続き→ トップへ 小説目次へ

■迷子と迷子4

ふぅっと息をふきかけ、淹れたてのココアを冷ます。
窓の外では、夕方の赤い空が、真っ青な晴天に戻ったところだった。
私はグレイやナイトメアに連れられ、再び執務室に戻っていた。
あれから何度も何度も、色んな扉を開け、結局元の世界に戻れなかった。

「何で戻れなかったんでしょう?」
首をかしげるしかない。いくら良い思い出がないと言ったって、
自分が育った場所と、見知らぬ異世界。その軽重は比べるべくもない。
「扉を開けるのが、早すぎたんだろうな」
クローバーの塔の主、夢魔ナイトメアはソファにもたれ、煙草を
吸いながらそう言った。
「そういうものなのですか?」
グレイに、もう一度淹れて頂いたココアを飲みつつ、私は聞いた。
「扉は行き先が定まっていれば必ず通じる」
夢魔さんは重々しくうなずいた。
口から吐かれた紫の煙が、ゆっくりと広がり、消えていく。
「私も深層心理まで読めるわけでは無いから、これは想像だが、
恐らく君はまだ、旅行気分でいるんだろう」
なるほど。まだホームシックには至らないと。
「そういうことだ。だから、やはり少しここにいたらどうだ?」
「でも私は財布を落としてお金を持ってないです。旅行道具も何も……」
するとナイトメアはソファから身体を起こし、目を輝かせ、
「なら、ここに泊まるといい!部屋はいくらでもあるからな」
「え!?あー、でも、その……」
何だか話がトントン拍子すぎて、申し訳ないけど警戒感が出てくる。
でもナイトメアの後ろで、直立不動で控えていたグレイが、
「リン。若い女性を、勝手の知らない世界に放り出すことは出来ない。
君はナイトメア様の恩人だし、塔には、客人一人を滞在させるだけの
余裕は十分にある。良ければナイトメア様のご厚意を受けてほしい」
うーん。あまり渋ると逆に失礼かもしれない。グレイは畳みかけるように、
「仮にこの世界に何か不満があったとしても、あの扉が塔の最上階に
あるんだ。君は帰りたいと思ったとき、すぐに帰還することが出来る」
あ、それもそうか。嫌になったらすぐに元の世界に帰れる。
時間も気にしなくていいらしい。
なら、やはり一生に一度の体験を楽しみたい。
グレイもすごく良い人そうだし、何か企んでるようには見えない。
「おいリン……、何でグレイだとすぐに警戒を解くんだ……」
眼帯で金の刺繍入りフリルつきシャツの夢魔が仰った。
「では、多分数日だと思いますが、よろしくお願いします」
私はそそくさとお二人に頭を下げた。
「こちらこそよろしく。もっとも、この世界に『数日』はないけれどな」
「あ、そうでしたね」
「こらーっ!!私を無視して二人で仲良くなるなあーっ!!」
何やらナイトメアが怒っている。
――異世界でしばらく過ごすんだ……。
物語の主人公になった気分になり、私はずっと感じたことのなかった
ドキドキで胸がいっぱいになった。

…………

あれから。なぜかナイトメアがふてくされて寝込んでしまった。
そのため、グレイが私を客室に案内してくれることになった。
「ここが君のために用意した部屋だ」
グレイが扉を押さえ、私を中に通してくれた。
「――っ!!」
王族が泊まるホテルかと思うほどの、広さと豪華さに言葉を失う。
「君は身一つでこの世界に来たからな。家具や備品も一通りそろえてある。
気に入らなければ別の部屋を用意するよ」
「いえいえいえいえ!十分です!!」
「そうか。それは良かった」
グレイは柔らかく微笑む。
「リン、二時間帯後に夕食だが、どうする?外を歩いてみるか?」
それもいいかも。でもさすがに疲れた。
ベッドにゴロンと倒れ込んで一眠りしたい。
「少しだけ休んでいます」
「分かった。では二時間帯後に、この部屋に迎えに行くよ」
「あ、それは大丈夫ですよ。もう道を覚えましたから、一人で行きます」
さすがに、何でもかんでもやってもらうのは気が引ける。
少しの間、お世話になるのならなおさらだ。
「そうか?別に遠慮しなくとも――」
グレイが言いかけるのを手を振って否定する。
「いえいえ。こう見えて、道を覚えるのは得意なんです。大丈夫ですよ!」
「そうか、分かった。では後で執務室で会おう」
「はい、色々ありがとうございました!」
扉がバタンと閉まり、靴音が遠ざかっていく。
静かになった部屋で、やっと私は一息つく。
――はあ、まさか森で迷ってこんなことになるなんて……。
古典的すぎる方法だけど、頬をつねってみる。
痛い。やっぱり夢じゃないみたいだ。
ベッドに背中からダイブし、大きく一息。そして目を閉じた。
――エース……また、会えますよね……?


