春香る

どうか丸呑みされないように


「そういえば、PaSTELLAは誰かオーディションに出たりしないの?」

ふと思った疑問を口にすると、キョウは特に考える素振りもなく、日常的な話を何気もなくするように口を開いた。

「志貴は精神面がまだ安定していないし、紫は肝が据わってるけど、純粋に演技力が足りない。太郎は数年後にこのオーディションがあったら受けさせていたかな」

なんとも冷静に現実を見据えた判断だ。何処かの誰かさんのようにとまでは言わないが、それは決して投げやりのものではない。香穂子さんの元パートナーだからってのもあるが、彼女自身が贔屓目なくちゃんとPaSTELLAの子たちと向き合っているのだというのがよくわかった。
途端に、彼女は少し複雑そうな表情を浮かべる。

「どした?」
「いや、その……モモがオーディションに受かったら嬉しいけど…………嫌だな……って、思って……」
「嬉しいのに嫌!?」
「だって『暁の導』は香穂子さんが“本気の本気”にならざるを得ないから」
「なんで?」
「香穂子さんにとって、『宵の華』は大切な作品だもの」

そう口にしたことによって実感が沸いてきたのだろう。キョウは僅かながらも眉間に皺を寄せて、小さく息を吐いた。

「彼女が相手役に“本気の本気”を見せちゃったらシンプルに嫉妬しちゃうんだろうな……」
「オ、オレ……キョウに憎まれる……?」
「憎まない、憎まない。てか、そんな風に考えられる余裕があるなら大丈夫か」
「いや、余裕なんて……」
「モモは器量だってなんだっていいし、アイドルのトップにだって君臨している。そんなに不安がらなくても大丈夫だよ」
「そんな適当な……」
「私が適当なことをどうでもよくない時に投げつけたことがある?」
「……ありません」

この子はいつだってそうだ。信じる気持ちに満ち溢れた強い眼差しをオレに向けて、適度な言葉を選んで投げてくる。いや、選んでる工程はきっとないだろう。これは天然でやってると思うから。

「ここに居る彼氏の目の前でそんな惚気話しちゃうの?」
「の、惚気!?」

少し拗ねが入ってるユキの言い回しに、さっきまでイケメンモードだったキョウは「誤解です!」と慌しく弁解モードに切り替わった。

「モモだけじゃなく、千葉さんにも嫉妬しましたよっ!!」
「そういう話じゃないんだけど」

違う。そうじゃない。むっすりとジト目で、だけどほんのり甘みを帯びてキョウを見つめるユキ。それで漸くユキが言わんとしてることが理解できたのか、キョウは頬を赤らめてから小さく息を呑んだ。

「っ……ゆ、千斗さんだっていつもモモの話をしてるじゃないですか。それと同じですよ……」
「そうね。だから今の僕みたいにかまってちゃんになってくれていいんだよ?」
「それは……っ」

ユキは彼女の手を掴んで、指を触ったり、絡めたり。滲み出る恋しさが伝わってきて、関係ない筈なのに二人の甘い雰囲気にオレもなんだか照れくさくなってくる。そんな時にキョウと目が合い、気恥ずかしさ故にユキから少し離れてしまうと、動揺が隠せない様子でわやくちゃになってしまった口を無理矢理こじ開けた。

「と、とにかく!モモはちゃんと実力があるけど油断はしないで――」

しかし彼女の口から発せられるものは決して適当なものではない。さっきも彼女自身が話した通り、彼女はどうでもよくない時に適当なものを投げつけたりはしない。

「鯨みたいに、丸呑みにされるから」

ましてや、こんなことを照れ隠しで言えることではないのだ。




▼ △ ▼ △





「あんなん勝てるわけないだろっ!!!!」

オーディション当日。オーディション会場である都内某所の応接室に緊張混じりで入ると、演劇派俳優のメンツがごぞって勢揃いしていたものだから、その場で声を大にして叫んでやりたかった。が、オーディション会場では流石にそんなことも出来ないまま一次審査が終わり、そのまま休憩所まで足を運んで独りきりになったところで漸く、思い思いに叫んだ。

(どう考えても場違い感が半端ない……)

別にドラマに出演したことがなければ、演技だって出来なくはない。だけど、今回のオーディションに関しては、オレのようなのは『お呼びでない』という雰囲気が漂ってならなかった。
あの場に居たのは、あのドラマやこの映画の主演だったり助演だったり。バラエティで共演したこともあるベテラン俳優さんも居たから軽く挨拶だけはしたけどバラエティの時とはまた違った気迫を纏っていたものだから緊張してならなかった。
しかもこのオーディション、なんとアイドルで受けているのが一人だけだという。そう、つまりオレだけだ。

(なんで……っ!?)

