【memories】

虫の声さえ聞こえない深夜、辺りを窺いつつ宿の一室から忍び足で出てくる人影。
音を立てないようにそっとドアを閉める。

「こんな時間にどこへ行く気だ? リディア」

突然声をかけられ、リディアと呼ばれた少女はビクンと体を竦ませた。
余程驚いたらしく胸の辺りを手で押さえて恐る恐る振り返ると、そこには長く伸びた金髪のなびく長身の青年が立っていた。

「カ、カイン……」

よく見知った相手にホッと溜め息を吐く。

「何だぁ〜〜、びっくりさせないでよ、もう!」

お互いに思わず苦笑いを浮かべた。

「すまない、そんなに驚くとは思わなくて……。 で、どこに行く気だったんだ?」

カインがすかさず話を戻す。
腕組みをして軽く睨むと、えへへ、とごまかすようにリディアが笑った。

「月がね……、綺麗だったの。 窓から見えた夜空がね、星とか。 何だか目、覚めちゃったし、外出てみようかな〜〜って」

機嫌を伺うように上目遣いで見つめてくるリディアにカインは呆れて大きな溜め息を吐く。

「いくら街中だからって…女1人でこんな時間に出て行くやつがあるか……。 モンスターは出なくとも街は街でまた違った意味で危ないんだぞ? ったく……」

本気で心配しているカインに、当の本人はといえば叱られたことにぷぅ、と膨れ面をしている。
解っているのか、とカインは殊更深い溜め息を吐いた。

「そう言えば、カインの方こそ何してるの? こんな時間に〜〜」
「…………俺?」

リディアがにやりと笑ってカインの顔を覗きこむ。
思い掛けない逆襲に、カインは思わず言葉に詰まった。
かゆくもないのに頭を掻く。
それは慌てたときに出る彼の癖。
それを見たリディアがクスリと笑った。

「いや……、俺も何だか寝そびれてしまってな……」

ふい、と視線を逸らして。

「ちょっと……散歩しに」

それを聞いたリディアはうふふ、と嬉しそうに笑った。

「同じだね」
「……そうだな」

すると突然リディアがカインの背後にまわり、ぐいぐいと背中を押し始めた。

「お、おいリディア……?」
「目的は同じでしょ? だったら一緒に行こうよ。 それともカインったら女の子1人、行かせる気ですかぁ〜〜?」

はいはい、と諦めたようにカインがまた溜め息を吐く。

「カイン、あんまり溜め息吐いてると幸せが逃げちゃうよ〜〜?」

背中越しのリディアの言葉に、思わず再び吐きかけた溜め息を途中で飲み込んだ。

「その調子その調子!」
「……………」

……バロン最強の竜騎士も、どうやら彼女には敵わないらしい。
 

 
「ほら見てよ〜〜! す〜〜っごい綺麗な夜空……!」

漆黒の夜空に散りばめられた満天の星。
月明かりは眩しく、地面に影ができるほど。
話し声はおろか、虫の音も夜行鳥の鳴き声さえも聞こえない。
まるで世界にはこの2人以外存在していないかのような、そんな錯覚さえ覚えた。
そんな静寂の中、2つの足音だけが小さく響いている。

「ホントに凄いな……」

髪をかき上げながらカインがそっと呟いた。

セシルと共にバロンを出たあの日以来、いろんなことがありすぎて空を見上げる余裕などなかった。
過去を振り返れば親友を裏切り傷つけた事実が彼を苦しめ、それを責めるどころか『不可抗力だったのだから仕方ない』と庇おうとする言葉が尚のこと、彼の中に渦巻く罪の意識を深くさせた。
せめてもの罪滅ぼしのつもりでモンスターとのバトルも先頭に立って戦ってきたし、危険な役目は自ら買って出た。

………必死だった。

そして今日のこの時間。
カインは心の底から安らぎを感じていた。

「ね……、気持ちいいねぇ、カイン……」
「あぁ…………」

うっとりした表情でリディアが囁き、カインがそれに優しい声で返す。
しばらく立ったままで夜空を眺めていたが、近くに見つけたベンチに2人で腰を下ろした。
そこから見える噴水の水飛沫に月の光が反射して、幻想的な風景を作り出している。

「たまにはこんな風に月光浴するのもいいよね〜〜」

満面の笑みを浮かべるリディア。
それにつられてカインも微笑い返し、そうだな、と相槌を打った。
1人で散歩に来ていてもこんなに有意義な時間を過ごすことなどなかっただろう。

………リディアに感謝しないとな。

夜空をぼんやり眺めながらそんなことを考えていると、横からえへへ、と小さく笑う声が聞こえた。

「何だかアレだね〜〜」
「? ………何だ?」
「あたしたち、カップルみたい」
「……お前……時々反応に困ること、言うよな……」

呆れ顔のカインにうふふ、とリディアが楽しそうに笑う。
うかつに他の男にそんなことを言っていたら誤解を招くのではないか、とカインは内心不安で仕方ない。
と同時に、簡単に自分にそんなことを言えてしまうあたり、望みのなさを感じた。

