マネージャーには適わない
当然、当初はテニスコートもなく、コート作りの土木作業だったり、
滝打ち、座禅、山籠もりのような精神修養、素振りや登山といった肉体鍛錬中心の活動が主だっている。
しかし、そんな泥くさいことにも付き合ってくれる女子がいた。
それが梓月てんだ。
梓月は我がテニス部のマネージャーだ。
元々はただのクラスメイト。
どこから俺達の話を聞いたのか、マネージャーになりたいと、そう志願してきたのだ。
最初はよほどの物好きだなと思っていたが、自分達でもつらいと思う土木作業だって弱音を吐かず、それどころか部員達を鼓舞しながら率先して動いてくれていたし、きつい練習にも寄り添って、自分では気づけないような細かい心配りをしてくれている。
昔一度、何故、と聞いたことがある。
あまりにも献身的すぎて、心配になったからだ。
どこにそうなる要素があるというのか。
見返りなんてものこれっぽっちもないのに。
それなのに、彼女は不思議そうに俺の顔を覗き込んだあと、笑顔で言うのである。
『だって私はこのテニス部のマネージャーだから』
適わない。そう思った。
* * *
「あ、梓月さん!次深司と試合するんで、俺がリズムに乗れてるか見てくださいよ!」
『まかせて!神尾くんのこと見逃さないように頑張る』
「指メガネで見えます?」
「……なんだよそれ……あーあ梓月さんどうせ神尾のことしか見ないんでしょ……」
『待って待って、ちゃんと伊武くんのことも見てるから。この間サーブのコース見て欲しいって言ってたでしょ』
「おぼえてたんだ」
『当たり前でしょ!だって君らのマネージャーだし!』
「梓月さん!ドリンク用意してくれたんですね!俺運びます!」
『ありがとう、森くん。クーラーボックス用意してるからそれも持っていってね!』
「俺も手伝うよ、森」
『鉄くんもありがとう!重たいのに任せちゃってごめんね』
「いえ!力仕事は俺の得意分野なので。任せてください!」
「あの、梓月さん、俺のタオル知りませんか?」
『ごめん、内村くんのタオル洗濯しちゃった。これ代わりに使って』
「え、でも、これ梓月さんのハンカチじゃ」
『大丈夫、未使用』
「いや、そういうことじゃないんですけど……」
『もう一枚持ってるから遠慮なくどうぞ!』
「じゃ、じゃあ使わせてもらいます」
「梓月さん、俺のタオル知りません?部室の掃除してる間にどっかいっちゃって」
『あ、ごめん、桜井くんのも洗ったんだった。これ使っていいよ』
「梓月さんのハンカチでしょ」
『いいのいいの!君らが優先!』
「すいません、ありがとうございます!」
最初は警戒すらしていたのに、いつの間にこんなにも懐いてしまったのだろう。
彼女も、彼女で、そんなあいつらの世話をして、かまってやって。
すごく嬉しいはずなのに、心のどこかで小さなもやもやとした感情が湧き出してくる。
「梓月さーん、早く!」
神尾が梓月を呼ぶ声にはっとして、顔を上げる。
「呼ばれているぞ」
『うん』
「……なぁ、梓月、無理はしてないか?」
『無理なんて全然。寧ろこっちが元気をもらってるくらいだし』
「そう、なのか?」
『みんなを見ているとね、なんだかこう、心の奥底から熱くなって、胸がドキドキしてきて……あの時から、みんなで必死にコートを作ろうとしている姿を見かけた時から、橘くんたちのテニス部のマネージャーになりたいって志願しちゃうくらいに、好きだなあって思うんだよね』
好き、と梓月の口から紡がれた言葉にどきっとする。
それが恋だの愛だのという感情から出た言葉ではないことだって、分かってはいるけれど、鼓動がだんだんと早くなる。
『それに私はマネージャーだし!みんなのことお世話するのは私の役目だもの』
やっぱり、彼女には適わない。
『あ、でも、橘くんは、しっかりしてるから私のこと必要じゃないよね』
行かなきゃ、そう言って背を向けた拍子に彼女のジャージが翻る。
俺はいつの間にか、無意識に、そのジャージの裾を握っていて。
「……俺だって、テニス部の一員ばい」
嗚呼、なんてことを。
目をまるまるとさせた梓月と、気まずい空気と、うっかりもらしてしまったあの一言に、俺は顔を手で覆いながら、やってしまった、と小さく吐き出した。
リクエスト:橘桔平/後輩ばかりに構う女の子にやきもき