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■つけこまれたお話

 空が青い。
 クローバーの塔から出て、カラフルな市場を抜けると、
ファンシーな市街地に入る。
 街並みもファンタジーだけど、行き交う人もすごい。
 ネコ耳、ウサギ耳、ネズミ耳……実に色んな方がいるものだ。
 全員、仮装ではなく本物。
 エリオットに初めて会ったときも衝撃だったけど、本当に別世界に来たんだと
改めて実感させられる。
「リン、俺たちの行く方向はこっちだ」
 ふらふら歩いていこうとして、グレイに声をかけられる。
「……すみません」
「さあ、行こう」
 私は顔を赤くし、グレイの背についていく。
 私たちは二人で外回りをしているのだ。


 迷子の余所者リン。お掃除係から、グレイのお手伝いになった。
 『会合』が近いので、簡単な書類仕事などをさせていただいている。
 執務室ではグレイやナイトメア、他の職員さんともお話が出来るので、とても楽しい。
 グレイはお荷物であろう私のことを、とても気遣って下さる。
 今も『執務室にこもってばかりでは退屈だろう』と外回りに連れ出してくれたのだ。 
 ……ナイトメアは荒縄で縛り上げられ、執務室に無理やりこもらされているが。

「リン? 疲れていないか?」
「大丈夫です」
 グレイも外に出て気晴らしが出来たのだろう。
 彼の足取りは軽いみたいだ。
「そういえばこの先に、新装オープンしたカフェがあるらしい。
 スイーツ類も豊富で女性に大人気だそうだ。もし君が一休みしたければ――」
「いえ大丈夫です。お気遣いなく」
 仮にもお仕事の最中なのだ。
「そうか」
 ……え? なんかガッカリされてるような。
 もしかしてグレイ自身が休憩したかったのに、いたらぬ私が気づかなかった流れ!?
 気まずい! 一瞬で気まずくなった!
 内心慌てつつ、グレイを追う。
 
 そのとき、人混みに赤いものが見えた気がした。
 
 ――あ……っ。

 バッと振り向き、そちらを凝視する。
「リン?」
 ……違った。単に赤い服を着てるだけの顔無しの人だった。
「いえ、何でもないです。ごめんなさい」
「また何かに気を取られたのか? ちゃんとついてきてくれ」
「あはは。すみません」
 グレイは苦笑し、歩き出す。
 私は笑い、落ち込む本心を悟られず済んだことに安堵した。

 ――『落ち込む』?

 何で落ち込むんだろう。
 あんな騎士に会えなかったくらいで!
 私は気を取り直し、グレイに話しかけた。
「すみません。グレイ。私、やっぱり喉が少し渇きました」
「そうか? なら行こうか!」
 グレイは嬉しそうだった。
 
 …………

 そのカフェは、女性客やカップルの多い、オシャレな雰囲気のカフェだった。
 私たちは店の外側の、パラソル付きテーブルに座っていた。
「こ、これは……っ!!」
 一口食べ、とろけるような口溶けに目を見張る。
 異世界のスイーツの美味さ!! こんな美味なものがこの世にあったとは……!!
 私は一心不乱にバクバクと、名物のスペシャルパフェを頬ばった。
 アイス五段重ね! 自家製生クリーム! 
 各種素材で豪華すぎるくらいにデコられた、まさに目玉商品!
 ……外回りの最中に食うべきものではないかもしれないが、釣られてしまった。
 だって! グレイも調べてきたみたいに『これが一番人気らしい』って勧めるんだもん!!
「そんなに美味しいのか?」
 向かいの席で珈琲を飲みながら、グレイが聞いてきた。
「です。元の世界に帰ったら商品化したい美味さですね!」
「そうか。気に入ってもらえて良かった」
 グレイはちょっと複雑そうに笑う。
 う。しまった。失言した? 失言した?
 別にこの国が嫌だとか、そう言ったわけではないのですが。
 どうも、最近たまにかみ合わない気がする。話をそらさねば!
「そ、それで、この後はどちらを回るので?」
「ああ。そろそろ塔に戻るよ。ナイトメア様が仕事をサボっておられるかもしれないからな」
 役持ちが街を歩くこと自体が、一定の犯罪抑止効果になるのだそうな。
 私が思う以上に『役』というのは、この世界では重要なことらしい。
「そうですね。では急いで食べないと」
「ああ、急がなくても大丈夫だよ。
 ゆっくりでかまわない」
 そうは言われても、つい急いでしまう。
 し、しかしこのスペシャルパフェ。なかなかボリュームがある。
 ついに私のスプーンが止まってしまった。
「ちょ、ちょっと一人で食べきるにはキツい量ですね」
「まあ、雑誌……いやメニューにも『2〜3人様用』と書いてあったからな」
 腕組みをするグレイ。
 そ、そういえば周囲を見ても友達同士やカップルでシェアしてる人ばかり。
 一人で食ってるのは私だけ!?
「ううう……」
 三分の一も残っているパフェを前にうめいているとグレイが、
「手伝おうか?」
「いいので?」
「甘いものが苦手というわけではないよ。さあ」
 優しいあなたが天使に見える。
 目で促され、私はパフェのスプーンを――。

