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■監獄の珍事・上

※R18

監獄に来たら、ジョーカーが倒れていた。
「は?」

そんな言葉しか出ない。出しようがない。時計屋ユリウスは立ち尽くした。
だがすぐに我に返り、監獄の床にのびている所長を揺さぶる。
「お、おい、ジョーカー。しっかりしろ」
だが反応はない。ユリウスの胸を嫌な予感がかすめる。
「まさか、おい、冗談だろ?ジョーカー、ジョーカぁーっ!!」
努力が実ってか、ユリウスの耳に弱々しい声が響いた。
「……時計屋、か……」
「ジョーカー!!」
慌てて顔をのぞきこむと、紅の右目がユリウスをとらえていた。
その尋常ならざる弱々しい光にユリウスはたじろいだ。
「俺は、もう、ここまでのようだ。てめえとは浅くない因縁があったが……」
「え?そんなものあったか?まあいいか。あったことにしよう。
しっかりしろ!私との勝負はまだ決着がついていないだろう!」
決着どころか始まってもいないが。それでもジョーカーは微笑み、
「時計屋……俺は、お前に伝えなければいけないことが、あるんだ……」
その真剣なまなざしに、思わずユリウスはジョーカーの手を取り、
「借金および借金以外ではないこと以外なら何でも聞いてやる。言ってみろ!」
「なら言うぜ……俺は、お前のことが、ずっと、ずっと……」
ユリウスは続きを待った。その手がユリウスの手から滑り落ちる。
「ジョーカー、おい、ジョーカー!!ジョーカーっ!!」
時計屋が虚しく叫ぶ声だけが、冷たい監獄に響き渡っていた。

…………

「これだけの高熱で動いていたこと自体がすごいな」
ユリウスは水銀体温計を振ると監獄の所長を見た。
ジョーカーは今、看守室のベッドで氷嚢(ひょうのう)を当てられ、伏せっている。
あの後。
ジョーカーを観察したら、顔を赤くして苦しそうにしていたし、手があまりに高温
だったこともあり、病だとすぐに分かった。
その後、四苦八苦して所長を看守室に運び、今に至る。
「どうりで、うわごとばかり言っていたわけだ」
「う、うるせえ!時計屋ごときに情けをかけられるなんて、俺も落ちぶれたもんだ」
威勢よく言うが、声に力がない。
「自己管理がなっていないからこうなるんだ。仕事はほどほどに休むものだぞ」
「だけどよ。サーカスの仕事があって、監獄の仕事があって、またサーカスの仕事が
あって、監獄の仕事があって……いったい、いつ休めって言うんだよ!」
「そのための二人のジョーカーだろうが。もう一人のジョーカーは、表で平然として
いたぞ。お前ももう少し要領よくだな……」
「う、うるせえ!用事が終わったらとっとと帰れよ!!」
怒鳴られた。
それにしても、今に至るまで部屋まで運んでやったユリウスに礼の一つもない。
さすがにユリウスも眉をひそめ、
「そうか、分かった。そこまで言うなら帰らせてもらう」
座っていた椅子から音をたてて立ち上がる。ジョーカーもケンカ腰で、
「ああ、帰れ帰れ!どうせ時計の仕事がたまってんだろ!俺なんかに構って、
後でお前のせいで仕事が遅れたとか言われちゃ、たまんねえからな!」
「私の仕事の進行など貴様には関係ない!帰らせてもらう。もらうが……」
何となく気がかりだ。
「本当に大丈夫か?お前の心配をしているわけではないが、一人で食べられるか?
水分を取れるか?何なら粥くらい作って――」
「うるせえ!俺のためにこれ以上、てめえの仕事を遅れさせられ……げほっ」
怒鳴っている最中にジョーカーは身を折って咳きこみだした。
ユリウスは慌てて背中をさすり、ジョーカーの額に手を当てる。
「気にしてやる義理はないが、熱が上がっているな。私は仕事で忙しいが、お前が
もう少し殊勝な態度を取り、私に感謝の意を素直に伝えると、この場で土下座し、
誓約出来るのであれば、看病してやらんでもない」
するとジョーカーはただでさえ熱で赤い顔をさらに赤くして
「冗談じゃねえよ!!誰がお前なんかに……っ!帰れよ!仕事があるだろ!」
こうなるとユリウスも腹を決めるしかない。
「そうか。そこまで言うなら帰らせてもらう。まあ、お前一人が熱でくたばろうが
のたれ死にしようが、私には一切関係のないことだし、関知するところでもない。
勝手に高熱にうなされて苦しんでいろ。じゃあな!――ところで鍋はどこだ?」
「時計屋ふぜいが調子に乗ってんじゃねえぞ!てめえに看病されるくらいなら、空中
ブランコから飛び降りて死んだ方がマシだ!――鍋は台所の奥の棚にあるぜ」
「お前という奴は、本当にどうしようもないな。ああ、そうか。そこまで私の助けが
必要ないなら帰らせてもらう。お前に関わる義理はないからな――卵酒でいいか?」
「お前こそ、本っっ当に嫌味で最低な野郎だな!お前みたいな野郎に看病されたら
治るどころか悪化しそうで怖ぇよ!頼まれても御免だぜ!――酒は嫌いじゃない」
そこでジョーカーが再度咳き込み、罵り合いは中断された。
「では、帰るからな――すぐ作るから少し待ってろ」
「帰れ!てめえの顔なんざ見たくもねえ!――別にゆっくり作ってくれていいぜ」
罵声を受け、ユリウスは冷たくジョーカーに背を向け、歩き出す。
――しかし我々の会話、もう少し減量出来そうな気がするんだが……。
答えの出ない疑問に首をひねりながら、台所に急いだ。

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