思い出irony

僕が小さい頃の話だ。
僕の近所の家に1人の女の子が引っ越してきた。

名前は、確か……渉亜、だったはずだ。

その少女は、僕を慕ってくれる数少ない1人だった。
当時、僕は、何をしても、それが上手くいった事だとしても、僕の周りにいた人はだんだんと遠のいていっていた。
そんな僕にいつも、『鴨ちゃん!』って微笑みながら、その小さな体で抱きついてきてくれたのは果たしていつの日までだっただろうか。
そんな小さいけれど心地よい時間を捨てたのは、紛れもない自分で。
僕は、独り江戸に出、真選組へと入隊した。

そうして、何年かして、真選組隊員としてだいぶ落ち着いた頃、僕は、名ばかりの故郷へと帰ってみた。
だが、渉亜の家は、もう既に空家になっていた。
庭は手入れなど全くしておらず、雑草が伸びに伸びている。おそらく、随分と前にはもう、此処を出ているのだろう。
……僕は、また江戸へと戻った。


「……渉亜」


思わず、あの少女の名を呟いてしまった自分に自嘲気味に笑う。
自分が捨てたというのに。
今更遅いというのに。

渉亜……

君は、今何処にいる……?


「渉亜……っ!」
『伊、東先生……?』
「!!」


暗闇の奥から、小さな蝋燭の灯が僕に向けられた。
うすぼんやりとした彼女の顔ははっきりと分からなかったが、確か最近女中が新しく一人入ったという話は聞いていたので、きっと彼女がそうなのだろう。


『大丈夫ですか?』


ぼんやりと考えていると、返事がないことを心配したのか、顔色が悪いですよ、と彼女は僕を覗きこむ。


「あ、ああ……何でもないよ」
『そう、ですか……』


彼女は暫しの間、そこに立ち尽くしていた。
僕は、なんだか彼女が迷っているように思えた。
根拠はない。
唯、何となく……此処から立ち去りたくない、とでも言っているような。
なんだか気まずいので、僕は、彼女に微笑みながら、どうぞ、と言って隣をポン、と叩いてみせた。
彼女は、一瞬迷ったのち、静かに隣に腰をおろした。

月の柔らかい、けれどおぼろげな光が僕らを照らす。
今日はなんとも星の数が多い。


『……名前、』


暫しの沈黙の後に、彼女がポツリと言った。


「ん?」
『誰かの名前を呼んでいるようでしたけど……誰、なんですか?』
「聞かれていたのか。」


そう苦笑すると、すみません、と謝られた。


「……昔、ね。僕を慕ってくれていた女の子がいたんだよ」
『そうなんですね……』
「だけど、僕は、その女の子も、故郷も全部捨てて、此処に1人で来た」
『……』
「僕は、……逃げ出したんだよ。何もかも嫌だったんだ」


嫌だった。
友達という存在が。
嫌だった。
家族という存在が。
嫌だった。
僕を理解しようとしないこの世界が。


「だから、全部……全部捨てて来たのに。なのに、いつまでたっても、あの女の子の笑顔が忘れられない」
『……』
「僕は、僕がしたことを、何もかも後悔してるんだ……」


そうだ。
全ては自分がしたことなのだ。
だから、それ故に、後悔なんかしてはいけないというのに。
それなのに、そう思えば思うほど後悔は募っていくばかりだ。


『……どうして置いて行ったりしたんですか』
「え……?」
『置いていかれたその女の子の気持ちは考えましたか?どんなに悲しかったか。どんなにつらかったか……。 何処に行ったかも知らず、独りで……たった独りでいつもあなたを待っていた女の子の気持ちを……伊東先生、あなたは考えてくれましたか?』


そう言って、下を向いていた彼女は涙を一筋流して、僕の目を見つめてきた。
否、僕の目というよりか、そのまた奥。
正直驚いた。
何故、僕は会ったばかりの彼女にこんなことを言われなくてはならないのか。
だけど。
彼女の言葉は、僕に、深く、深く突き刺さった。
何でだろう。
彼女が自分のことのように言ったからか、それとも、
彼女の声が渉亜の声音に似ていたように聞こえたからか……。



『ねぇ、鴨太郎さん』


彼女は僕を、下の名で呼んだ。
僕は彼女にその名を教えていただろうか。
名前を呼ばれた瞬間、心の奥が切なく痛むこの感覚は一体、なんなのだろうか。


『今更、後悔しても、もう遅いんですよ……?』


僕を見つめたまま、彼女は哀しく笑う。


『その女の子は、もう諦めてしまいました。もう、あなたが帰ってくることなんてない。あなたの決心は強かったんだ、って』
「……」
『だけど、奇跡はあるって。……それだけは今でも信じてる』


嗚呼、そうか……。
今にも溢れ出そうな涙をせきとめるため、目を瞑ってみたが、それはなんなく頬に零れ落ちた。目を再び開けると、満天の星空が滲んで見えた。
何で、彼女の言葉がこんなにも心に残るのか。
何で、彼女が、渉亜について自分のことのように話したのか。
……やっとその謎が解けた気がした。


「渉亜……っ!」


僕は彼女を抱きしめた。

嗚呼。
あの時の少女が、僕の目の前にいるというのに。
あれだけ思っていたというのに。

どうして……


「どうして解らなかったんだろう……」
『鴨ちゃん……』





思い出irony





僕の中の“渉亜”はまだ少女の姿のまま。
なんて皮肉なんだ。
こんなに綺麗で美しくなった渉亜が今、目の前にいるというのに。


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