「あっれえ? ずいぶんとトカゲさんと仲が良いんだな、リン」

 カラッとした爽やかな声が響いた。
 
「エース!」
 冗談ではなく、殺されるかと思った。
 気配を感じさせない、という表現を初めて実感する。
 それくらい、ハートの騎士エースは私の間近に立っていたのだ。
 彼は私を見下ろし、ニコニコと笑っている。
「騎士か。気を利かせてとっとと消えればいいものを」
 逆にグレイは声を低くする。さっきまでの笑顔を消し、冷たい視線をエースに向けた。
「ん? 利かせてるよ。ああ、続けていてもいいんだぜ? 
 トカゲさん、すっっごく嬉しそうだったもんな。
 俺から見ても、リンとトカゲさん、完璧に恋人同士みたいだった」
 エースは笑顔なのに、言葉の端々にトゲを感じるのは気のせいか。
「あ、あの、エース……これは外回りの休憩で……」
 説明しようとしたが、その前にグレイが立ち上がる。
「リン。悪いが待っていてくれ。
 俺は騎士と話をする……ああ、大丈夫だ。代金はこれで。彼女に珈琲を」
 後半の言葉は何事かと寄ってきた店員に向けたものだ。
 しっかりと代金支払いまで済ませ、他の客を動揺させないよう、席を立って歩き出す。
「リン。すぐ話を終わらせるからな――来い、騎士」
 私に動かないよう念を押し、エースには冷たく言い、歩き出すグレイ。
「すぐ戻るからな、リン。俺ともデートしてくれよ」
 気楽に手を振るエース。
 後に残された私は……皆さんの注目と三分の一残ったパフェを前に、
居たたまれなかった。

 …………

 グレイが戻ってきたとき、時間帯は夕暮れに変わっていた。
 私は珈琲を飲み終え、完全に溶けたパフェのアイスをちまちまと口に運んでいた。
「リン。良かった。ちゃんと待っていてくれたんだな。
 遅くなってすまなかった」 
 信用がございませんで。
 私がまだ席にいたことに、グレイはホッとしたようだった。
「て、グレイ! お、お怪我を!?」
 びっくりして立ち上がる。大声を出したから周りのお客さんが見ている。
 だけどグレイは傷だらけだった。
 頬や手の甲を浅く切り、自慢のスーツにもいくつか傷が出来ていた。
 襟元が斬られ、トカゲのタトゥーがよく見える。
「いったいどうされたんです! それにエースは……」
「大丈夫だよ、リン。血が止まっているし、服も時間が経てば元に戻る。
 本当に何でもないんだ」
「でも……!」
「騎士と、よく話し合ってきた。もう君に近づかないよう強く警告をしたよ」
「え」
 警告? あのエースに?
 グレイは傷なんて無いかのように笑う。
「さあ、そろそろ塔に帰ろう。ずいぶんと長い外出になってしまったな。
 今頃ナイトメア様が××××になっているかもしれない」
 ややブラックなことを言い、グレイは私に微笑む。
「さあ、帰ろうか」
 私は拒む理由もなく、立ち上がった。
 エースの様子を見に行きたい、とは言えなかった。

 
 空は変わることのない夕暮れ。
 道に伸びる影がやけに長く、寂しい。
 私はグレイと並んで歩く。
 帰路でも迷子癖は健在。私は何度かわき道にそれかけたが、
そのたびにグレイが連れ戻してくれた。
「……あの」
「どうした?」
 自分から話しかけたのに、言葉につまる。
 聞きたいことなら山ほどあった。

