あの人は私にとってなんでもないの。


たった今しがた聞いた言葉が幾重にも連なって、自分の目の前をぐるぐるとまわっている。
一つ先の角を右に曲がったところで、彼女はそう言った。
少しふらふらとした足取りは、彼女の本音を誘ういい薬になったのかもしれない。行きつけの居酒屋から知っている男と二人で出て来て、ぽろりとこぼれたその言葉は、どう考えても本音にしか聞こえないほどに、彼と彼女の距離は近かった。


「せやったんか」


白い息がネオンで光る空気の中、浮かんでは消えていく。
所詮、俺もこの吐き出された息と同じくらい些細なもんやったんやな、なんて。



「おかえり」


彼女を迎える声は、ひどく冷静で、おもしろいほどにいつも通りだった。
寒さのせいなのかお酒のせいなのかなんなのか、頬を赤く染めた彼女は、俺にコートをわたす。代わりに水の入ったコップを渡せば、彼女はありがとうと微笑んだ。
好きやのにな。
そう思った。こんなにも好きやのに、ぐるぐると目の前で言葉がまわる。
コートをハンガーにかけて、クローゼットに仕舞い込むと、俺は彼女にもう寝ることを伝えた。そっか、と少しそっけなくも感じる言葉に背を向けると、彼女の携帯が鳴った。もちろん彼女はその電話に出た。戸惑いすらも無い。隠そうともしない。こんな時間に帰宅した時間を見計らったように電話するやつなんて、さっきのあの男くらいしかおらんやろうに。


「自分、浮気してるん」


電話をしてるなんておかまいなしにそう呟いた。彼女を振り返ると、携帯を耳に当てたまま、目を見開いた。


『何言ってるの……白石、さっき一緒に飲んでた友達だよ』

「……」

『女子同士なんだから、浮気も何も、ね?』


そんならええけど。もう寝るわ。おやすみ。
寝室のドアを閉めるその瞬間までも、彼女は携帯を耳から離すことはなかった。少しだけ逸らした視線が、まるで肯定しているように見えたのは、俺の気のせいなのだろうか。



title by R34 「アイアバージョン」



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