犬と桜

初めての出陣後、手入れ部屋が空くのを待つ五月雨江は、縁側でひとり座っていた。
彼のまわりでは、はらはらと桜の花びらが舞い、それはやがて足元に落ちていき、水溜まりのようになっている。
五月雨江は、どうやらそれをぼんやりと眺めているようだった。


『五月雨江、どうしたの』
「頭」


私を見上げるその顔は上気していて、初陣にまだ興奮醒めやらないといった感じだったが、ただ少しだけ困惑を匂わせていた。


「先ほどからこれがおさまらないのです」
『ああ……』
「これはなんなのでしょうか」
『これは花びらだよ』
「花弁……何の花なのですか」
『桜だよ。春に咲く花。知ってるかな?』
「これが桜」
『うん、そうだよ』
「……そうですか」
『しかしこんなに大量に……よっぽど嬉しいことがあったんだね』


そう言いながら彼の髪を掬って、ついていた花びらを払うと、そのひとつに五月雨江は手を伸ばした。
彼の手のひらに静かにおさまったそれは、どこからか吹いた風に攫われていってしまった。


「……今日は様々な景色をこの人の目で見てきました」
『うん』
「そしてこの人の耳で様々な音や声を聞き、そしてこの人の体で触れ、感じてきました」
『そっか』


五月雨江は手のひらをぎゅっと握りしめて、目を伏せると、大きく息を吸い込む。


「ああ、そうですか……これが人の、嬉しいという感情なのですね」


息を吐きだすように、ひとりごとのように、紡がれたその言葉は、喜びをたっぷりと含ませて、また桜を舞い散らせていた。


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