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■おうちに帰れない・下

「ずいぶんと探した……何事もなくて、本当に良かった」
グレイは息を切らし、警戒するように帽子屋屋敷の人たちを見ている。
「ええと、日常生活がこんな調子になりますです」
私は真っ赤になってうつむき、答えた。
「ふむ。余所者に振り回される生活も楽しそうではあるが」
ブラッドさんは全く表情を変えず、優雅に紅茶を飲む。
他の方は半笑いであった。

夕暮れの空に、少し冷たい風が吹く。
クローバーの塔への帰り道、グレイは疲れた様子だった。
「すみません。あちこち探し回っていただいて……」
「外に出たのなら人に道を聞くか、迷子札を見せろと言っておいただろう」
「その、自分でも外に出たことすら自覚がなくて」
「そ、そこまでなのか!?」
「はあ……」
頭をかきかき、お土産の袋を抱え直す。
グレイは苦々しげにそれを見下ろし、
「帽子屋屋敷の連中にも気に入られたようだな。だがあまり深入り
しないでくれ。連中はマフィアだ」
マフィア!?あ、でもお茶会のときにそう説明された気もする。
「だ、大丈夫ですよ。お掃除道具を分けていただいただけですから」
いやあ、助かる助かる。汚れが勝手に戻る世界なだけに、塔の清掃用具の
備品も不足がちだったから。油汚れに強い洗剤、お焦げがよく落ちるタワシ、
真新しい雑巾、たくさんいただいてしまった。
「ナイトメア様は、君が滞在してくれたことを喜んでおられる。
だから君も、別に無理に掃除をしなくともかまわないからな?」
グレイはため息をつく。
「大丈夫ですよ。何かしたいだけなんで。あ、もうすぐ塔ですね!」
「……て、リン!どこに行くんだ!そっちは全く別の方向だぞ!!」
肩をつかまれ、きょとんとしてグレイを見る。
「え?でもこっちの方向ですよね?」
「そっちはハートの城だ!クローバーの塔はあそこに見えているだろう!」
「ええ!?あれ!?す、すみません。グレイ!こっちですね!」
「いやその方向は帽子屋屋敷だ!さっきまで君が歩いていた道だろう!」
グレイは嘆息し、意気揚々と進もうとする私の傍らに立つと、
「あ……」
温かい。
「これで安心だな。手を離さないでくれよ」
私の手をしっかりと握るグレイ。
「はい……」
身体がフワッと安心感に包まれる。誰かが連れて行ってくれるなら大丈夫だ。
「手のかかる子だな、君は」
……いえ、迷子癖はこの世界に来てからなんですが。
「もう迷子にならないでくれよ?」
でもグレイの笑顔が温かかったから、私は特に反論せず。
「はい!」
握られた手の温もりを強く感じながら、塔への道を歩いていった。

…………

茂みから顔を出した人は、言った。
「……ちゅう?」
「ちゅうちゅう?」
つい、同じように返す。何だろう、私の目の前に現れた人は。
何だか変わった服を着ている。そして獣耳がある。
――はて。クマ?ネズミ?
手を伸ばし、お耳に触れる。うわー、柔らかい。
エリオットさんの耳にも触りたかったなー。
サワサワと撫でていると、その人は何だか嬉しそうに、
「く、くすぐったいよ、止めてよ」
「あ、しゃべった」
そりゃそうか。人っぽいし。
ウサギ耳のエリオットさんもしゃべってたもんね。
「俺、ピアス。お掃除ネズミ」
ネズミさんだったのか。
「私はリン。お掃除の仕事をしています」
すると、ピアスは目を輝かせ、
「本当!?君もお掃除をしているの?お掃除仲間だね」
「ですね」
……いや『ですね』なのか?しかし相手は一気にフレンドリーになった。
「ちゅうちゅう!女の子のお掃除仲間!嬉しいな!ねえ、ちゅうしていい?」
「え?はあ!?」
相手に抱きしめられそうになり、それは慌ててよける。
というか、ここは?私は塔の掃除をしていて……。
「ピアス、ここはどこですか?」
「ここ?森の中だよ?」
……しまった。また外に出て迷子になった……!!
「いえ、森というのは分かりますが、どこの森ですか?」
「ちゅう?森は森だよ?ねえ、ちゅうしようよ!」
「いえ、そりゃまあそうですが……ん?」
よく分からないやり取りをしていて、言葉を切る。
時間帯が夜に変わったのだ。
――またグレイに迷惑がかかるー!!
私は慌ててピアスに迷子札を見せ、
「あ、あのですね、ピアス!私はクローバーの塔の者です。
どうかクローバーの塔に連れて行って下さい」
「ええ?クローバーの塔?うーん。ナイトメアは好きだけど、トカゲさんが
怖いし。俺ね、トカゲさんに嫌われてるみたいなんだ」
「いえ、大丈夫です。入り口まで送って下さるだけでいいですから!」
「でも俺、お掃除ネズミで嫌われてるから……。
ねえ、それよりこの薬を飲んでよ」
「はあ?」
唐突に薬を取り出される。な、何か話がイマイチ通じにくいというか、
距離感のつかめない人だなあ。
「この薬を飲んで。大丈夫だよ」
「飲むとどうなるんですか!」
見知らぬ男に唐突に薬を飲めと言われ、十万人中何人が飲むというのだ。
「俺の家に遊びに行けるようになるよ?夜だから泊まっていきなよ」
「いやいやいや!」
夜中に薬を飲んで、見知らぬ男性の家に泊まりに行けと。
どれ一つ取っても危険な匂いしかしない。
手をブンブンと左右に振る。するとその方は悲しそうな顔になり、
「言うことを聞いてくれないんだ。お掃除仲間なのに……」
悪い人じゃなさそうだし、下心や裏があるようにも見えない。
もしかしたら本当に薬は家に瞬間移動するものか何かで、善意で泊めて
くれようとしているのかも……いやしかし……。
「そもそも、知り合って一時間帯しか経っていないでしょう!」
急速に、夜の森に男性と二人きりという状況に不安が広がっていく。
「俺の言うことを、聞いてくれないのなら……」
お掃除ネズミさんが懐に手を入れる。そして怪談のようにスゥーッと
引き出されたのは、夜目にも分かる……血の跡が残る……のこ、ぎり……。
「いやあああっ!!」
逃げ出しました。高速で。
「あ、待ってよ!何もしないから!」
――血のついたノコギリを持っている時点で、何もしなくても逃げるわ!!
捕まえられたら何が起こるか分からない。
「ねえ、お願い、待ってよ!」
「誰か!誰か助けて下さいー!!」
夜の森を走り、暗闇に必死に呼びかけた。
そして。

「よし来た、この正義の騎士に任せてくれ!!」

目の前に。二度と見ることはないだろうと思った赤い影が立ちはだかる。
「あ……騎士!!」
後ろでピアスの怯えた声。そして私の肩を力強く抱く誰かさんは、
「ネズミ君か。女の子を襲うなんて、男として最低だぜ!」
「誰かー!誰か助けて下さい!!」
闇夜に必死に呼びかける。
「あはは!だから、俺が助けてあげるって!!」
「あなた以外の人に助けてもらいたいんですよ!誰かー!!」
しかし、私の声に応える人は、もういなかった。

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