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■何かお礼がしたいです!

廊下を一人、てくてくと歩いて行く。
窓からは気持ちのいい日差しがさしていました。
――結構、元気になりましたよね。
それもこれも、異世界の人間の面倒を、皆さんが親身に見て下さったおかげだ。
――何かお礼が出来ないものでしょうか……。
考えつつ、歩いていた私の足がふと止まる。
すぐ近くから良い匂いがただよってきました。
どうやらお屋敷の厨房まで来たようです。
そしてパッと頭にアイデアが浮かびました。

――そうだ!手作りのクッキーで、お返しが出来ないですかね!

寝込んでいる間に、ブラッドさんやエリオットさん、ディーやダムにプレゼントを
たくさんいただいた。高価すぎるものは辞退したけど、お花や本、お菓子などには、
とても慰めてもらった。
プレゼントなら、こちらの気持ちがいくらか通じるかもしれない。
私は足取りも軽く、いそいそと厨房に入っていきました。
が……。


熱気立ちこめる厨房には、使用人さん、メイドさんが駆け回っておりました。
どうやらお夕飯準備の、ピークタイムのようです。

「オーブン〜!鴨の蒸し焼きはまだ出来ないの〜?」
「時間帯が変わる前に、子羊のローストとカニのテリーヌ、早く〜!」
「エリオット様のニンジンスフレ、ふわふわが足りないわ、作り直し〜!」
「え〜、今から作り直しなんて無茶言うなよ〜紅茶班は楽でいいよな〜!」
「何よ〜、紅茶を淹れる苦労が分かるの〜?」
……バンバンバンっと、すごい銃声。
『銃弾飛び交う厨房』というのは、初めて拝見しました。
全員の声がダルそうなのがまた、恐怖に拍車をかけますです。
あ、頬のすぐそばを銃弾がかすめました。何か気絶しそうです。
と、そこでようやく、何人かの使用人さんメイドさんが、私に気づいてくれました。

「あ、お嬢さま〜!」
「全員、撃ち方やめ〜!カイお嬢さまに当たるわよ〜!!」

『撃ち方やめ』って、あんたら軍隊ですか。あと『全員』て。
ともあれ、銃声はようやく止まりました。
そして、厨房の入り口付近で立ち尽くす私に、親しげな声がかけられます。
「お嬢さま〜、どうされました〜?お夕飯までもう少しですからね〜」
「待てないのでしたら、何か簡単なものをお作りしますよ〜?」
あ、いえ、作ってほしいのではなく、作りたいのですが……。
「『簡単』なんて〜お嬢さまに失礼よ〜。冷蔵庫にウィークエンド・オランジェが
あったでしょ〜あれなら〜すぐお嬢さまに〜お出し出来るわよ〜」
「バターケーキは〜夕食前にご負担だろ〜。ザッハトルテはお好きですか〜?」
「それはもっと重いわよ〜。ガレット・デ・ロワの方がいいわよ〜」
「それならタルト・ポワールとケーニヒスクーヘンもありますよ〜」
あああ!何かまた撃ち合いが始まりそうな!!
あと甘い物は大々々好きですが、スイーツの名前がさっぱり分からんです!

……て、いえいえいえ!そうじゃないですよ!
いただくんじゃなくて、あげたいんですよ!お礼のクッキーを!!
と、私は好意200%の使用人さんメイドさんたちに向き直り、そう言おうとした。
するとメイドさんが鋭く、

「みんな、静かに〜!お嬢さまが何か仰ろうとしているわよ〜」

ピタリ。沈黙。
怒声、罵声、悲鳴に雑談が飛び交っていた、にぎやかな厨房が静まり返りました。

聞こえるのはぐつぐつ煮沸音、トントン材料を刻む音。もうもうと立ちこめる湯気。
ごうごう回る換気扇、ピーと鳴るオーブンの焼き上がりブザー。
全員が……私の発言のために待って下さっています。
さながら預言者の言葉を待つ信者のように。
す、すごいプレッシャーが!
業務用の指示やらでしゃべる必要もあるでしょうに、急がないと。
――その、厨房の一角をお借りして、クッキーを作らせていただきたいのですが。
と、勇気を出して言おうとしました。が。

――この一番忙しい時間帯に、一角と言えど仕事場を使われるのは迷惑なことでは?

オーブン一台を取られるのも大きいでしょうし、そもそもお礼をしたいためお仕事の
邪魔をするのは本末転倒と言いますか。
しかも自前の材料があるわけでなし、こちらの小麦粉や卵を借りるのですし。
というかそれ以前に、私にクッキー作りのスキルなんてあるのでしょうか。
何せ記憶喪失だし。『失敗しました、また作り直します』はもっと迷惑。
気がつくと私はまた、何も言えずに凍りついていました。

「お嬢さま、どうされました〜?」
「遠慮しないでいいんですよ〜?」
仕事の手を止めて、待って下さってるメイドさん使用人さんは笑顔です。
よ、余計いたたまれませんです。ダメ!!やっぱり言えませんです!
顔をこれ以上にないくらい真っ赤にし、うつむいて、泣きそうにしていますと、
「そ、そ、そうだ〜!しゃべるのがダメでしたら、書くのはどうですか〜?」
と、素早く紙とペンが出されました。私はそれを握りしめ、
――おおお!ナイスフォロー!!これで筆談が出来ます!
いつでも意思疎通が出来るじゃないですか!
――そうだ。手紙でお礼の言葉を伝えるって手もありますよね!!
私は紙とペンを受け取り、大喜びでペンを走らせようとして、

……ここ、日本語表記は通じるんですか?

この世界は英語と、あと、よく分からない何かの言語表記が使われています。
私の方が読む、聞くのはOKみたいですが、こちらから漢字を発信して伝わる?
多分、通じないでしょうね。なら……英語?
「お嬢さま〜?」
皆さんの優しい沈黙が、時限爆弾のように私を急かします。

――あ、あ、ありがとうって英語で何でしたっけ!?
ああああああ焦っていると余計分からなくなります!!
というかこれだけ待たせて『ありがとう』一言って、むしろイヤミでは!?
なら何を書けば、書けば!英語で!!

そして私は無事な記憶の奥底からどうにか単語を探し当て、書きました。

『cookeii!!!!』

……クッキーと書いたつもりですが。あ、合ってますよね?ね!?

渡した紙を見た瞬間、使用人さんメイドさんたちの顔には、笑みが浮かんでいました。
心からの慈愛の笑みが。
さながら一生懸命、がんばった子どもを見たような……。

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