【髪と指】
「カイン、その結い方だと邪魔じゃない?」
「何が?」
「髪」
宿屋での夕食後のひと時。
カインはいつもどおりテーブルに読みかけの本を開き、その向かいでリディアが頬杖を突いてその様子をぼんやりと眺めていた。
少し離れたソファからはセシル、ローザ、エッジの談笑の声が聞こえる。
「さっきから髪、何度も払いのけながら本読んでるから」
「あぁ……そういえばそうだな……」
そういいながら顔を上げるのと同時に耳にかけていた髪がさらりと零れ、再びカインの視界を奪った。
「そんな下のほうで縛ってるからだよ」
う〜ん、と面倒くさそうな返事をしながら鬱陶しそうに耳に髪をかけ直すけれど、細く、柔らかなその金の糸はすぐに零れ落ちてしまう。
「三つ編み、したげよっか」
ふわりと笑ってリディアが席を立った。
備え付けの鏡台から櫛を取り、いそいそとカインの背後に回る。
「人に髪触られても平気?」
「どうだろう……、誰かに触られた記憶、ないから解らない」
おお、とリディアが驚いたような、それでいて少し喜色を含んだ声を上げた。
「あたしが初めてなんだ? カインの髪に触るの」
うふふ、と明るい笑い声。
細く、少々冷やりとした指が髪に絡み、首筋を掠める。
「なんか、嬉しいなぁ……」
「……そうか」
その声に抑揚はないけれど、カインは自分の顔が熱くなったような。
少し甘い、感覚を覚えた。
あれから1ヶ月ほど経っただろうか。
あの日以来、すっかり三つ編みが定着したカインがいた。
風呂に入るとき以外は常にその髪型で、三つ編みを編むのはリディアの役目。
「最近じゃあ編んだ跡、すぐには取れなくなったよね」
風呂に入るべく解かれたカインの髪を見てセシルが言う。
カインはもともとセシルやローザと違って完全な天然のストレートヘアだ。
今では三つ編みの跡が美しいウェーブを作り出し、エッジが1度『後ろから見ると背が高けぇローザみてぇだな。』などと笑っていたことがあった。
「そうだな……」
1房髪をつまみ、しみじみと眺める。
「だいぶ伸びたよね〜。 もうどれくらい、切ってない?」
「ん〜〜……、5年くらい、なるかな」
「わ、そんなになるっけ?」
「多分な。 放っておいただけだからそんなに驚くことでもないだろう」
ふ、とカインが小さく笑う。
散髪するのも、した後の掃除も面倒だからと
カインは髪を切るのをやめた。
セシルやローザが切ってやろうかと言って来たこともあったけれど、なぜだろう。
ずっと断り続けてきた。
理髪店に行くことも、しなかった。
無意識なまま、誰かに髪を触らせることを拒み
5年間伸ばし続けた髪は今では腰に届きつつある。
「……このため、だったのかもな……」
「ん?」
カインの呟き声にセシルが首をかしげる。
「なんでもない、独り言だ」
パッと上げられたその顔は
彼にしては珍しく、とても穏やかな笑みを浮かべていた。
「男の人でここまで長い髪、珍しいよね」
いつものようにせっせと三つ編みを作りながらリディアが後ろから声をかける。
「そう……だな、確かに」
返事をしながら以前読んでいたものとは違う、少し小さめの本を手に乗せて翡翠色の目が文字を追う。
こう見えて彼は意外と読書家で、宗教書であったり架空の物語が描かれたものであったり、なにやら小難しい学術書であったりと、いろいろな本をどこからともなく出してきては読んでいた。
「なんでこんなに伸ばしたの?」
「はじめは切るのが面倒だったからなんだが……」
「ふうん……、今は違う理由なの?」
「……かもな」
「なにそれ」
くすくすとリディアが楽しそうに笑う。
「切らないの?」
「切らないよ」
即座に早く返って来た返事にリディアは一瞬驚いて軽く目を見開いた。
けれどすぐに嬉しそうな満面の笑みを浮かべ、少しばかり頬を紅く染める。
「そか」
三つ編みを編むその指は彼女の心情をそのまま反映させたように軽やかに踊っている。
切ってしまったらもう、触れてもらえなくなるし。
切られちゃったらもう、触る口実なくなっちゃうし。
「切らないほうが、いいよ」
「俺も、そう思う」
お互いの顔は見えないけれど、2人は同じような笑みを湛えていた。
愛しい指に、愛しい髪に、愛しい人に。
ただ、触れていられる。
そんな幸せを噛み締めるような暖かな微笑を。
おしまい
(05'06/28公開)