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■眠りネズミの時間3

だがユリウスは顔を背け、拒んだ。
「ええー、ダメだよ。おうちに帰るのに必要な薬なんだよ?
君は俺のものなんだから、逆らっちゃダメだよ」
手前勝手なことを言われ、瓶を口元に押し付けられるが口を引き結んで抵抗する。
「飲んで、飲んで、飲んでよー。飲まなきゃ死んじゃうよ?」
困ったような声が聞こえる。なおも口を引き結んでいると、

「飲んで、飲んで!…………ねえ、飲んで」

低い声だった。全身が総毛立ち、背中に悪寒が走る。
思わず目を開けると、
「あ、良かった!」
「――!!」
口まで開けていたらしい。
閉じる間もなく瓶口を押し付けられ、口内に薬が流入する。
「……っ!!げほっ……ごほっ!!」
一部の薬は器官に入り、盛大にむせこんでしまう。吐き出すどころではない。
ネズミはというと「好き嫌いするからだよー」と見当違いなことを言い、ユリウスの
背中を叩いてくる。殴りたいと思いながら咳き込み、ようやく落ち着いたとき、
「っ!!」
あっという間に身体が縮み、手のひらサイズになってしまった。
「ふふ。可愛いのがもっと可愛くなっちゃったね。これで一緒におうちに帰れるよ」
ピアスもみるみるうちに能力で小さくなると、ユリウスを抱え、近くの木へ走る。
そして根元にあったドアを開けて中に入った。
「はい、おうちに帰ってきたよ!」
「…………」
中はまさしくネズミの巣、としか表現しようがなかった。
自分の作業室も雑然としているが、こちらはさらに落ち着かない乱雑さだ。
ユリウスは足早に奥のベッドに運ばれ、投げるように横たえられる。
だが気力も体力も低下した身体にはやわらかな感触がありがたかった。
「はい、お水。チーズも食べる?」
ネズミが駆けてきて、コップに入った水とチーズの小さな欠片を差し出してくる。
腹を満たすに足りそうにないが、ユリウスはありがたく受け取ることにした。
だが水は飲めたものの、胃が弱っているのかチーズは吐き出してしまった。
「うわあ、ごめんね、ごめんね」
眠りネズミはまたもオロオロしてチーズをしまう。
だが、喉を湿らすことが出来たユリウスは安堵して息を吐いた。
それを見てネズミもホッとしたらしい。自分もベッドに上がってユリウスの脇に
転がり、頬杖をついてのぞきこむ。
「まず名前を決めなくちゃ……何がいいかな。チェダー、エダム、エポワス、
マンステール、ブリック、ロックフォール、サント・モール……」
チーズの名前がずらずらと出てくる。だが不意に目を輝かせ、
「ユリウスにしよう!君って髪と目の色が時計屋さんにそっくりだもの!」
「――っ!!」
虚をつかれた。一瞬、正体を悟られたのかと思ったが、そうではないらしい。
「ユリウス、うん、君はユリウスだ」
「…………」
まあ本名なので、異議を唱える理由もなく頷くと、頭をなでられた。
「素直な落とし物だね。俺、いいもの拾った!」
満足してるなら結構だが、普通、苦手にしている相手の名前をつけるだろうか。
よく分からないネズミは、ユリウスの名を何度も呼びながらベタベタと撫で回す。
しかし猫可愛がりされるうちに緊張がほぐれてきた。
捕まったときは何をされるかと思ったが、案外、小動物を拾った感覚なのかもしれない。
それならペット扱いにだけ耐えて、体力がついた時点で出て行けばいい。
ネズミには……まあ、食事代くらいは人を介して返しにいこう。
ようやく肩の力が抜け、ユリウスは疲れた身体を夢の世界で休めようとした。
そのとき、ネズミがユリウスの身体を触りながら、
「本当にいいもの拾った――街の店じゃ、汚いネズミは入れてもらえないもの」

「…………?」
ネズミの声に不穏なものを感じ、目を開ける。
気がつくと、ネズミは態勢を変え、ユリウスは四肢を押さえられる形になっている。
「今、裏のお店じゃ何か『子供』が流行ってるらしいけど、ネズミは店に入れない
から、俺、よく分からないや……でもみんながやってるなら俺もやってみたい」
改めて冷たい汗が流れる。
そういえばユリウスが少年になったのも、そもそも裏通りの流行が発端だった。
騎士の説明によれば、そのプレイは子供への虐待行為ではなく、あくまで大人同士が
時間を戻して楽しむ夜の遊びということだった。
しかしこの病んだネズミはどこまで理解しているのだろうか。
少なくともネズミ自身の時間を戻す気配はない。

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