 エースとは何を話し合ったのか。
 エースに近づくなと言ったのか、それに対してエースはどう反応したのか。
 話し合いが決裂し、その結果、斬り合いになったのか。
 
「お怪我は大丈夫ですか?」
 結局、それだけ言った。グレイは嬉しそうに笑う。
 いや、本当に何もしてないんだから、気になりますって。
「心配してくれてありがとう。でもこれくらいは、どうということはない。
 俺はナイトメア様の護衛でもあるからな」
 そうらしい。ナイトメアの補佐官のこの人は、役持ちだけあって、色々すごい。
 血の止まりや回復力も早いし、それ以前に頑丈。元の世界とは
比べものにならないみたいだ。
「もう心配はないよ。奴が君に手を出してくることはない。
 俺から離れなければ安全だ」
「……はい」
 だから、本当にどういう話し合いをしたんだろう。
 無理してでもついていけば良かったのか。
 でも自信を持って言われ、こちらも何とか笑顔を作るしかない。
 エース。大きな怪我をしてないだろうか。
 また迷子になっているんだろうか。
 夕暮れの迷子は寂しいものだ。
 今は一人で山野をさ迷っているのだろうか。
 どんな気持ちで? 私のことを少しは考えてくれているだろうか。

 なぜだろう。胸がギュッとしめつけられる。

「リン。奴は君を恋人だと言い、君もそれに同意していると言った。
 他にも色々話してくれたが……」
 うう。やっぱり言いましたか、エース。
「だが確認させてほしい。君は騎士の恋人ということに、本当に同意しているのか?」
「まあ同意したというか、強制同意だったというか、何というか」
「強制か。なら恋人ではないな。安心したよ」
 え? 一秒でカタがついた!! 散々悩んでたのに!
「い、いえ、いえ、でも……」
 惹かれるところがないわけでもないし、何だかんだで始終嫌がっていたわけでもない。
 けど、複雑な心理をどう説明したものやら……。
「心細い心理につけこまれたんだな。可哀想に。だがもう大丈夫だ。
 奴に怯えず、勇気を持って拒んでいけばいい」
 何かたたみこまれた!
 だけど、正面切って反論出来ないのが、私とエースの現実だ。
 それに、私のために怪我までしてくれたグレイにそんなことは言えない。
「ごめんなさい。でもそんな危険なことは、もうしないで下さい。
 グレイが私のために怪我をされるとか、本当に嫌なので」
 そう言うと、グレイは嬉しそうに笑う。
「ありがとう。君は本当に優しい人だ」
 ん? 優しい『子』ではなく優しい『人』? なぜか格上げ?
「ほらリン、また道を間違っているぞ。君が帰るのはこっちだ」
 グレイに手をつかまれる。
「わっ」
 また道を間違え、ハートの城に行きかけていた。
「ごめんなさい」
「かまわないよ。さあ、行こう」
「はい」
 グレイに手を引っ張られながら考える。
 私はやっぱり、エースにひどいことをされ、ちょっと精神的に変になってたんだろうか。
 こんなに頼りになるグレイの言うことだ。彼の言うことが正しいのかも……。

 ううう。思考の方向が定まらない。
 迷子癖と一緒に優柔不断にもなっていないか、私。
 元の世界でもそうだったけど、私はイマイチ決断力というか
『自分』の軸がしっかりしていない。
 エースのことにしてもそう。
 優柔不断で流されやすいのだ、私は。

「リン。良かったら、二人で一緒に食堂で夕食を取らないか?」
 唐突にグレイが言う。
「へ? え?」
 物思いにひたっていた私はポカンとした。まあそれは構わないけど、
二人きりは初めてじゃないだろうか。
 何でナイトメアを誘わないんだろう。
「もちろん変な意味はないよ。
 ただ慌ただしかったから、埋め合わせをしたいんだ」
 慌ただしかったのはグレイだけな気もしますが。
「ああ、もちろん嫌なら構わない。遠慮しないでくれ。
 俺も女性の君に失礼な――」
「いえ、とんでもありません! 行きます! 楽しみです!」
「そうか、ありがとう」
 グレイがすまなそうな顔をするので、慌ててしまった。
 あ。でも忘れてた。
 私の日課。扉を開けて、元の世界に戻れるか試さないと。
「グレイ。帰ったら先に、いつもの扉のところに行ってみ――」
「すまない、リン。そうしてあげたいんだが、すぐナイトメア様の
手伝いに行かなければいけないんだ」
「あ、すみません。では他の方にご案内いただければ――」
「会合の前で手の空いている職員はいないだろう。
 仕事はたくさんある。君にも手伝ってほしい」
「あ、はい」
 何か即答ですな。でもグレイだって私のことにばかり構っていられない。
 夕食を一緒にしてくれるだけで、十分だ。
 うう、この方向音痴さえ治ればなあ。
 そうしているうちに、やっとクローバーの塔が間近に見えてきた。
 塔の明かりにホッとする。
 不思議だ。どこかへ帰れることに安堵するなんて。
「さあ、がんばろう、リン」
「はい!」
 グレイに手を引かれ、笑顔になる。

