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■塔の生活・下

私はうとうとしていました。
あー、ふかふか。ベッドが気持ち良い。
昼寝はいいですねえ。人類全てに平等に与えられた娯楽です。
草むらの上での昼寝も良いですが、長椅子でうたた寝するもよし、ベッドで本格的な
午睡を貪るも良し。暖かい中でまどろみながら、私はひたすら寝――
「カイ……もう××時間帯経った。そろそろ起きた方がいい」
声をかけられました。

何!?ま、まだ0.25時間帯くらいしか経っていないはず!
私は驚いて、ガバッと起き上がりました。あ、せ、背中が痛い……。
「……おはよう」
――あ。おはようございます。
ベッドの脇にグレイさんがいらっしゃいました。
グレイさんは、お客さま用の笑顔で、私に気まずそうに笑いかけます。
「女性の部屋に、勝手に入ってすまない。だがナイトメア様に、君を夕食に招待する
ようにと言われて、迎えに来たんだ」
確かに窓の外は、夜の時間帯でした。これは大変お手数を。
私はグレイさんに頭を下げ、客室のベッドから下ります。
……ていうか、普段着で寝ていました。

あの後、とりあえずあいさつを終え、客室に案内されたんです。
でも色々あって疲れた私は、旅行カバンを開けることもせず、そのまま超爆睡。
あははははー。
――やっべえ。先が思いやられます……。
フラつく身体で伸びをし、肩をコキコキほぐしていると、フッと笑う声がしました。
顔を上げると、グレイさんが私を見下ろし、笑顔になっています。
さっきのお客さま用ではない、グレイさん自身の笑顔のようです。
……そしてグレイさん、何かを決意した顔で、笑顔を消しました。

「さ、行こうか」
――はい、行きましょう。
と、私がうなずきますと、グレイさん、ちょっと厳しい顔になります。
「カイ。返事をしなさい。人に何か言われたら『はい』と返事をするんだ」
マナー指導が入りました……。
――は、はい……!
し、しかし、緊張すると逆に言葉が喉の奥に引っ込みます。
加えてグレイさんとは、つい××時間帯前に知り合ったばかりです。
ディーとダムとも、ろくに会話しなかった私に、どうして話が出来るでしょう。
「カイ」
しかしグレイさんに、容赦する気配はありません。
み、見下ろさないで下さい!プレッシャーが!もっと、心と身体が落ちついている
静かな昼の時間帯、誰もいないところで、ノルマ無しでこっそり壁相手にやっていい
というのであれば、声が出せそうな気がするのですが!
「……カイ」
笑顔のまま、声を一段階低くして、グレイさんは仰います。
――に、逃げたい……。
初日から始まった『話し方教室』に、私は早くも脱走したくなりました。

…………

そして、一時間帯粘られ、結局声は出ませんで。
精神的に疲弊しながら、ナイトメアの執務室に行きますと。
「カイ!遅かったな。こっちだ。座ってくれ!」
先にテーブルに座ったナイトメアが、手を振ってきました。
――おお!!
豪華なメニューが私を待っていました。テーブルには真新しいクロスがかけられ、
晩餐の準備がされています。アンティパストに魚介のスープ、舌ビラメのムニエル、
野菜のオイル漬け、ローストチキン、ケーキ盛り合わせに各種タルト、ショコラに
アイスクリーム、その他スイーツ色々……。
「君の歓待パーティーだ。小規模ですまないが、急な来訪だったからな」
どこが小規模ですか!クリスマスパーティーが地味に見える豪華メニューですよ!
――そ、そこまでして下さらなくても。
戸惑っていると、
「さあ、座ってくれ、カイ」
グレイさんが椅子を引いて下さいました。そして私が座ると、彼も椅子に座る。
――ど、どうも。
「よし、それじゃあ、いただきまーす!」
ナイトメアが顔をほころばせ、最初からアイスクリームに突撃する。
私も苦笑しながら、サラダを取ろうとして、そのサラダがスッと遠ざけられる。
「カイ……『いただきます』は?」
……グレイさんは、とても真面目な御方のようでした。


――別にしゃべれなくったっていいじゃないですか!そういうキャラで!
チキンスープをいただきながら、ナイトメアに愚痴りますと、
「いや、それだと色々問題が出るから、ここに来たんだろう」
異臭のする緑色のスープをつつきながら……ただし決して食さず、夢魔は苦笑い。
――まあ、そうなんですけど……何で声が出ないのでしょう?
「思い込みもあるだろうな。君の無口……医学的に言う選択制緘黙(かんもく)は、
ほとんど治ってるんだ。大体の臨床例でも、ふとしたことで治ったりする」
――ほとんど、治ってるんですか?これで?
「最初と違い、もう君の思考は問題なく私に伝わるし、表情も出ているからな」
ナイトメアは確信されているようでした。
そういえば、最初のときはナイトメアにも読心出来ない状態だったそうで。
あ、でもハートの国では、ちょっとずつ話せるようになってたんですよね。
「『引っ越し』のショックで、また少し揺り戻っただけだ。大丈夫さ」
――ええ。引っ越し前には、ディーとダムがいてくれたから……。
あの穏やかな時間が続いていたら、自然治癒していたかもしれない。
でも、現実は困ったものです。
「……その、頑張って治療していこう。俺も力になる」
グレイさんは、無言の私と心の読めるナイトメアの会話に入りにくい模様。ご自分は
あまり召し上がらず、ナイトメアのため魚の小骨を取ったり、チキンを切り分けたり
している……何かお母さんっぽい人だなあ。過保護だけど。
そして私も笑い、ケーキに手を伸ばしました。

こうして、ディーとダムに再会するための、塔生活がスタートしたのでした。


「カイ。『ごちそうさま』は?」
――……えと、あの、その……。
「グレイ。そういうのは逆効果なんだが……」
冷酷な表情で私を見下ろすグレイ、泣きそうな顔でうつむく私。
そして困った表情で、未だに緑のスープをつつくナイトメアでした。

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