩をおさえて蹲っているのを見ていた。
だから、なんとなく気づいていた。
でも、あいつは何も言ってくれなかった。一言だけでも、言ってくれればよかったのに。何も言わずに、楽しみにしていた試合と俺を置いて、どこかに消えてしまった。
それを、めんどくさい思春期の俺は、裏切りととってしまったのだ。
本当にだせえ。
『なぁ、弦一郎』
「なんだ」
『不良って結構疲れるんだぜ』
「辞めて真面目になればいいだけだろう」
『そうしたいけど、向こうが勝手にやってくんだって。目つきの悪さは元々だっつうの』
「……喧嘩はほどほどにな」
『って、ふっかけてくる方に言ってくれよ』
「善処しよう」
『善処してくれんのかよ!はあ、やっぱおもしれえわ。お前も、テニス部も』
「むう」
『……変わらないんだな』
弦一郎を見上げて、コートを片付けるテニス部の連中を見渡す。昔と変わらない光景が、そこにはあった。
「俺達は変わらない。お前もだろう?」
立ち上がらせてくれた弦一郎は、俺の目を見て笑う。
そう。俺だって。
「変わっちゃいねーよ」
なんだか、少し、前に進めた気がする。