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■嵐の前

夕焼けが、とてもまぶしい。
「カイ……」
目の前に立つ夢魔は、その細い腕をのばし、私をそっと抱き寄せる。
ふわっと香る薬品臭に赤の匂い。頬に彼の服のフリルが当たり、少し笑ってしまう。
「顔を上げなさい」
耳元でミステリアスにささやかれる。
でも……と、ためらっていると、じれたように、あごを持ち上げられる。
「カイ。私の目を見るんだ」
――ナイト、メア……。
淡紫の唇、白皙(はくせき)のかんばせ、波打つ銀の髪。
その隻眼はどこまでも深く、私を夢幻境へと誘う。
夕日差す部屋の中、私たちはただ、互いを見つめ合った。
そして、頬に少し冷たい、でも優しい手のぬくもり。
「愛している……」
吐息がかかるほどに、私たちの距離が近づいていく。
耐えきれず、視界を閉ざせど、それでもまぶたに感じる朱の夕焼け。
夢魔からは逃げられない。
いえ、私自身、もう逃げる気力を失っている。
私はただ、ナイトメアにされるがまま、目を閉じ、彼の口づけを待っている。
「カイ。私を、愛していると……言ってくれるな?」
私は夕日に劣らぬ色に頬を染め、コクンとうなずく。
そして口を開き、唇から言葉を紡ぐ。
『愛しています』と。
「カイ……」
――ナイトメア……。

『愛しています』

――愛しています。

沈黙。

――……えーと……コホン、愛しています。

「……カイ?」

ち、ちょっと待って下さいよ。深呼吸しますから。
ぜーはー、ぜーはー。よし、呼吸調整完了。
せーの、『愛しています』……!

…………。

「…………カット」

どこからか整った声と共にカチンコ音が聞こえる。
そしてグレイさんが物陰から姿を現した。
「TAKE25もダメだったか……」
またNGでした。ちなみにグレイさん。手に、映画撮影の『カーット!』とかで使う
拍子木+黒板の小道具をお持ちです。
そしてナイトメアも脱力したように、私から身体を離した。
「はあ……せっかく夕方の時間帯にして、雰囲気も盛り上げたのにダメか?」

「雰囲気は悪くはなかったんだが……」
小道具をどこぞに置き、グレイさんも困ったように仰る。
うーむ。実は、これも発声練習でした。
帽子屋屋敷に帰るにしろ、私が意思疎通の手段を確立しないとダメなので、お二人に
協力していただきました。『しゃべるきっかけ』を作ろうというやつです。
私も肩を落としました。
――結構、がんばったんですけどね。
「君が頑張ってたのはナレーションだろう!そっちを頑張ってどうするんだ!!」
――誰か聞く相手がいる、と思うと、気合いが入りまして。
「私しかいないだろうが!!変な方向に現実逃避をするじゃない!!」
――何か眠たいですなあ。
「ストレートな現実逃避もダメ!!」
と、私とナイトメアが無言のまま、ぎゃあぎゃあやっておりますと、
「お、時間帯が変わったな」
ふとナイトメアが窓の外を見る。
窓の外がフッと暗くなり、夜の時間帯になっていました。
「ナイトメア様、そろそろお休みになって下さい」
相変わらず、話に入りづらいグレイさん。
いい頃合いだと、ナイトメアに就寝を促します。
「何?私はまだ眠くないぞ!もっとカイと告白ごっこをしたーい!」
お子様はダダをこねますが、
「ダメです。もうすぐ会合が近いんですから。
体調の万全を期すためにも、寝て下さい」
お母さんはにべもなかった。
――……はて。会合?
初めて聞く単語です。内心、きょとんとしていると、
「ああ。もうすぐ役持ちたちが一堂に会する『会合』が行われるんだ」
私の心を読んだナイトメアが説明してくれた。
「役持ちは全員集まるルールだ。もちろん、帽子屋ファミリーも例外ではない」
グレイさんが補足してくれました。なるほど。皆さんが集まる会議なわけですか。
――皆が来る……。
そう呟いた瞬間に心に落ちたのは、光なのか陰りなのか。
「君も寝なさい、カイ。夜更かしは美容の敵だ」
グレイさんが肩を押して下さった。
私は『おやすみなさい』と口を動かして、頭を下げる。
――会合までには、帰りたいです。
「その意気だ。頑張るんだ、カイ」
少し寂しそうにナイトメアは微笑みました。


ナイトメアの部屋を出て、廊下を歩いて行く。
薄暗いクローバーの塔には、わずかな明かりが淡く浮かび上がる。
――…………。
私はふと、ポケットを探った。
中にあった瓶。明かりにかざすと、少し濁った水がゆらめく。
最初はほとんど意識しなかったのに、気がつくとジーッと眺めたり、ポケットの中で
いじったりしている。
――…………。
ディーとダムが好き。会いたい。
怖いことから逃げていてはいけない。
でも、たまーに思うのです。
私は二人より、もっと大きくて重大なことから逃げてるのではないかと。

――……ん?

そしてハッと我に返る。
――あれ?
自分の部屋に向かっていたはずが、いつ迷ったのでしょう。
気がつくと私は塔の最上階付近に来ていました。
――うわ……。
『開けて……』
『こっちにおいで……』
見渡す限りのドア、ドア、ドア。あと何か声も聞こえるし。
――はあ。ドアでさえ、しゃべれるのに、私ときたら……。
何か違うのでは、とどこかで思いつつ、肩を落として帰ろうとすると、

「あれ?もしかしてカイ?」
後ろから、声がかかりました。

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