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■料理上手と料理下手・下

「窓を開けろ、窓を!厨房全ての窓を全開にするんだ!」
「あ、ああ!」
グレイはしなやかな動きで効率よく窓を開けていくが、だからと言って褒めてやる気
にもなれない。ユリウスも走る。
背後のオーブンから立ち上る煙は、吸ったらその瞬間に時計が止まりそうな銀色だ。
大人数を抱えるクローバーの塔の厨房はそれなりの広さで、窓を全て開け終えたとき、
さすがに二人とも息を切らしていた。
恐る恐るオーブンを見ると、幸い煙は消えている。
だが、オーブンの中は完全に溶解していて開けることも不可能な状態だ。

――さすがに厨房の顔なしから抗議を受けそうだな。
それにここに至るまで消費した材料も半端な量ではない。
いくらレシピ通りにしろ、と口をすっぱくして言っても、グレイは妙な感性の赴く
まま、余計なものを加えたがる。
「ええと、その、水銀は人体に必須な元素とこの本に書いてあって――」
「超微量元素はわざわざ添加する必要はない!おまえは上司を毒殺する気か!!」
グレイが持ってきた本を奪い取り、パラッとめくると、案の定『化学』『鉱物』
『人体』というお堅い単語が乱舞していた。
上司の病を案ずるばかりに、また妙な方向にぶっ飛んだらしい。
ユリウスも、さすがに限界だった。エプロンを取って床にたたきつけ、
「つきあってられるか、勝手にやってろ!!」
靴音を立てて厨房の出口へ足早に歩く。するとグレイが必死な声で、
「ま、待ってくれ、時計屋。今度こそ、今度こそ余計なことはしないから!」
「それでさっき、私が見張りながら作らせたら、好きに配合しようとしていたな」
毒ガスこそ出なかったものの、ドロドロだったり硬すぎたりと、食品にはほど遠い
ものが焼き上がった。まさしく下手の横好きだった。だが今のグレイは深く頭を下げ、
「本当に頼む、時計屋。ナイトメア様のためなんだ!」
努力の方向はともかく、上司を案ずる気持ちは本当なのだろう。
ユリウスは渋々エプロンを拾い、
「はあ、仕方ないな。次のスコーンで最後だぞ」
「ああ、最高に美味いものを作ってみせる!」
グレイは顔を輝かせた。


そして半時間帯後、厨房が爆発した。


グレイとユリウスは、夢魔の執務室にいた。
「調査隊によると、厨房の柱の陰に、爆発物が仕掛けられていたそうです」
まだ包帯の取れないグレイは重々しく上司に報告した。
ソファにふんぞり返った夢魔は、
「で、運良く不発だったものを、おまえたちが……ぷ……あれこれやって発生した
熱やガスに煽られ、反応して起爆してしまったと…くくく……あははははっ!!」
部下と知人が多少なりとも負傷しているというのに、夢魔は笑って笑って呼吸困難
寸前のようだった。しかし周りで報告を拝聴している顔無しの部下たちも同様に
笑いを必死でかみ殺しているようだった。
グレイは彼らをギロリとにらみ、
「犯人は最近雇われた調理師のようで、潜伏中のところを捕獲しています。
ですが厨房の被害は元はと言えば……その、俺はともかく時計屋にはどうか……」
「ああ、ああ。分かった。まあ、多少の損害は出たが、犯人は捕まったし、そもそも
おまえの忠誠心から発したことだからな。それに免じて二人とも不問にしよう」
――忠誠心というか、おまえの薬嫌いが根本的原因ではないのか?
ツッコミたかったが、からかいの矛先を向けられるのも不快なのでユリウスは黙っていた。
グレイはというと、主の寛大な処分に深く頭を下げていた。

…………

「で、あのとき本当に変なものを混入していなかったんだろうな」
その後『礼と詫びがしたい』とグレイの私室に招かれたユリウスは、来客用の
椅子に座り、部屋の主の入れたココアをすすっていた。グレイも座りながら視線を
宙に泳がせ、
「していない……と思う」
「『と思う』か、まったくおまえは……」

