【狼なんか怖くない!】
青い空、白い雲。
にぎやかな街並み、自分と同じ人間がいる風景。
「わぁ〜〜、やっぱりきれい……」
リディアにはその全てが懐かしくて嬉々とした表情で街を散策していた。
こちらの世界では数ヶ月だったと言うけれど、彼女の過ごした時間は10年余。
久しぶりに見る蒼い景色はリディアの心を否応なくときめかせた。
そして同時に、彼女はあまりにも無防備で少しばかり、警戒心が足りなかった。
1人で街を歩く愛らしい少女の姿はすぐに善くない者たちの目に留まってしまったのだ。
砂利を踏む音とともに、前方から大きな影がリディアに覆いかぶさった。
「?」
なにかと顔を上げ、見上げた先には1人の男が立っており、いやらしげな微笑を浮かべて彼女を見下ろしていた。
「こんにちは」
「こ……こんにちは……?」
気味の悪い猫撫で声。
リディアは思わず1歩、後ずさる。
「この街は初めて? さっきからキョロキョロしながら歩いてるけど」
「え? あ、はい、さっき……着いたばかりで……」
「大きな街だから慣れないと迷っちゃうよ。 ……お兄さんが案内してあげようか?」
「……え? でもあの……」
聞こえは親切心から出たような言葉。
しかし、明らかに怪しい。
『い〜い? 知らない人に声かけられても絶対着いて行っちゃだめよ』
出掛けにローザから言われていた言葉が脳裏をよぎった。
……ローザが言ってたの、こういうことなんだ……。
男の言葉の裏に気づいたリディアはもう1歩、後ずさりながら首を横に振る。
「いいです……。 1人で大丈夫だから……」
「どうして? 1人より2人のほうが見て回るのも楽しいと思うけど」
「え……や、でも……」
男性に声をかけられたことなどなかった彼女はどう対応したらいいものか解りかねていた。
断っても食い下がってくるし、じりじりにじり寄ってくる。
……ど、どうしよう……。
「ちょっとちょっとなにやってんだよ。」
背後からの声にリディアは顔を向けた。
見かねた周囲の人間が助けに入ってくれたのだと思ったのだ。
「ったく怯えちゃってんじゃん、彼女。 そんなんだからお前女にモテねぇんだよ」
「うっせえな。 だったらお前が最初ッから声かけろっつーーの」
――……この人も仲間なの〜〜!?
彼女のなかに芽生えた期待は木っ端微塵に砕けてしまった。
後ずさりをしようにもすでに囲まれてしまって動けない。
左右どちらからか一気に駆け出そうか。
だけど相手はリディアよりもずっと体格のいい男が2人だ。
うまく逃げられるだろうか。
もしつかまってしまったら……?
無意識のうちに膝が震えだす。
セシルたちと同じ男。
だけど違う、異質な人種。
皆が皆紳士だと疑わず信じていた彼女のなかで絶望と恐怖が入り混じった。
「あ〜あ〜、そんな泣きそうな顔しなくてもだいじょーぶだって」
「そうそう俺たち紳士なんだから、優しくエスコートしたげるからね」
リディアの腕を掴もうと大きな手が伸ばされる。
「ゃだっ……!!」
思わず身体を引くと、ドン、ともう1人の男にぶつかった。
すかさず細い肩を捕まえられてもはや自らの力では振り払えなくなってしまった。
「さ、行こう行こう」
「やだ! やだったら……! 放して!」
腕を引かれ、どうにか足を踏ん張って耐える。
けれどそう長く抵抗できるわけがなかった。
次第に引っ張る力は強まって、引きずられるように歩みを強制される。
「や……!」
きつく閉じた眼から大きな雫が零れ落ちた。
そのときだ。
「はいそこまで、だな」
聞きなれた綺麗なハスキーボイス。
おそるおそる顔を上げた先に、凛々しい青年の姿。
高い身長と長く美しい金髪が周囲の目を引く美青年だ。
冷ややかな視線の翡翠がリディアの手を掴む男を睨みつけている。
……カイン……!