私はガバッとベッドから跳ね起きる。
――ね、寝過ごした!!
ほんの少し目を閉じている間に、窓の外は、夕方の時間帯になっていた。
といっても、空の移り変わりが気まぐれだから、はたして何時間帯が
経っているのか。
――大丈夫、まだ間に合う!
私はバタンとドアを開け、部屋を飛び出した。
ナイトメアの執務室に向けて走り出した。道は完璧に覚えている。

…………

…………

エースに再会したのは、執務室に向かう途中のことだった。

道の向こうにエースが立っていた。
二人同時に相手を見つけ、走り出す。
まっすぐな緋色の瞳が、私をとらえ、輝いていた。

「リン!!」
「エースっ!!」

二人で手に手を取り、ダンスをするようにグルグル回った。
「良かった!もう会えないかと思ってました!!」
信じられない!こんな。まさか偶然に会えるだなんて!!
「俺もだ!あはは!!また君に出会えるなんて、俺って運がいいぜ!!」
二人で笑い合い、ひとしきりグルグル回り、やっと止まった。
……ぜ、ゼエハア。さすが騎士様。エースの方は汗一つかいていない。
「リンは、どうしていたんだ?」
エースが私の顔をのぞきこみ、心配そうに言う。
「はい。あれからナイトメアという方に出会い、クローバーの塔に
行ってました。それで少しの間、塔のお世話になることになったんです」
かいつまんで説明した。
「えーっ!それならハートの城に来てほしかったぜ!
せっかく君と一緒に過ごせたのに」
ええ!?エースはお城に住んでいた!?そんなー。
かといって今さら塔の滞在を断るわけにはいかない。私は肩を落とす。
でもエースは気を悪くした様子も無く、私の頭を撫でてくれた。
私は目を閉じ、恥じらいつつその感触を楽しむ。
「俺は壮大な冒険を経て、やっとドアにたどりついたんだ。それで
君を迎えに行こうとしたら、なぜか戻れなくて、今やっと会えた」
「そうなんですか!塔の中で再会出来るだなんて!奇跡ってあるんですね!!」

「……ひとつお聞きしたいのだが」

ふいにエースの声でもグレイの声でもナイトメアの声でも無い声が混じる。

「君が夢魔の執務室に出発したのは、何時間帯前だ?」

ん?誰だろう。私はエースに撫でられつつ、私は指を折って時間帯が
変わった数を数えた。
「ひい、ふう、みい……あ!六時間帯も経ってますよ!なのに
まだたどり着けないなんて……クローバーの塔って広いですね!」
まあ、おかげでエースに会えたからいいけど。
するとエースが明るく笑った。

「あはは。違うぜ、リン。『ここ』は塔じゃなくて森の中だ」
エースもニコニコしている。私は目をまん丸にし、
「ええ!?塔の中じゃないんですか?」
「だって、周囲の風景はどう見ても森だろ?」
「あ、そうか。でも不思議の国だから、そういうこともあるかなーって」
おかしいな。塔を出た覚えはないのに、何で森にいるんだろう。
いやいや、絶対に塔の中だ。きっとエースの方が間違っている。
恐らく道に迷ってるのを認めたくないんだろう。困った人だ。
「ははは。リン。道に迷ってるのを認めたくないんだ?」
「それはエースでしょう!」
そして面白くなって二人でアハハと笑い合う。
そこに、重々しい咳払いが聞こえた。
誰かが帽子を脱ぐ音がする。それから低い声が、

「一刻も早く立ち去ってほしいから、単刀直入に言う。
君たちが今いるのは、塔でも森の中でもない。我が帽子屋屋敷の門前だ」

4/5

続き→

トップへ 小説目次へ

- ナノ -