思い起こせば、あの厨房の爆発は、オーブンから怪しい橙の煙が立ち上った直後だ。
トカゲは何もしていないと頑なに主張するが、粉を混ぜる時、鼻歌を歌いながら
ポケットから何か薬品を取り出し、添加している姿をユリウスはハッキリと見た。
「だから、あれはバニラエッセンスだと何度も言ったし、おまえも納得しただろう」
「成分分析をしていないから、どうだかな。厨房の連中も信じていなかったぞ」

グレイとユリウスは『お二人には危険ですので』と厨房の顔なしたちに重々しく
出入り禁止を宣告された。もちろん『お二人”には”』ではなく『お二人”は”』が
彼らの本音であろうことは言うまでもない。
だが仕事場をメチャクチャにされた彼らを責められるはずもない。
「しばらくは食堂にも出入り出来そうにない。『ご趣味もほどほどにしてください』と
部下たちに会うたび笑われたり、からかわれたりして困っている」
「自業自得だろうが。全く、いつも慎重なおまえが計量一つまともに出来ないとは……」
グチグチ嫌味を言っていると、グレイもムッとしたように、
「普段は俺だってもう少しまともに出来る。おまえがいなければあそこまでは――」
そしてハッとした顔で口を押さえる。
「は?人に教えを請うておいて私がいなければ、だと?」
ユリウスはココアでも引っかけてやろうかと椅子から立ち上がる。
するとグレイは慌てて、
「いやその、ち、違うんだ。その……だからその、おまえがいて嬉しいが、舞い
上がってしまって、集中出来なくて……その……」
その後は聞き取れない。ユリウスは顔を赤くするグレイをしばらく眺め、

「おまえ……真剣に気色悪いぞ」

「うっ」
ショックだったのか、グレイは落ち込んだ顔をして肩を落とす。
ユリウスはその肩を叩いてやり、
「まあ、蓑虫を思って頑張る姿は真剣だったな。おまえは努力する方向が間違って
いるんだ。いっそ工芸でも始めたらどうだ?おまえのセンスが花開くかもしれんぞ」
「時計屋……そうだな。俺が芸術的なナイトメア様の彫像を献上すれば
ナイトメア様は感極まって薬を飲んでくださるかもしれないな。感謝する、時計屋」
――いや、嫌味だったんだが、今のは……。
なぜかグレイの琴線に触れてしまったらしい。
グレイは立ち上がり、ユリウスに視線を合わせ、
「おまえと過ごす時間はどんなときも楽しい。やはり、俺はおまえが好きだ」
「おいトカゲ、また勝手に変な飛躍を――」
だがグレイはユリウスの肩を抱き、抵抗する間も与えず唇を重ねる。そして――

…………

「時計屋。グレイを何とかしてくれ!」
作業室に夢魔が駆け込んだのは、それから十数時間帯後のことだった。
時計を修理していたユリウスは、まだ痛む身体を押さえ、やかましい夢魔を冷たく睨む。
「いきなり彫像作りにハマって、得たいのしれないブツを次から次に私に献上するんだ。
一応私らしいし激務の合間に作っているそうだから、捨てるに捨てられず――」
「いいことではないか。忠誠心のある部下を持って結構なことだ」
「結構なわけあるか!仕方ないから、廊下やそこらへんに飾っておいたら、
怪現象が頻発してるんだ。私の像に触れた客が吐血したとか、粗末に扱った
清掃人が病に倒れたとか、こっそり捨てようとした部下が病院送りになったとか。
今や『クローバー心霊スポット』とか『呪いの夢魔の像』とか言われて、嫌な意味での
観光名所になってるんだぞ!一緒くたに私まで避けられる始末だ!」
「おまえがちゃんと薬を飲めば解決するんだが」
夢魔は無視してなおもわめくが、何も言えない。言うべきことは何もない。

――まあ、変わった男だ、あいつは。

あふれんばかりの独創的なセンスと、忠誠心。
そして少々の邪心を抱く夢魔の部下を思い、ユリウスは一人ため息をついた。

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