リディアの眼が大きく見開かれて、その瞳には彼の姿が映された。
「な、なんだお前!」
「それはこっちのセリフだ。 人の連れになにしてる」
「つ、連れだぁ?? お前だってこの娘に声かける気だったんだろーがよ、そんな都合よく……」
「そのつもりならもっとうまくやるさ。 ……お前らと違って紳士だからな。 ほら、その手放を放せ」
リディアの背後で舌打ちの音が聞こえたその瞬間、背後で彼女の肩を掴んでいた男がカインに向かって拳を振り上げた。
「きゃぁっ、カイン……!!」
手で顔を覆い思わずカインを呼ぶリディア。
けれどそんな彼女の心配をよそに、パシッ、と乾いた音が響いた。
男の拳はカインの手の中だ。
「……ナンパもダメならケンカもダメなのか? イイトコなしだな」
にやりと不敵な笑みを浮かべ、眼にも留まらぬ速さで男の腕を捻り上げるとそのまま背負うように地に叩きつけた。
突然のことに受身など取れるはずもなく投げられた男は痛みに悶え、激しく咳き込む。
「さて、アンタも投げられたいのか?」
「ヒッ……!」
残った男の腕を掴んで引き寄せ、空いている方の手でその胸倉を掴んで締め上げた。
「それとも肩を外してやろうか。 肘から逆に折り曲げてもいいな。 ……なんなら2度と物が掴めないようにしてやってもいいんだぞ」
いいながらギリッ、と掴んでいる腕を逆に捻る。
「イッ! イテぇッ! は、はなせクソッ!」
「……あ?」
「いででででで! 解った! 悪かったよ! 俺たちが悪かったから放してくれ!」
その言葉にカインは嘲笑を浮かべ、手を放した。
「いつまでも寝てんじゃねぇよ、行くぞ!」
地面に倒れこんでいた仲間を引きずり起こし、そのまま逃げる男たちにカインは小さく舌打ちをした。
「あ……ありがとう……カイン……!」
「……ん。 何もされてないか」
「うん……。 だけどちょっと、膝が震えちゃってる……かな」
苦笑してみせるリディアの頭をカインは優しく撫でる。
「もう大丈夫だ……、怖かったな。 助けるのが遅くなって……すまない」
かけられた言葉にリディアは驚いたように眼を見開き、すぐにふるふると首を横に振った。
「何で謝るの? あたし、大丈夫だよ? すごく嬉しかった。 カイン来てくれて、すっごく嬉しかった!」
栓が外れたように彼女の瞳から涙が溢れ出す。
嬉しさをあらわすようにリディアはそのままカインの胸に飛び込み、しがみついた。
「怖かった…………怖かったから……カイン来てくれたとき、ホントに嬉しかったんだよ………」
「……うん」
「ありがと……」
「うん」
「あんな目にあうなんて思わなかった……」
「……ばか。 世の中セシルみたいなお人好しばかりじゃないんだぞ」
「だってあたしローザみたいにきれいじゃないし……子供だもん……」
口を尖らせる彼女にカインは心底呆れたように溜め息を吐いた。
「大人だろう、お前はもう7つの子供じゃない。 それこそ男から見れば一番かわい……」
「へっ!??」
「あっ?? あ、いやとにかく! もう少し警戒心を持てってことだ。 ……女、なんだからな」
「う、う、うん……っ……」
思わず俯き返事ばかりしてみせる。
……顔が熱い。
さっきカインが言いかけた言葉……それがどうしても耳に残ってしまって。
「…………」
「…………」
微妙な沈黙。
カインの胸にしがみついたままだったことに気づいたリディアは慌てて体を離した。
「ご、ごめん……!」
「……や、別に……いいけど」
涙に濡れた赤い頬。
カインがそっと、手の甲でぬぐってやる。
「出掛けるななんて言わないから、俺……でもいいし、セシルでもいい。 声、かけろよ」
「ん……」
「必ずだぞ。 どんな小さな用事でも、ひとりでは外に出るな。 ……心配、するから」
嬉しくて思わず顔が綻んだ。
深い意味はないのかもしれない。
それでもカインが自分の身を案じ気にかけてくれている言葉が嬉しくて、リディアは笑顔のまま大きく頷いた。
「……よし、じゃあ……行くか」
「えっ……、どこに??」
「街を見てまわりたかったんだろう? 今日は俺が番犬してやるから」
……番犬。
何だか似合っている気がしてリディアはクスクスと笑う。
嬉しさと楽しさとが入り混じってそれは行動に現れた。
「っと……」
突然腕に飛びつかれ、カインは小さく声を上げる。
「こうしててもいい? ……わんこカインさん」
「……わん」
「よーし、じゃあお散歩にしゅっぱーつ!」
「………わんわん」
こうしてリディアは街の散策に繰り出した。
彼女を守る、忠犬カインをお供につれて。
……その忠犬も、いつ狼に変わるか解らないけれど。
おしまい
(05'10/06)
1000hit月夜様のリクエスト作品でした。