 ……それはそれとして、いい加減に手を放していただけないだろうか。

 …………

 …………

 仕事は順調だった。
 正確にはナイトメア以外が順調だった。
 グレイの留守をいいことに、領主様は縛られたまんま爆睡していたそうな。
 戻ったグレイはいつも以上に元気そうに、上司を叱りつけ、他の職員にも
ゲキを飛ばし、仕事を再開させた。
 グレイが戻り、皆さんの志気も大いに高まったみたいだった。
 私もグレイに、金魚の何とかのごとく引っ付き、細々とした仕事を
アタフタとこなした。
 ちなみにナイトメアは大量の書類に泣きながら、時折恨めしげにグレイに、
『楽しいデートだったみたいだな〜。顔がにやけているぞ』
『だけどおまえ、グレイなのにちょっと思考が黒くなってないか?
 え?”上手いこと言ったつもりで寒いんですよ”って、ひどいぞ!』
『彼女は全っっっ然意識していないぞ。先は長いな〜』
 とボソボソつぶやいていた。険悪な雰囲気だけは伝わってきたが。
 しかし、会話はよく分からないけど、グレイに彼女さんがいたとは意外だ。
 なら、なおのことグレイにオフの時間を確保していただくべきではなかろうか。
 ちなみに当のグレイはナイトメアに、
『グレイ!! その画像は止めろ! せ、せめてモザイクを……リアルに吐く』
 上司の読心術を利用し、グロ画像を送信するというエグい仕返しをしていた……。

 …………

 …………

 窓の外に星空が見える。
『食堂』から出るとき、もう眠くて眠くてフラフラだった。
「リン。大丈夫か? ほら、俺の腕につかまって」
「す、すみません……」
 眠い。本当に眠い。
「すまない。君の体力を考えず労働をさせてしまって……」
「いえ私こそ、ほとんどお役に立てませんで……」
「そんなに自分を卑下しないでくれ。君はちゃんと俺の助手をしてくれた」
 そう言われればそうだと、少しは胸を張れるだろうか。

 仕事が長引いたのだ。
 いやグレイは通常運転。ついていけずバテたのは私の方だ。
 グレイの労働量は半端ではなく、彼に引っ付いていた私の労働量も、
必然的に過大なものになってしまった。
 私の足下がフラフラなのに、ナイトメアが気づいてグレイを叱責。
 そのときのグレイの慌てようといったらなかった。
 危うく大勢の目の前で、お姫様だっこをされてしまうところだった。
 私は部屋に戻ると遠慮したが、グレイは半ば強引に休憩を宣言し、
私を執務室から連れ出した。
 ちなみに連れて行かれた先は『食堂』とは名ばかりの、
クローバーの塔VIP専用ルーム。
 グレイはいつの間にかフルコース注文済みだった。
 夜景を眺めながらワイングラス(当方オレンジジュース)で乾杯という、
似合わないことまでしてしまった。
「すみません。あんな豪華な料理をおごっていただいて……」
 グレイはともかく、私の身分では不釣り合いすぎる。
「埋め合わせがしたいと言っただろう? 気にしないでほしい。
 ほら、しっかりつかまって」
 グレイの腕から手を放そうとすると、つかまるよう促される。
 拒否するのも失礼なので、お言葉に甘えさせていただいた。
 私は情けなく就寝だが、グレイはまだまだ仕事をするつもりらしい。
「いえ、眠気も覚めてきましたし。このあたりで――」
 廊下を通る職員さんに、部屋まで案内してもらえばいいか。
「いや、まだ足下がふらついているよ」
 そうかな? 本当に目が覚めてきたと思うけど。
 そしてグレイの次の言葉に、本当に眠気が吹っ飛んだ。

「そうだ、今夜は俺の部屋に泊まっていってくれ。
 いや、いっそ、俺の部屋を君の滞在場所にしよう」

「え……」
 さすがに凍りつく。グレイは真顔だ。
 それは……どうだろう。
 本気でグレイが誤解される。ヘタをすれば噂になる。
 どうやら彼女さんがいるらしいのに。
 一線を越えている。

