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■おうちに帰れない・上

「ふう……」
ため息をつき、窓をふきふきする。肩を落とし、少しきれいになった窓と
その外の庭園を眺めるけど、気分は晴れない。
私はリン。元の世界から森を迷って異世界に来た。
「何で扉をくぐれないのかなあ……」

この世界で過ごし始めてほどなくして。
知り合った騎士に無理やり抱かれた。
少し時間帯が経った。
お世話になっているナイトメアもグレイも、あのときのコトをほのめかす
ような真似は一度もしない。むしろ声に出さず気遣ってくれていた。
だから私も部屋に閉じこもってはいられず、またお掃除の仕事に戻った。
元の世界に帰らないのかって?
もちろんあれからすぐに塔の最上階の扉を開けた。
何度も何度も。
何時間帯も経ち、グレイやナイトメアに止められるまで。
でも、扉はどこへも通じなかった。
あんな目にあってまで、観光気分でいられるわけがないのに。
――エース……。
あれ以来、私に会いに来ない。クローバーの塔にさえ姿を見せない。
殴ってやりたいと思う。けど、もう一度会えるんだろうか。
彼も私も迷子癖だ。私もいつ元の世界に帰るかどうか。
不思議の国なのに、会いたい相手に会うこともままならない。
でも彼を憎悪するかと言われれば……すぐにはうなずけない。
――私は、どうしたいのでしょうか。
ため息をつき、雑巾をバケツで絞って、隣の窓をキュッキュと拭き始めた。
と、そこに。
「なあ。よその客が掃除をしたくなるほど、うちの屋敷って汚れてるのか?」
「どうだろうな。外からでないと、分からない汚れもあるかもしれない」
「も、申し訳ありません〜、ボス〜!す、すぐに屋敷内の全面清掃を〜!!」
「お嬢様〜!お掃除は我々がいたしますので、もう結構ですよ〜」
「は?」
不思議に思って振り向くと、
「……え?」
目の前に変な人……コホン、変わった服の方がいた。
そうだ。いつかクローバーの塔の外の、お屋敷の前で会ったような……。
あと傍らに、何だか大きなウサギ耳の人がいる。ふかふかそう。触りたいなー。
他にも顔の見えないメイドさんや、使用人さんっぽい人たちがいた。
ずらりと並び、困り切った顔で私をみている。
大勢で塔にご用事なのだろうか。
私はお辞儀をし、グレイに教えられた接客マニュアル通りに、
「いらっしゃいませ、お客様。クローバーの塔にようこそ。補佐グレイと
領主ナイトメア様は執務室にいらっしゃいます。
執務室の場所は、他の職員にお聞き下さい」
するとなぜか沈黙が流れる。
「いや、お客様というか、あんたが客なんだが……」
「クローバーの塔にようこそって、ここ、クローバーの塔じゃないですよ〜」
――何!?
愕然として周囲を見る。帽子?帽子?見渡す限り、帽子のモニュメントが!!
「そ、そういえばクローバーの塔と少し内装が違うような……」
「全然違うだろう!!ここは帽子屋屋敷だ!!」
ウサギ耳の人からツッコミが入る。
「え、ええ!?帽子屋屋敷!?」

…………

屋敷の外の庭園にはお茶会の席が設けられていた。
色とりどり……ではなくほぼオレンジ一色のお菓子、美味しそうな紅茶の
匂い。そして私の目の前に紅茶が置かれる。
「どうぞ、お嬢様〜」
「どもです……」
私は身体を小さくし、頭を下げた。
「余所者は珍しい。いずれ正式にお茶会に招きたいと思っていたが、まさか
こんな形で招くことになるとは、さすがに予想しなかった」
首座で楽しそうに笑い、紅茶を飲むブラッドさん。
「掃除をしていて、塔から帽子屋屋敷に迷い込んだ?豪快な迷子だよね」
「門の前どころか屋敷の中に入り込むとか、騎士以上じゃない?」
下座の方に座るのは黒スーツを着こなす、赤と青の双子の青年。
なかなかカッコイイのですが、二人が持つ、ギラリと光る斧が怖い。
それと『騎士』という単語に身体がピクッと反応する。聞く勇気はないけど。
「黙ってろ!!おまえらがちゃんと門番をしてないから、余所者に
侵入されるハメになったんだろうが!」
激昂するウサギ耳の人。彼はウサギだけど、このお屋敷のNO.2で
名前はエリオットさんと言うらしい。
人がウサギの耳をはやしてしゃべる、という点で驚くべきなんだろうけど
色んなことがありすぎて『その程度』のことには慣れてしまっていた。
「だが、おかげで珍しい客人が切り刻まれずに済んだ。不幸中の幸いだな」
ブラッドさんがサラリと怖いことを言う。じ、冗談ですよね……?
「リンと言ったか。あれから、塔では平穏無事に過ごしているか?
異世界での生活は順調か?」
ブラッドに聞かれる。いえ全然、平穏無事じゃございません。
しかし言うわけにもいかないので、あいまいに笑う。
「ええ。皆さん、親切にして下さっています」
「そうか?トカゲや芋虫のところなんて、退屈じゃね?」
とエリオット。トカゲとか芋虫というのはグレイやナイトメアの二つ名
だそうな。何だか変な二つ名だけど。
「そうだよ、お姉さん!
塔なんてつまらないとこより、帽子屋屋敷に住んじゃいなよ!」
「迷子の騎士はごめんだけど、迷子のお姉さんは大歓迎だよ」
私を切り刻むかもしれなかった双子が、ニコニコ微笑む。
でも機会があれば元の世界に帰るつもりだし、そういう意味でも、私は
塔から離れる気は無い。私はぎこちなく笑い、
「すみません。私はすぐに自分がどこにいるか分からなくなるので
ご迷惑がかかると思います」
……言ってて思うけど、脳の重大な場所がヤバくなってないか、私。
元の世界に戻ったときちゃんと治るんだろうか。でないとあちらでの生活に
壊滅的な打撃が生じる予感がするんだけど。
そして、バタバタと庭園の草を踏み、誰かが走ってくる音がした。
「リンーっ!!また迷子になったのか!!」
……グレイだった。

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