factitious dolce
やっと、ようやっと手に入る。
そう思ったときには、すでに俺の口から笑い声が漏れ出ていた。
ずっと待ち望んでいた展開に。少しずつ少しずつじわじわと陥れていったこの状況に。何もかも捨ててしまってでも手に入れたかったその機会に。
俺を嫌っとるやつがおった。
それは同じクラスの梓月。
できるだけ視界に俺を入れないように徹底しており、万が一でも彼女の世界に入りこむと、あからさまな嫌悪をその顔や態度に表した。
なんやこいつ。
そう不快に思うと同時に、なんとしてでもまいったと言わせてやりたい……加虐心とでもいうのか、そういうものがふつふつと湧きあがるのがわかった。だからと言って、彼女を直接いたぶってやろうなんてことは考えなかった。白くて柔らかい肌に傷をつけるなんてことはできるだけしたくなかったし、肉体的に結ばれたとしても、心が落ちなければ意味がない、と思ったからだ。
精神的に彼女と結ばれなければ。
俺は少しずつ彼女の逃げ場所をなくすことにした。俺以外の逃げ道を。一つ一つ。
梓月と俺が付き合っている、なんていうありもしない噂を流せばあっという間に広がった。そのソースが俺だと知った時、みんなは本当のことなんだと信じた。否定も肯定もしない梓月はただじっとその騒動が収まるのを待っていたが、その行動すら信憑性が増すという結果にしかならなかった。人の噂も75日。だが、少しずつ変化を与えた噂は常に梓月に付きまとった。
ああ、もう少しや、あともう少し。
男子の好奇の目、女子の陰湿ないじめ、親にも先生にもそんなはずはないと簡単にあしらわれて話せない状況。じわじわと梓月を締めつけて、気づいたころにはきっともう誰もいない。俺以外に誰も。そして、もうすぐ、我慢ならなくなった梓月はきっと負けを認めるのだ。
ああ、泣きながら許しを請う梓月のなんと扇情的なことか!
夕日が入り込んで真っ赤に染まる教室に、俺は立っていた。片隅でうずくまる人影を見て、口角があがる。
俺はこの時を待っていたのだ。
着々と作り上げられた二人だけの世界は、甘美で、うっとりとしてしまいそうだった。静かな教室に、どちらとも分からない少し荒い息だけが響く。
「そろそろ観念したらどうや」
今日も俺の考えとった以上の女子による陰惨ないじめで、ボロボロなのだろう。口の端に少し血が滲んでいる。拭ってやれば、思いっきり手を跳ね除けられた。
へえ、まだそないな態度とれるんか。
『どういうつもり』
「別にどうってことはあらへん」
色を失わない瞳に睨み上げられると、なんだかぞくぞくする。はよその瞳を俺で汚してやりたい。俺だけをうつせばいい。
「かわいそうやな」
『誰のせいだと思ってんの』
「本当に俺のもんになればお前を守れるんやで」
『……ふざけないで』
「噂を本当にしてしまえば、俺が梓月を守る理由もできるやろ」
『……』
「ええ提案やろ?お前にとっても俺にとっても……なぁ?」
一瞬だけ揺らいだ瞳を見逃すはずがなかった。この状況から逃げ出したいと思う気持ちと、負けを認めたくない気持ちと。
あともう少し。
梓月の頬に手を伸ばして何度も撫で上げる。先ほどみたいにふり払われる事もなく、なされるまま、梓月は涙を流した。
あと少しや。
俺はできるだけ優しい、甘ったるい声で、梓月にささやく。
「おいで」
それが合図になったのか、目を伏せた梓月は俺の胸に倒れ込んだ。
ああ、やっと。ようやっと。
by 「毒の華」