ありえない話

その日はひどく落ち込んでいて、同僚に連れられて入った小さな居酒屋で、おもいっきり飲んでしまったらしい。
と、いうのも、私に残っている記憶は、カウンター席に座ったという記憶と、最初に出て来たお魚がおいしかったという記憶だけだ。
泥酔しすぎたせいで、お酒をたっぷりと飲んだ記憶も何を話したのかもすっぽりと抜け落ちているのである。だから、これが何なのか私にはさっぱりわからない。
SNSに現れたメッセージ。


“先日の居酒屋、お昼もやってるので、日曜日行きませんか”


そもそも誰なのだこれは。ダビデ?知らない、私そんな海外の人とお友達になれるほどの語学力など無い。というか、この先日ってなんなのだ。
そのメッセージを覗き込んだ同僚に、何か知らないか聞いてみたら、彼女は笑ってこう答えたのだ。


「あんたそれ、こないだ飲みに行った時に逆ナンした相手じゃん」


もう一度確認しておこう。そう、私はあの時泥酔していて、記憶なぞ残ってなどいない。


「あんた達二人すっごい意気投合しちゃっててさあ、慰めてやるつもりだったのに、その気もなくなったぐらいというか。でも、ちゃんとご飯の約束覚えてくれてるとかいい人じゃない!仲良くね!」


ケラケラと笑って去っていく同僚にさっと血の気がひいていく。
約束って何。覚えてくれてるとか何。
待って、その約束私がしたの?私が、ご飯を行く提案をダビデさんにしたというの?
ダメだ思い出せない、思い出せないままご飯になど行けるものか。
お断りしようとしたその時、また一つ現れたメッセージ。


“日曜日の一時に待ち合わせしましょう”


断れなくなってきた。




そして、日曜日である。
私はあの居酒屋の前へと来ていた。
少し早すぎただろうか。入口近くでソワソワしていると、暖簾を出しに来た店員さんに、中へ入るように促された。


「あ」


がらんとした店内に一人、カウンター席に腰かけていた人が振り向く。


『え』

「こないだはどうも」

『天根ヒカル……!?』


そんなことがあるだろうか。
この世に似ている人は三人いると聞く。彼もその一人だというのだろうか。
私の発した声は彼の言葉を飲みこみ、二人の間に沈黙が落ちた。
あーらら、ばれちゃったのね〜と、店員さんがどこか楽しそうに呟く。


「あの……その名前は……」

『モデルの、天根さんですよね!?』

「まあ、ね、一応天根なんですけど、あの、でも名前……ばれちゃいけないから、ダビデって呼んで……」

『あ、ダビデ……えっ、ええっ!?ダビデさん!?』


私の目の前にいるのはまぎれもない、人気モデルの天根さんで。
そして、ラインでやり取りをしていたダビデさんで。
天根さんはダビデさんで、ダビデさんは天根さんで。
あれちょっと待って、それって、ねえ、私、とんでもないことしでかしたんじゃ。
目の前がくらくらしてきて、よろめけば、ダビデさんは私を軽々と受け止める。


「……こないだ、大好きなモデルに似てるって言って奢ってくれたんですけど、覚えてますか?」

『ひっ、私、そんな事を!?』

「はい」

『ひいいい……あ、あの、私まったく記憶が抜け落ちていましてですね、まさかあの天根さんだと思わずに、記憶はないんですけど失礼をいたしまして本当に申し訳なく思っておりまして』

「やっぱり」

『え?』

「ちゃんとお礼言えてなかったから……それに、とても嬉しい言葉頂いてしまったので」

『私は一体何を』

「それは俺だけの秘密です」


秘密って。追及したかったけれど、すごく嬉しそうに微笑むものだから、私はそれ以上聞くことができなかった。


「それより二人とも、ご飯できたのね。特製いかすみスパゲティー!」


おいしそうな匂いがふわり、鼻孔をくすぐる。
ダビデさんは私を椅子に座らせて、楽しそうに手を合わせる。


「……推しメンと食べる麺……プッ」

「それが言いたかっただけなのね……」


ダジャレ……?
ますますわけがわからなくなってきた。


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