豊前江という男は

「はぐ、させてくれねぇか」


主頼みがある、と、やけに神妙な面持ちで部屋を訪ね、緊張で張り詰めた部屋で膝をつき合わせた豊前江が、その場に似つかわしくない発言をするので、思わず聞き間違いかと聞き直してしまった。


「主頼む、はぐ、させてくれ」


……聞き間違いではなかったらしい。
お願いという体であるにも関わらず、妙に熱っぽい視線でじりじりと距離を詰めてくる豊前江から逃げるように後ずさるが、いよいよそこは壁だった。
右手がそっと顔の横に置かれたとき、ああこれが世に言う壁ドンか、なんて考えてしまったけど、それどころではない。あまりにも心臓に悪すぎる。長生きしたい。私は少しでも離れてもらえるように彼の胸を押した。


「ええと、豊前、ハグの前にどうしてそんなことを頼むのか、理由を聞いてもいいかな?」


そこでようやく冷静になったのか、……いや、表情は変わらないままなので、そう思いたいという私の願望だけれど、しばらく私を見つめた後、ようやくその右腕を下ろしてくれた。


「いや、なんだ、さっきれっすんの時に、篭手切にふぁんさーびすってやつではぐの振りをしてくれって言われてやってみたんだけどよ……篭手切が言うには俺のはなんかちげえらしい」
『……な、なるほど?』
「だから連中にどうやんのか聞いてみたけど、そもそもはぐってもんを俺らはしたことないって話になってな」
『うん』
「というわけで主に頼みにきたって話だ」
『うん……うん……うん?』
「じゃあ、主、もういいよな?」
『いやいやいや、待って待って待って、いいよな?じゃない、全然わかんない、なんで私!?』
「それは……ふぁんは女が多いって篭手切が言ってた」
『うん、それは確かにそうかもしんないんだけどね!?』


いつの間にか私の顔の横には先ほど下したはずの右手が、そして逃がさない、と言わんばかりに、私の腰に左腕を回してきて、思わず声にならない悲鳴を上げてしまった。
より近くなる距離に、耳元をかすめた柔らかい感触が、長めに息を漏らす。


「あー……確かに、さっきのは力の入れすぎか?人の身ってもんはやわらけえもんな」


耳元で話されて、くすぐったくて身を捩るけれど、びくともしない。
腰を抱く左手の指がゆるゆると服越しに撫で上げて、顔が見えないから、それが冗談でやっているのか無意識でやっているのかわからない。変な声が出てしまいそうになるのを必死に我慢する。どうかこの心音が豊前江に聞こえていませんように。そう願わずにはいられない。
どれぐらいそうしていたのかは分からないけれど、ようやく解放されたときには、体がぐったりと疲れていた。
豊前江はよほど満足したのか、とびっきりの笑顔で、参考になった、と嬉しそうに言う。
ありがとな、と軽く言って、その場からさっさといなくなってしまったが、呆けたまま見送る彼の背中から、はらり、何かが落ちる。
桜の花びら?と思うと同時にはっきりした頭で、彼がいた場所に顔を戻すと、それはそれは大量の花びらが積まれてあって、私は、うそでしょ、と言いながらずるずるとその場に崩れ落ちた。


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