継承か消滅か ―菊花―

だいぶ日が昇るのが遅くなった早朝、少し冷たくなった空気が、布団から覗いていた顔に触れる。
ゆっくりと瞼を開けると共に、白んできた外の光が入ってきて、数度瞬きを繰り返して起き上がれば、枕元に主がいた。
何故主がこんな時間にこんなところに、と驚いたが、それ以上に、彼女の纏う雰囲気に肌が粟立つのを感じた。


「……君は、」
『青江、お願いがあるの』


その真剣な言葉に、何もかも理解してしまった。嗚呼と思わず嘆息してしまいそうになるほどに。
僕は、いいよ、と努めていつものように笑って答えた。


今夜は月見をするらしい。
短刀たちが昨日楽しそうに準備をしていたのを、主に伝えると、約束だったんだ、と言う。
日が暮れ始めた頃、厨に向かえば、そこには燭台切光忠と、歌仙兼定、小豆長光が居て、月見団子を丸めている最中だった。少し驚いた顔をした後、手伝いを申し出る主を快く迎えてくれた三人と共に、一口の大きさに取った団子を丸めてみる。ころころとしてかわいらしいそれに、みんなで顔を見合わせて思わず笑みがこぼれた。お湯から浮き上がった団子を冷まして主と積み上げている間に、炊きあがったらしい栗ご飯の香りがふんわりと漂ってきて、しっかりと味のしみこんだ秋野菜の煮込みと共に皿に盛りつけて、皆がいる広間へと持って行けば、今か今かと待ちわびた表情が僕たちを待っていた。
主は、月が一番よく見える縁側に、月見団子を供えて、ススキをその横にそっと置くと、それが風に揺れるのを、なんだか眩しいものでも見るような顔で見つめた後、その視線を月へと移す。
青白い月の光に照らされた彼女の横顔は、ぞっとするほど美しくて思わず息をのんだ。


「主は食べないのか?」


その言葉にはっとして振り返ると、主はすでに広間に居て、皆に囲まれながらにこにこと笑っていた。
さっき厨でつまみ食いしたからお腹いっぱいなんだ、と言いながら、僕に目配せをする主に、そうだねと答えて、誤魔化すように、主が皆に月見酒をふるまいたいみたいだよ、と言えば、その場はよりいっそう盛り上がった。
主により注がれた朱の盃に月がまるまると映るのをじっと見つめていると、肩に軽く手が触れて、ゆっくり見上げれば、そこには石切丸が居て、真意を問うような視線をよこすので、気づかれないように小さく息を吐く。
彼に続いてその場をそっと抜け出せば灯りの少ない廊下の突き当りで立ち止まった。


「青江さん」
「どうかしたのかい、石切丸さん」
「……いいのかい?」
「なんのことかな……って、とぼけてもしょうがないことくらい僕にも分かるよ。きっと、みんな気づいているだろうからね」
「じゃあ、どうして……」
「主の願いなんだ」
「……願い、か」
「僕たちも神様の端くれらしく、人の願いというものを叶えてあげないとね」


そうだね、と息のような相槌は、暗がりと溶け合って、重く重くその場にのしかかる。
そういえばいつだったか、お茶のお供にと、話をしてくれたことがあった。
この本丸という空間は、主がいる世界とはまた違ったものらしく、彼女がここに姿を現す時は魂だけのような状態になるらしい。と言っても、触れられるし、彼女も向こうと同じように体を動かすことができるのだと、なんだか自慢げに話すので、その時は、へえ、とただ相槌を打つだけだったが、今やっと、皮肉にもそれに実感が伴ってしまった。
魂の質、というのだろうか、それは感覚的なものだけれど、明らかに違いはあるし、きっと主もそれは分かっている。
だからこそ、一番初めにそれに気づいてしまうであろう僕の元に来たのだ。


「主は策士だね」
「私たちの主だからね、当然だよ」


彼はそう言うと、遠く遠く、僕の後ろを見つめて、ゆっくりと目を伏せた。
人の命とは、なんとも脆いものだろうか。
そんなこと、ここにいる全員が知っていたはずなのに、その命を前にして、僕らができることはない。ただ、彼女の選択を、思いを、願いを、守り、叶えてあげるだけ。


「もういいのかい?」


僕の声に顔を上げた主は、その言葉には答えずに隣に座るよう促すので、誘いに乗るように隣に腰を下ろすと、彼女は静かに笑む。庭に咲く月下の薄桃色の菊は主が植えたものだっただろうか。時折吹く風に、その重そうな頭を揺らしている。それに穏やかな眼差しを向ける主は、未だ賑やかで楽しそうな皆の声に、安心しているようにも見えた。


『青江はさ、本丸の最期ってどうなるか知ってる?』
「確か、継承か消滅か、そのどちらかを選ぶんだろう?」
『私はね、継承を選ぼうかと思ってたんだ』
「へぇ……」
『みんなと精一杯生きて、私が生きた証をしっかりこの本丸に築いて、そして、笑ってお別れして、私たちの意志を次の審神者に託そうって思ってたんだ』
「君は、そんな風に思っていたんだね」
『でもね、……まさかこんなことになると思ってなくて……』
「……」
『本当にこんなはずじゃなかったのに……』
「うん……そうだね」
『みんなともう一緒に笑えないって思ったら、いてもたってもいられなくて、……気づいたらここに帰ってきてしまったみたい』


ぼろぼろと、主の目から涙がこぼれていく。
ずっと泣きたかっただろうに。
突然目の前に現れた死なんて、怖くて怖くて、たまらないに決まっているのだから。
それなのに、彼女は、自身の死への恐怖よりも、僕たちを優先したのだ。


「君は優しいね」
『どうかな……ただの我侭かも。私の存在が、みんなの悲しい記憶になるなんて、私自身が耐えられなかっただけ』
「それでも君は、こうやって僕たちを迎えに来てくれたのだから」


主は泣きながら、それでも嬉しそうに笑顔を浮かべるので、僕もそれに応えて笑ってみせたけれど……どうかな、うまく笑えていたのかな。今回ばかりは自信がない。
ひと際強い風が吹いて、菊が舞う。
……もう、時間なのだろうか。
僕たちの体は、ろうそくの灯りのようなぼんやりとしたやわらかい光に包まれて、そして、いつかの夏、主と飲んだ炭酸水の気泡のように、本丸中でいくつもの光の粒が空に昇っていく。
今日は中秋の名月らしい、美しく大きい月が僕たちの行く末を見つめていて、月の明るさで見えない星たちも、確かにそこに在って、その選択を静かに見守ってくれている。


「さぁ、行こうか」


そう言って手を差し伸べれば、笑顔のままゆっくりと頷いた主は、その手が離れてしまわないように、しっかりと握った。





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