………解ってたけどな。
最初から上手くやろうなんて、思っても、なかったし。

正直相当がっくりきたが、表情には出さないように必死で押し殺す。
軽く髪をかき上げてもう一度空を仰いだ。
はぁ、と思わず溜め息がこぼれる。

「あ、くそ……」

リディアに言われた言葉を思い出し、つい悪態を吐いた。
ちらりと様子伺いの視線を彼女に向ける。
……そういえば、先ほどから静かだったことに気がついた。
「……………寝てるし」

ベンチの背もたれに寄りかかり、リディアは安らかな寝息をたてていた。
そのあどけない寝顔に思わず笑みがこぼれる。
反面、やはりこの警戒心のなさに不安を感じずにはいられないカインだった。
 
 
 
カーテンの隙間から朝日が差し込んでくる。
早朝独特の空気の匂いと、小鳥の可愛い鳴き声に起こされてリディアがそっと目を開けた…………次の瞬間、その表情が強張った。

「きゃあぁぁ!!」

バチーーン……

爽やかな宿屋の朝。
うら若き乙女の悲鳴と、明らかにクリティカルヒットした平手打ちの音が澄んだ空気を震わせた。



「ぶひゃひゃひゃ!!! 何だァ!? そのひっでぇ面!!」

エッジのけたたましい笑い声が食事の運ばれた部屋に響いた。

「別に…………」

エッジより一足先に食事中のカインが目も合わさず答え、その隣ではリディアが申し訳なさそうな表情で彼の顔をちらちら見ながら朝食をとっていた。

「大方女引っ掛けんのに失敗したんだろ〜〜、ははっ、ダッセ!」
「…………」

うるさい、と言いたげに眉間にしわを寄せ、今度はノーコメントを決め込んだ。
その頬には激しく叩かれたと思われる手形がくっきり。
事情を聞いたセシルとローザは笑いを堪えるのに
必死になっていた。


今朝早くの平手打ちのあと、こんなやり取りが行われていた。

『だから! お前夕べ月光浴してる間に寝てしまっただろ? だからここまで俺がお前を背負ってきて……』
『そりゃぁ運んでくれたことには感謝するよ! それでなんで一緒に寝る必要があるのって聞いてるの!!』

言葉と一緒に掴んでいた枕を思いっきりカインに投げつける。
それを払いのけながら彼は誤解を解こうと必死に口を開いた。

『ちゃんと最後まで聞けって! ……あぁくそっ、口ン中切れた……。 で、背負ってきて、ベッドに寝かせようとしてもお前が……』『あたしがなによぅ!!』
『お前が俺にしがみついて離してくれなかったんだろ!!』

その瞬間、リディアの動きがぴたりと止まった。

『ゑ………?』
『どうしようもないからローザ起こして俺からお前離すの手伝ってもらって……。 それでもお前、起きもしなけりゃ離しもしないし……』

リディアの顔がみるみる赤く染まり、へなへなと力なくベッドに座り込む。

『……一緒に寝るしかないだろ』

しかめっ面をして痛そうに頬を擦りながらカインは大きな溜め息を吐いた。

『ご……ごめんなさい……』

申し訳なさと恥ずかしさのあまり、リディアはベッドに顔を埋め、そう小さく呟いた。


 
「ホントにごめんね……」

食事を終え、部屋に戻ろうとしたカインを追ってリディアが声をかけた。
その瞳は心配そうにカインを見上げている。

「いいよ、もう。 あんなの誰だって驚くだろうし」

そんな彼女を安心させようと、カインは肩を軽く竦め、微笑った。

「でも……」

赤く腫れた彼の左頬を痛くしないよう、そっと触れる。

「……痛い、よね……?」
「…………ま、少しはな。 でも、これくらいどうってことはないさ」

熱く熱を持った頬に触れる、少し冷たくて細い指。
思わずカリカリと頭を掻いて視線を宙に泳がせた。
リディアは殊更申し訳なさそうに項垂れてごめんなさい、と小さく呟く。

「もういいって。 夕べの散歩、楽しかったしな」
「うん! 楽しかったよね!! あたし、あんなに綺麗な夜空見たの初めてだよ〜〜!」

カインの言葉にリディアはぱぁっと明るい表情を取り戻した。
そんな彼女の姿に、カインも返事をするように優しげな笑みを浮かべる。

「またあんな夜空、一緒に見たいね!」
「そうだな……。 でももう平手打ちは勘弁だが」

リディアは一瞬ムッとしたが、またすぐに明るい笑い声を響かせた。

「もう寝たりしないも〜ん!」
「いや……」

足元に視線を落とし、苦笑いを浮かべる。

「寝るのは全く構わない……というか大歓迎というか……」
「うん? なぁに?」

ひょい、とリディアが可愛い微笑を浮かべてカインの顔を覗き込んだ。
邪な思いをめぐらせていたカインは彼女のあまりに無邪気な笑顔に思わず視線を逸らす。

「イエ、何も…………」

言いながら、深〜い溜め息をつくカインにリディアは不思議そうな表情をする。
けれどすぐに笑顔に戻して、

「幸せ、逃げちゃうよ?」
「………………」

爽やかな宿屋の朝。
に、あまり相応しくない暗い空気を漂わせ、がっくりと肩を落として歩くカインと反対に元気に笑うリディアがいた。


おしまい
(05'06/28)
 
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