 あ、そうか、冗談だ。グレイは真顔で冗談を言ってくるから困る。
 危ない危ない。本気で返答して恥をかくところだった。
「リン。それでいいな?」
 グレイはまだ冗談を言っている。
 何でだろう。エースに対峙するときと同じくらいの緊張感があった。
「も、もうグレイ。冗談言わないで下さい。彼女さんにも怒られちゃいますよ?」
 何とか笑って言うと、
「俺には恋人はいない。ああ、妙な誤解を与えたなら申し訳ない。
 君の安全のための措置だ。俺はあまり部屋には戻らないし、
騎士のような真似もしない」
 ん? あれ? 彼女はいない? ならナイトメアは誰のことを……。
「リン、構わないな?」
 グレイ、どうしたんだろう。何か強引だ。
 しかも冗談ではないらしい。
「いえ、でも……」
 グレイが私を見下ろしている。
 今更ながら気づくが、グレイの瞳は黄。
 首もとにはトカゲのタトゥー。
 は虫類。トカゲなのに、なぜか蛇ににらまれている、そんな気分がした。
 窓の外は暗く、廊下の明かりがやけに頼りなく感じる。
「でで、でも、本当に大丈夫ですから。それにグレイがあまり部屋に
いらっしゃらないのなら、結局意味がないような……」
 もごもごと言うと、グレイはフッと息をはく。
 するとさっきまでの威圧感が消え、空気が軽くなった気がした。

「――そうか。すまない。そうだな。君の気持ちも考えず、本当に悪かった」
 目を伏せ、心から申し訳無さそうに言う。
「ご、ごめんなさい。グレイ。でも、あの、恋人でもないのに、一緒の
部屋は、その、迷惑かなって……」
「迷惑でも何でもないよ。君は迷子癖だし、騎士も同様だ。
 この前のようなひどいことがまた起こってはならないと心配するあまり……」
 私の手首をチラッと見る。
 もう傷は治り、バンドもしていない。
 だけど恥ずかしくなった。
 エースは私との関係をどこまで話したんだろう。
 もしかすると相当、踏み込んだことを言ったのかもしれない。
 グレイがこんな真似に出るくらいのことを……。
「許して欲しい。本当にすまなかった。君に迷惑をかけた」
 グレイが私に頭を下げてきたのでぎょっとする。
「謝らないで下さい! そんな、私こそ。
グレイは何も悪くないし、私は迷惑でも何でもないです!」
 わ、私、失礼だった?
 グレイに頭を下げさせたのが申し訳なくて必死で否定する。すると、
「そうか。なら遠慮していただけと取っていいんだな?」
 グレイが目を伏せたまま言う。
「え? あ、はあ」
 返答がつい、あいまいになる。
「なら良かった。ではすぐに俺の部屋へ行こう」
「は?」
 あ然とする。
「迷惑ではないと言っただろう?」
 グレイは不思議そうに私を見る。
 そんな顔をされると、だんだん、私の方がおかしいのではという気になってくる。
「いえ、言いましたが、それはその……」
 グレイは笑う。頼もしい大人の笑顔だ。
「過度の遠慮は不要だ。もう君は塔の住人だからな。
 もちろん騎士のような、不埒なことはない。それだけは安心してくれ」
「あ、はい」
 そういったことを保証されると安堵する。
 そこまで思考し、やっぱり変だと思う。
 断ったはずなのに、何でグレイの部屋に滞在することが決定しちゃってるんだろう。
 エースのことをのぞいても過保護すぎるし、色々問題がありすぎる。
 ハッキリ断らないと。
「あのグレイ。今のお話ですが、私やっぱり――」
 するとグレイは慈愛の目で、
「どうしたんだ? もちろん君の希望と安全が最優先だ。
 他に良いアイデアがあったら提案してほしい。何があるだろう?」
「いえ、いきなりそう言われると……」
 確かに私はいつどこに行くか分からない迷子癖だし、グレイが
一緒にいる方が危険は少ない。
 居候の身分で警備をつけていただくわけにはいかないし。
 なら、どうすれば――。
 眠い。仕事で疲れ、頭がうまく働かない。
「ええと……」
「無いだろう? なら行こう」
「え? いや、あの……」
 今度はグレイは止まってくれない。

「……君のためなんだ」
 
 そうつぶやくグレイは、自分に言い聞かせているようにも見えた。 

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