なにもしらない


あの後、やっぱりジローくんは教室に来なかった。
先ほどまでの快晴が嘘だったみたいに大きな雨粒がいくつも地面をはねている。
待ちこがれていた雨だ。あの大きな青い傘が頭に浮かんでは消えていく。
暗号のような数式は一個も頭に入り込んではくれない。それなのにジローくんのことで頭はいっぱいいっぱいになっていって。
とまんないなぁ。
自分の中の何かが動き出してしまった。気づいた時にはもう遅くって、もうとめられない。胸が疼いて痛い。勝手にだんだんジローくんの存在が大きくなっていく。
ほんのちょっと前まで、気になる程度だった。でもその気持ちの中にひっそりと隠れてた「好き」が、姿をあらわしてしまった。見つかっちゃった、なんて、嬉しそうに苦しそうに笑ってる。見つからなければよかったのに。一生出てこなければよかったのに。それなのにあっさりと見つかっちゃったそれはもう隠すこともできない。
あー苦しいなぁ、苦しすぎて息ができない。
なんか遠くで私の名前を呼ぶ声がする。ジローくんならいいのに。


目を覚ましたら、天井がぼんやりとうつった。ここどこだろう。
体を起こそうとしたらガンガンと頭が痛くなって、ぽふりとまた頭を枕にもどした。ちょっとかたいベッドにふわっと軽い白いかけ布団。まわりも白くて、多分ここは保健室なんだろう。でもどうして、保健室に?


「あら、気が付いた?」
『先生?』


保健室の先生が白いカーテンの向こうから顔を出してにっこりと笑った。
軽い熱中症で授業中倒れたのよ、と言って私にコップに入った水を渡してきた。乾いていた喉に通るそれはひんやりとしておいしい。


「橘さん気が付いたみたいよ、芥川くん」
『えっ』
「まじまじ!?よかったぁ」
『ジローくんなんでここに』
「さぼたーじゅ」


先生の話によるとどうやらジローくんはこの保健室にいつもいるらしい。
そうだったんだ。初めて知った。
秘密ね、といたずらっぽく笑ったジローくんに少しくらりとした。
秘密、か。ジローくんと二人だけの秘密。なんだかドキドキする。
ジローくんと会うたびに私には秘密が増えるなぁ。そんなことを思いながら窓の外を見る。


「雨、すごいね」
『そうだね、さっきはあんなに晴れてたのに』
「にこちゃんが倒れるぐらいに、ね」


そう言って笑ったジローくんは、帰るなら送ってくと言う。
保健室の先生にも勧められて、友人が持ってきてくれたらしい鞄を手に取って私とジローくんは一緒に保健室を出た。
ジローくんの手にはあの大きな青い傘が握られていて、なんだか懐かしい気持ちになった。
久しぶりのジローくんの傘の中。
いけないと思う心より、嬉しさの方が勝って、舞い上がってしまったんだと思う。
だから、私は言ってはいけないことを言ってしまったんだ。
傘の中二人。
ずっとこの幸せな時間が続けばいいと思った。あたたかい手に触れていたいと思った。
でも、この息苦しさをどうにかしたかった。だから、ずっと胸の奥に閉じ込めていたことをつい、聞いてしまったんだ。


『ジローくん』
「んー?」
『ジローくんはまだ、元カノさんのことが好きなの……?』
「にこちゃん、何を」
『雨の日になると思い出すって噂、本当なの?』
「にこちゃん」
『今も、会っているの?』
「うるさい!」


いきなり大きな声を出したジローくんは私の制服の襟をつかんだ。その拍子に傘は地面に落ちて、冷たい雨が私とジローくんを濡らす。


「何も……何も知らないくせに……!」


びっくりして、動けなくて、ただジローくんのゆらゆらと揺らぐ瞳を見つめるだけしかできなくて。かすれた声でごめんなさいが口から出た時、少しはっとした後ふいに泣きそうな顔になったジローくんは、ごめん、と一言つぶやいて、どこかへ走り去っていく。
私は何も考えられないままあの青い傘を拾って、ジローくんを追いかけなきゃ、その一心で、ただただジローくんの後姿を追いかけた。
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -