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■遭難ですか・上

※R18

そこは森だった。
森林ともいう。原生林と呼ぶかもしれない。
広葉樹林でもいいだろう。あるいは樹海……
「いや、樹海はない!いくら深い森でも、樹海まではいかんだろう。
さすがに、そんな恐ろしい場所に迷い込んではいない!」
ユリウスは慌てて首を振る。森のど真ん中で。
暇つぶしに、森に関する語句を列挙して墓穴を掘った。

……時計屋ユリウスは森で迷っていた。

今、ユリウスがいるのは森の存在する国だ。
そして今回の撃ち合いの場所が森だった。
さして面白みのない仕事が終わると相手の役持ちはさっさと立ち去り、
ユリウスは自分も帰ろうとして――道に迷った。
さして広くもない森のはずだが、ユリウスは外の地理には不慣れで、
折悪しく時間帯も夕刻や夜が続く。夕暮れ時と言っても枝葉で減光され、
足元の悪さは夜と変わりない。オマケに行けども行けども似たような木立が
続くものだから、気が付くと完全に迷っていた。
かれこれ十時間帯ほどが経過している。
引きこもりゆえユリウスの不在に気づく者もほとんどいないに違いない。
いたとして、まさか森の奥で遭難しているとは夢にも思わないだろう。
そして、ユリウスはポツリと呟く。

「遭難ですか。そうなんです……ははっ」

一人吹き出し、そこで我に返った。

「――い、いや、違う、違う!違うだろう、それ!
私はそこまで壊れてはいない!!
でもちょっと面白いかも…とか私の人物像に合わん戯言など考えていない!」
大慌てで一人ツッコミし、それはそれで錯乱していると思い、さらに悶える。
やがて、のたうち回り疲れ、
「…………虚しい」
いろんな意味で。そして疲れた。誰かが後ろで笑う幻聴まで聞こえた気がした。

ガサガサと茂みをかきわけ、ひたすらに進む。
根っからの引きこもりなため体力は無い。
道なき道をこれだけ歩き回ると、さすがに疲労がたまってくる。
時間帯が昼に変わるまで休息を取り、一緒に体力を回復させるのも手かもしれない。
だが一時間帯以内に帰還予定だったため、当然食糧の持ち合わせもなく、
自分ひとりでキャンプなど出来るわけもない。
「キャンプ……」
閃光のように、一人の男の姿が頭に浮かぶ。
「いや普段そっけない対応をしておいて、こういうときに頼るのはな……」
それに、ここはワンダーランドであっても、おとぎ話にはほど遠い。
こんなときに都合良く騎士が現れるなどありえ――

「うわぁ!!」
後ろで誰かが足を踏み外す音が聞こえた気がした。

「…………」
正直、振り向きたくない。
「ゆ、ユリウスー、引き上げてくれないか?」
改名したい。自分はそんな名前ではないと。
「お、落ちる。本当に崖から落ちるよ。ユリウスー!」
擬音を立てるような動きで振り向き、ユリウスは崖っぷちにしがみつく
赤いコートの男を視界に入れた。
ようやく目が合い、ハートの騎士は嬉しそうに、
「ユリウスー」
「……どこから跡をつけてきた」
「へ?」
「どこから跡をつけてきたっ!!万年迷子のお前が人のピンチに都合良く駆けつける
殊勝な、お約束男だとは誰も思っていない!
つまり、お前はある時点から私の跡をつけてきたのだろう!!」
「さ、さすがユリウス……俺のことをよく分かってるな。
うん。俺も森で迷っててさ。ユリウスの後ろ姿を見かけて――」
「で、聞いたのか?」
「え?あ、あのさ、ユリウス、そろそろ引き上げて――」
騎士の額に汗がにじむ。体力の限界からだけではなさそうだ。
「……応えろ。私は今貴様の生殺与奪の権を握っている。分かっているな」
悪役ならここで手の甲でも踏むところだ。そのくらいの殺意をこめる。
だがユリウスとて鬼ではない。最後はちゃんと引き上げてやるつもりだ。

――『アレ』さえ聞いていなければ。

「ゆ、ユリウス。そんなオーバーな……俺、何も聞いてないぜ」
「『何も』、とは何を指すのだ?」
静かに、静かに問いかける。エースは額に汗しつつも、心からの笑顔で、
「『遭難ですか?』……とか?あははっ」

