『さみ、手を出して』
現代から戻ってきた私を、近侍である五月雨江が出迎えてくれた。
心なしか嬉しそうにしっぽを揺らして、ワンとひと鳴き、片手を差し出す。
お手、じゃないんだよなぁ、と笑いつつ、彼のもう片方の手も差し出させ、そのてのひらの上に、一冊の本を置いた。
「頭、これは?」
『歳時記だよ』
「さいじき、とは?」
『開いてみて』
ふしぎそうに首を傾げつつ、開いた歳時記に、彼の表情がみるみる明るくなっていく。
ページをめくるたびに、紫色に染まった爪先が見え隠れするのを眺めていると、彼はもうひと鳴きした。
「頭、これは、季語が、こんなにも、たくさん、」
『高校時代に使っていたものだけど、帰った時にふとさみのことを思い出して、持ってきたんだ』
「こうこうじだい、とはよくわかりませんが、頭は俳句をたしなむのですか」
『あ』
きらきらとした目で見つめられて、言ってしまったと後悔するのはもう遅い。
私の手はもう、玄関へと戻る五月雨江にがっちりとつかまってしまっている。
「頭、旅に出ましょう」
『旅ってどこに』
「もちろん北を目指します」
『夕飯もうすぐなんだからね』
「わかっています」
『本当かなぁ』
「嗚呼、頭と共に俳句が詠めるなんて。あなたの犬でよかった」
目を細めてそう言うので、思わずひるんでしまったが、次の瞬間には、玄関を嬉しそうに飛び出していくので、しょうがないなぁ、とつぶやいて、私はその背中を追うことにした。