柳流くっきんぐ!
『みなさま、こんにちは!
計算(レシピ)通りで気になる彼のハートをつかむ確率……100%!柳流くっきんぐのお時間です!
さて、今日のリクエストを紹介します……えーと何々?“大好きな彼にプロポーズされるような素敵な和食を教えてください”なるほど、きっとこの彼は和食が好きなようです。和食は難しいイメージですが、でも大丈夫!柳先生のお手にかかれば、彼はもうメロメロな確率100%ですよ!それでは柳先生を呼んでみましょう!柳せんせーい?』
「よく回る口だな」
呆れた顔で私を見上げた柳先生もとい柳先輩は、小さくため息を吐いた。聞こえてますよ、先輩。そう言えば、聞かせてるんだと言われた。
『調子に乗りましたすみませんでした』
「毎日毎日俺の元に現れて、料理を教えてくださいと言うが、頼む人間を間違えているんじゃないか?」
『ブンちゃん先輩に頼むと洋食とかお菓子ばっかなんですもん』
「……まぁいい」
先輩は机の横にかけられた鞄から、すっと何かを取り出して、教室を出た。私はしばらくその背中をぼけーっと見ていたが、一瞬振り返って私を見た先輩に、喜んで後を追った。
やっぱり先輩は優しい。
「で、今日はどうする」
家庭科室につくと、ブンちゃん先輩がちょうどお菓子でも作った後なのか、ふんわりと甘い香りが漂っていた。目をつぶって、すんっと鼻を鳴らすと、先輩が笑った。
「豚の生姜焼きにでもしようか」
『あ、先輩それ私を見て決めましたね?』
「何を言っているのかわからないな、俺は単純に生姜焼きが食べたかっただけだ」
ぶすくれていると、柳先輩は教室から持ってきた割烹着をもう着ていて、私も急いでエプロンをつけた。肉を取って来てくれと言う先輩に従って、冷蔵庫を開ければ、目の前にしっかりと用意されていた豚肉。私はそれを持ち出し、柳先輩の元へ持っていく。二つ並べられたまな板に、それぞれ置いて、先輩の指示通りに、見よう見まねで包丁で余分な脂を除いていく。
「ねこの手」
私の左手に添えられた柳先輩の手に気付いて、私は慌てて左手を猫の手に戻す。
びっくりした。心臓どきどき。
今包丁で指切ったら、間違いなく出血多量で死んじゃうくらい、ばくばくと心臓から血液が流れていく。ぼわっと熱くなった顔に気付かれないように、次はどうするんですか、と言おうとしたが、声が掠れていてますます怪しかった。
「醤油、日本酒、生姜汁を合わせて数分ほど豚肉をつける」
『な、なるほど』
「みりんや蜂蜜などで甘味をつける時もあるが……あまり味が濃くても体に悪いだけだからな」
言われた通りにきっちりと調味料をはかって混ぜ合わせる。こういう細かいところも先輩は厳しいから慎重だ。どうですか、と聞こうとした言葉は飲みこまれて、近くにある先輩の顔にびっくりした。なんでそんな顔近いんですか先輩。
すっと伸びてきた小指はすらりと長く、そのままタレのついた指が私の口の中に滑り込んできた。
「どうだ?」
『いいいいいいんじゃないですかね!?』
「そうか」
先輩はなんとも思ってないのかなんなのか、いつもと変わらない顔で、少し小指から垂れたタレを今度は自分の口元へと運ぶ。満足げに笑った先輩の顔なんて直視できるものか。
それって間接きっすって言うんですよ先輩。
「さぁ、フライパンで焼くぞ」
返事をする気力もないままに、私はフライパンに先ほどの豚肉を乗せる。じゅうじゅうと焼ける音と、香ばしい匂いが広がって、私はまた鼻で空気を吸うが、やはりじっと見ていた先輩に笑われてしまった。
やっぱり先輩の前だと調子くるっちゃうなぁ。
「だいぶ焼けて来たな」
『はい』
「ここで砂糖を加える」
『最初のタレの段階じゃだめなんですか?』
「どうも焦げやすくなるようだ」
へえ。ホント先輩知ってるなぁ。和食好きそうだし、和食作ってそうだから声かけてみたけど、やっぱり正解だったみたい。
っていうのは本当は建前なんだけれど。
「キャベツの千切りを添えよう」
『はい』
先輩とは違って大きさもまばらなキャベツを千切りと言い張って真っ白なお皿に盛りつける。
できた!豚肉の生姜焼き!
先輩を見上げると、口角が少し上がった。よし、いただくとしよう。そういった柳先輩は既に椅子に座っていて、私は先輩の目の前に柳先輩が作った生姜焼きを置くと、不思議そうな顔をした。
「お前はいつもどうして自分が作ったものを置こうとする」
『え、だって、私のおいしくないかもしれないじゃないですか……』
「この柳蓮二が教えてやっているのにか?」
『うっ』
「今までおいしくなかったことがあるか?」
『それはだって先輩がいつも私が作ったもの食べるからわからないです……』
「充分おいしいと言っている」
いただきます、と手を合わせて、あっと言う間もなく、先輩の口の中に私が作った生姜焼きが放り込まれる。咀嚼して、喉に下るまで、私はじっと先輩を見ていたが、それに気づいた先輩は、ちょっと笑って私にも生姜焼きを勧めた。
おいしかったのかな、ってもんもんとしながら柳先輩が作った生姜焼きを口に運べば、なんだか涙が出そうになるくらいあったかくておいしかった。おいしい、なんて面白くもない感想がこぼれ出たら、柳先輩は当然だという顔をしながらもくもくと食べている。食べるのがもったいないくらい、でもおいしすぎて食べてしまいたい。そんな感じ。
あっと言う間に空になった皿を見て残念に思いながらも、先輩と一緒に手を合わせてごちそうさま。
「今日も上出来だった」
『あ、ありがとうございます』
「しかしそれはそうと、何故和食なんだ?」
『え』
毎度聞かれる質問ではあるが、どうやら今日は見のがしてくれないらしい。なんとなーく話を逸らしていたけれど、もう限界なのか。いろいろと頭の中で言い訳を考えてみるが、何も思いつかない。
「俺のデータによると、梓月、お前は昔から家庭科の成績はいいみたいだが」
『えええええっと』
「丸井の話で、お前のことを聞いたことがある」
『ブンちゃん先輩が!?』
「料理が上手な後輩がいるという話だ」
『ブンちゃん先輩め……』
「それを前提として聞く、何故俺に和食を教わる」
『それは』
言ってしまってもいいのだろうか。
和食が好きで、作れそうな柳先輩に教わりたかったなんてものは、確かに建前だ。瞼は閉じられているから、先輩が何を考えているのかなんてわからないけれど、言ってしまったら、この楽しい時間が奪われてしまいそうで怖くて。
「大丈夫だ、言ってみろ」
泣きそうになりながら、先輩の生姜焼きの味を思い出しながら、私の頭を撫でる先輩の手を取った。
『先輩が好きだから……』
「だから?」
『だから、先輩の好きなものを、こうやって調査して、うまく作れるようになって、それで、先輩の胃袋を、掴もうと……思って……』
ゆっくり吐き出していく気持ちを先輩に言うたびに、先輩の顔は少しずつ柔らかくなっていって、なんだか恥ずかしくなって逃げ出したいのに、私が掴んでいた手は逆に先輩の手にとられてしまった。
「もう、とっくに掴まれている」
それはもう見たことのない顔で先輩が笑うものだから、とても幸せすぎて、もうどうしたらいいのかわからなかった。