『あ、雨が降ってきた』
執務室として宛てがわれた部屋で、政府からの書類を整理していると、開け放っていた障子の向こうで、ざあざあと勢いよく雨が降り始めた。通り雨だろうか。空を見上げると、分厚い雲が空を覆っている。
作業を手伝ってくれていた近侍の五月雨江は、私の隣に座ると、雨をじっと見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。
「頭は、」
『うん?』
「雨がお嫌いなのですか?」
とても静かな問いだけれど、どこか寂しさを匂わせてそう言うので、流石に嫌いとは言い切れず、少しだけ濁して、ほら、お洗濯ものとか乾かないでしょ?と答えると、五月雨江は、確かに、と小さく頷いた。
だが、やはり納得はいかないという様子で、ふうとため息を吐く。
「ですが、私はどうしても雨が嫌いになれないのです」
『やっぱり雨の名前が付いているから?』
「それももちろんありますが」
ふと視線を外に投げて、五月雨江はまるで愛しいものでも見ているかのように目尻を下げた。
「雨が降る前の湿った風が頬を撫でるのも、降り始めの土の匂いが鼻をくすぐるのも、雨粒が草花をはねる様子に心が躍るのも、雨を見て人が何を思うかに耳をそばだてるのも、私にとっては季語なのです」
『そっか』
五月雨江という刀は、雨をそのように感じているのか。
私たち人だって、雨に様々な思いを抱く。だから雨を表す言葉はたくさんあるし、俳句や和歌、短歌、詩、小説と、人は雨に思いをのせて描いてきた。
刀でありながらも、付喪神として人の身を得て顕現している今、その感覚は私たちとはなんら変わりないのかもしれない。
「それに、」
言いかけて、五月雨江は私を見て笑んだ。
あまりにも優しく笑むものだから、思わずひるんでいると、腕と腕がぴたりとくっつくほどに近づいた五月雨江は、私のお腹にそっと手をあてると、そのまま目を瞑った。
驚きながらも、されるがままにしていると、まるで俳句を詠んでいるかのような声で話し始める。
「雨は田畑を潤し、その大地から水分をたくさん吸い上げて、食物が実ります。それらは私たちの手により収穫し調理され、やがて、頭の力の源になります」
ゆっくりと開かれた瞼に隠れていた紫色の瞳は、私をしっかりと映していて、その瞳からこれっぽっちも逃げられない。
「雨は頭のために在る、と思うと、この名が誇らしくも感じるのです」
五月雨江の触れる手が熱くて、なんだかどうにかなってしまいそうだ。
「少し大袈裟でしたでしょうか」
何も言えずにただ首を横にふると、心なしか嬉しそうにワンとひと声鳴いて、私に寄りかかると、五月雨江は再び雨を楽しそうに見つめ始めた。