単純に仕事が詰まっているからだろう。それでも演技派の大和や巳波なら受けるだけでも受けているものだと思い込んでいたものだから、この予想だに出来なかった現状にただただ動揺するしかなかった。

「こんにちは、モモちゃん」
「うえっ!?」

そうやってベンチの端に座って突っ伏していたものだから、隣に忍び寄る影の気配にも気づくこともなく、かけられた声で身体が飛び跳ねた。

「香穂子さん!?どうしてここに!?」
「どうして……って、私も最終審査で審査員をするからよ」
「ええっ!?」

会場で変にリアクションせずに済みはしたけど、香穂子さんが最終審査の審査員であるという事実に余計プレッシャーが掛かって気が重くなる。
そんな中で香穂子さんの漆黒の双眸がオレをジッと捉える。星屑が散りばめられるかのように綺麗な瞳ではあるが、何を孕んでいるかがわからない。思わず息を呑んで固まってしまうと、彼女はうっすらと笑みを浮かべた。

「予想通りね」
「予想通り?」

首を傾げて言葉の意図を訊き返したが、澄ました笑顔を浮かべたままで丸め込まれてしまったからこれ以上言及は出来なかった。

「でも、モモちゃんを送り出してくるなんて意外ね。てっきりゆきちゃんが来るのかと思っていたわ」

どうしてユキが来るのかと予想していたのだろう。
確かに彼はベテランの人気俳優に負けないくらいの演技力と美貌を兼ね備えている。だから、彼がもしこのオーディションに出ていればオレのように場違いになるなんて決してならなかった。
しかしながら、香穂子さんの言い方はまるで“Re:valeのどちらかが必ずオーディションに臨む”ことを確信していたかのようにも聞こえる。
疑問が更に増えてまた質問したくもなるが、先程のように簡単にながされてしまうだろう。ここは潔く彼女の話に合わせることにしよう。

「ああ、うちの社長が『二人が共演するなら月10の不倫物だろ』とか言ってたので」
「成程……確かにそうよね」

どう転んだって酷い言い回しなのに、当の本人である香穂子さんは怒りもせず『納得したわ』と大きく頷きを見せた。

「でも、京歌に嫌われたくないからそういうのは受けたくないわ」
「キョウならその辺ちゃんと割り切ってるし、毎週録画しながらウキウキして観てそうだけど……」
「ふふ、付き合いが長いだけあって京歌のことをよくわかっているのね。流石だわ」

香穂子さんのくすくすと小さく笑う様子は、何処となく安心感がある。不利な現状に変わりはないけど、頭を抱えてしまうようなマイナス思考が自然と和らいでいく。

「怯えているの?」
「っ!」

のに、この人というひとは、目敏くもそれを逃さなかった。彼女の漆黒に映るオレは確かに怯えているように見えるものだから、否定をする気にもなれない。だけど逃げる気はなくて、彼女の双眸を見つめて頷くと、その漆黒はゆるやかに細められた。

「でも、いい眼だわ。かわいい煌めきなんかじゃなくて、少し鋭い感じ――雨に打たれて弱りきった仔犬のように震えて、小さく魘されていたのが嘘みたいね」
「え……?」
「この芸能界の中を這い上がって、トップに君臨しただけあるわ……でも、岡崎社長も悪手を取ってしまったようね」
「悪手?」
「ええ、だって貴方――このままだとオーディションに落ちてしまうもの」
「なっ!?どうして、そんなことが言えるのですか?」

あんまりな言われようにカッとなって咄嗟に質問してしまったが、すぐにそれを後悔した。その玲瓏な声は、衣を着せることもなく正直に思ったことを発するのだから。

「貴方は私の問い掛けに『はい』と答えられないだろうから」

淡々と、まるで百発百中の占い師のお告げみたいな言葉が。

「鯨みたいに、丸呑みにされるから」

頭の中で、彼女の声と綺麗に重なったのだ。





あの時、彼女は最終審査で審査員をすると確かに話していた。しかし、そこに待ち構えて居たのは、立月香穂子であって『立月香穂子』ではない強い存在。

「夕、私は貴方のことなんかこれっぽっちも愛していない」

――その眼は、一蓮托生の相棒に向けるものではなく、醜悪なものを見るかのように。その漆黒に、星はひとつも灯されやしない。

「それでも、貴方は私のことを愛してると言ってくれるの?」

“彼女”の言葉の節々には、鋭くも細い棘があって上手く飲み込むにも飲み込めない。更には天糸のようなものが首に巻かれてピンと張っていて、少しでも動かせば窒息してしまいそうで。

言葉に詰まってしまった。





To be continued.


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