「…………」
沈黙。

「落ちろ、落ちろ、落ちてしまえ!!
貴様の死をもって私の恥の歴史を永久に抹消する!!」

「や、止め、蹴らないでくれよ!!ユリウス、本当に落ちるって!!
それに、俺の下で毎回あれだけの痴態を晒して、今さら恥も何も――」

「馬鹿のくせに小賢しい言葉を使うな!!貴様とは絶縁する!!」

崖っぷちの騎士を蹴りまくる時計屋、すがる騎士。
ほどなく、二つの影は崖下に消えた……。

…………

「はあ……はあ……死ぬかと思った……」
ずぶ濡れの体を川から引き上げ、ユリウスは息をつく。
服が水をたっぷり吸い込んで重い。
長い髪から雫がポタポタ流れるが、絞る気にもなれない。
最悪だった。もみ合いの挙げ句、足を引っ張られて崖から転落。
そのまま急流に落ち、滝にはまり、さらに流され、ようやく流れがゆるやかになった
ところで川原に上がることが出来た。
しかし生き延びられた理由は幸運ばかりではない。
「エース、大丈夫か?」
ユリウスに続いて騎士が水しぶきをあげ川から出る。
そのままユリウスの真横に音を立てて全身を投げ出した。
「エース……」
ハートの騎士はユリウスを引っ張って泳いだのだ。
かよわい女ではなく大の男を支えて、最後まで泳ぎきった。
体力も限界まで使ったのだろう。
返事をする力もないほど疲労したようで、胸が激しく上下している。
…崖から落ちるまでの経緯を記憶から総削除し、ユリウスはエースに這いよる。
まだしゃべる気力はないようだが、エースは薄く目を開け、ユリウスを見る。
無事を確認したかったのか、目がかすかに笑い、軽く手をのばし頬に触れる。
ユリウスはそのまま顔を近づけ、口づける。
「ん……」
「…………」
軽く触れ合って離れる。
「ゆ、ユリウス……」
エースの口からかすかな声がもれる。
「エース、大丈夫か!?」
あわてて声を聞き取ろうと顔を寄せる。
「ユリウス、俺…もうダメみたい、だ……」
「何を言っている。お前は元からダメな奴だろう、しっかりしろ!」
「ひ、ひど……」
普通に元気づけたのに何故だかうめかれる。
「最後に……ひとつだけ、頼みが……」
「何だ?何でも言ってみろ。ただし!『最後に一番きれいなお前を見たい』とか、
お約束すぎることを言ったら川底に叩き落とすからな!」
「…………」
不味い。図星をついてしまったようだ。
気のせいかドヨンと落ち込んだ様子のエースを見、ユリウスは頬をかく。
「うう……」
時間帯は肌寒い夕刻。場所は川原とはいえ、まだ深い森の奥。
体力が低下したまま身体を冷やせば、いかに頑健な騎士と言えど、どうなるか分からない。
そして自分自身も、未だに水がしたたったままだ。
「仕方ないな……」
ため息をつき、ユリウスはコートを脱いだ。
もちろん妙な意図はさらさらない。
「いいか、身体が冷えるから脱がせるだけだぞ。
変な真似をしたら、どうなるか分かっているだろうな!」
「分かってる、分かってるって……」
弱々しい声ながら嬉しそうなエース。
しかし、自分と同じくらい長身の男の服を脱がせるのは並大抵ではない。
しかも水を含んで湿った服だけに余計苦労させられる。
いつも脱がされる側なだけに、こういうときに基礎体力の差を痛感させられる。
――こんなことで痛感したくはないが……。
四苦八苦して上半身を脱がせた頃にはユリウスはすっかり息が切れていた。
対するエースは飄々としたもので、
「だらしないなあ、ユリウス。普段からもっと鍛えろって言ってるだろ」
「うるさいっ」
水気を絞った服で軽く上半身を拭いてやり、ついでに自分も服を脱いで――
「……ちょっと待て、身体を温めるなら、まず火をおこすのが先ではないか」
熱源がなければどうしようもない。少し慌てていたようだ。
「あははは。ユリウスってうっかりしてるよなあ。火はサバイバルの基本だぜ?」
へらへら笑う男は、明らかにユリウスのミスに気づいていた。
「くそ……お前はそこで寝ていろ。焚き木を集めてくる」
毒づき、裸の上半身にコートを羽織ろうとして、
「……おい、放せ」

起き上がったエースに腕をつかまれた。

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