【その腕で】

もっと手を伸ばせば届いてた。
その細い腕、掴んで引き寄せたなら助けられた。
俺は間に合わなかった。
いつだってそうなんだ。


……いつだって。




「リディア!!」

ローザが彼女の名を叫ぶ。

「きゃッ……!!」

短い悲鳴。
背後から突如鳥型のモンスターに襲われて、大きな翼がリディアの細い体を跳ね飛ばした。

「大丈夫か!?」
「へ、平気……!」

倒れ込む寸前でその体を受け止めて、ダメージにふらつくのを支えてやる。

「あとは私が……!」
「頼む!」

駆け寄ってきたローザにリディアを託して、俺は前線へ戻った。
ローザの魔力もあまり残ってはいない。
戦闘を長引かせるわけにはいかなかった。
ケアルラの詠唱を背に聞きながら俺は槍を、セシルは剣をモンスターに突き立てる。
凄まじい断末魔、耳がキンと痛む。
その瞬間、俺は迂闊にも動きを止めてしまった。
バサリと大きな羽音が聞こえて、突風が俺とセシルを掠め、吹き抜けた。

「ローザ……! リディア!!」

2人の顔が同時にこちらを向いた。
刹那、その可憐な面が恐怖に歪む。
放たれた凄まじい風は、石のつぶてを巻き上げながら鋭い刃となり2人を襲った。
駆け出して、伸ばした腕。
剃刀で切りつけたような熱い痛みは感じたけれど、指先に彼女を捕まえることはできなかった。


「っ……くそっ!!」

セシルが悪態を吐き、モンスターに止めを差した。
落ちた巨体がドスンと地を揺らす。

「大丈夫か!?」

彼女たちに駆け寄り、膝を突いた。
白い肌に幾筋もの赤い軌跡が痛々しい。

「わ……わたしは大丈夫……」
「ローザ……!」

セシルが小さく息をつく。
……しかし……。

「おい、リディア…! リディア!? 起きろ、おいッ!!」

地に横たわって動かない…彼女の体を抱き上げて何度も揺さぶり名を呼んだ。
くったり力無く俺の腕に身を預けたまま。

返事はしない。

瞼は開かない。

指先ひとつ、動かさない……!!

……乱れた思考回路を無理やり戻してリディアの様子を観察した。
呼吸は……ある。
若干苦しげ……だけれど。
掴んだ手首……脈も打ってる、規則正しく。
あちこち裂傷と切り傷、出血も認められるが、致命傷では……ないと思う。

「大丈夫……気を……失っているだけだ……」

……言葉尻が……揺れた、気がした。

 * * *

そのまま先に進むことなど当然出来ず、俺たちは一度最寄りの街へ引き返した。
宿で借りた部屋、柔らかなベッドにリディアをそっと、横たわらせて毛布をかけてやる。
隣に椅子を持って来て腰掛け、ため息とともに頭を抱えた。
……腿や二の腕など数カ所に白い包帯が巻かれ、あちこちに赤く血の滲む絆創膏。

守れなかった。
……守れなかった……!!
俺の手にあるこの槍は、力は…一体なんのためなんだ?

俺は……!!

不意に肩をたたかれて俺は顔を上げた。

「あなたもその腕……治療しなくちゃ……」

言われて、そう言えば左腕が切り傷だらけだったことを思い出す。

「いい。 放っておけば…このくらい」
「だめよ、結構深いでしょう。 今夜熱だって出るかもしれないわ」
「平気だって……俺は」

このくらい、たいした傷なもんか。
彼女の負った、この怪我に比べれば。
膝の上でぎゅう、と拳を握る。
情けない。
その傷は俺が負うべきだった。
彼女に、リディアに痛い思いなんてさせたくなかった。
その血を流すべきは、俺だったのに……。

「……っあ……!」

ローザの、溜め息にも似た声。
彼女に顔を向けようとした瞬間、握っていた俺の手に誰かが触れた。

戻した視線。
目覚めたばかりのアメジストの瞳が儚げに微笑い、俺を見つめている。

「リディ……!」
「ごめんね……あたし、倒れちゃったんだよね……?」

……小さな……声、だ。

「ばか………謝るな……。 痛むか? 熱が出てるだろう、辛くはないか。 食事はできそうか? 食べられるなら何か用意するぞ」

額を撫でて、気になったことを訊ねたら何故だかローザとリディアは揃ってクスクスと笑い出した。

「そんなにいっぺんに聞いてもリディア、答えられないわ」
「……ぁ……悪い……」
「ぅふふ…だいじょぶだよ。 カイン、あたし大丈夫」
「ん……」

どうにか口元だけで笑って、少し温度の高い額をもう一度撫でる。

「カイン、助けてくれたね……」
「何言ってる、俺は何もできなかった」
「見えたよ」
「?」
「ちゃんと見えてたよ……」
「なにがだ?」
「あたしの方に手を伸ばしてくれたの、ちゃんと見えた」
「…………だけど、届かなかったんだ。 この指は、手は……腕は、お前を救えなかった」

白く小さな手が伸ばされて、俺の左手に触れた。

「あたしのために……こんな怪我を…?」
「……情けない傷だ」
「そんなことないよ……。 ありがと……ごめんね、カイン……」
「だから謝るな。 俺こそ……すまない。 ……女の子、なのに……守れなくて」
「カイン……」

俯かせた視界の端で、リディアが困ったような表情を浮かべる。
湿った沈黙。
それをかき消したのはローザだ。

「カイン」

呼ばれて、俺は顔を上げた。

「ほら……手」

視線を向けた膝の上で重なる、血液に塗れた俺の手とリディアの手。

「温かいでしょう?」
「………………」
「顔、見てあげて」

言われて今度はベッドの上の彼女を見る。
今は少し笑っていて、俺が何度か瞬いたらその笑みを蕩けるように深くした。

「可愛い笑顔。 彼女生きてるの。 動いてる。 今こうして笑ってるわ」
「…………」

「……あなたが守った笑顔よ」

その言葉に、俺は思わず眉根を寄せてしまって。
きっと、へんな顔になってたと思うけれど。
だって…だって俺は本当に何もできなかったのに。
触れていただけの彼女の手が俺の手を握ってきて、俺もそれに慌てて握り返した。

リディアが微笑う。
満面の笑み、惜しみもしないで。

「ありがとう、カイン」

……甘美な響き。
俺はようやく、下手くそに笑った。


おしまい
(05'09/18)
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