続き→ トップへ 短編目次

※注意:BL短編はR15、R18、暴力描写を含む作品があります。
少しでも不快に感じられましたら、すぐにページを閉じてください!



■君のためなら・上

※R18

「あ……」
ユリウスは思わず呟いた。
手が滑った。
廃油を入れたバケツは、派手に油を撒き散らし、階段の下に転がっていく。

時計塔での仕事は時計の修理だけではなく、修理に伴う雑用も多い。
機械油の廃油を捨てる面倒な作業もその一つだ。
重いバケツを運んで部屋を出たとき、油で手が滑り、バケツを離してしまった。
「しまった……」
バケツは音を立てて階下に転がり落ち、もう見えない。
階段には見る間に油が広がっていき、たちまちオイルまみれになる。
これでは足を乗せるだけで滑って転倒する危険がある。
「…………」
ユリウスは迷う。拭くべきか?
作業室に続く階段は一つきり。
来客があったら大怪我をするだろう。
だがこの世界、時間が経てば汚れはきれいになる。
なら清掃する時間が惜しい気もする。
第一、掃除する自分だって油で転ぶかもしれない。
「まあ、最近は客も少ないしな……」
一人うなずき、作業場の扉を閉めた。
もちろん実際に来客があったら危険なので、時計塔自体を封鎖することにした。
残像を使って塔の入り口に『当分出入りを禁ず』と無愛想な張り紙だけさせる。
「これでしばらくは仕事に専念出来るな」
ユリウスは満足し、客の来ない作業場で快適に仕事を進めた。

――まさか、無理に上って来る馬鹿もいないだろう。

…………
「うわぁぁぁっ!!」
悲鳴とともに、また落ちた。
「…………」
ユリウスは耳をすます。
また、重い何かが転げ落ちる音が聞こえたのだ。
これで何十度目だろう。

馬鹿が来ている。
何度滑っても懲りずに階段に挑戦する馬鹿が。

いいかげん、首の骨を折りそうな気がする。
ユリウスはためいきをついて時計を置くと、作業場の扉を開けた。
「あ!おーい、ユリウス!」
かなり下で、ぬめる階段にしがみつくエースが嬉しそうに手をふる。
「ユリウス、今回のトラップはすごいな。
シンプルだけど確実だぜ。俺、頑張るからなー」
「トラップではない。本当に事故だ。
そのうち油が落ちるから、それまで待ってろ」
しかし餌を前にした馬鹿はめげない。
「いや、俺はあきらめないぞ!困難とは乗り越えるためにあるものだ!」
「そうか。じゃあ勝手に乗り越えろ」
無駄に前向きな騎士に冷たく言って扉を閉める。
後ろから、また滑ったのか何かが転げ落ちる音がする。
ユリウスは黙々と作業をする。

時間帯が変わり夜になった。
時計の修理が一段落し、ユリウスはコーヒーで一息ついていた。
階段を上る音はかなり前に聞こえなくなっている。
ユリウスはホッとした。
さすがに無限地獄に延々と挑戦させるのは後味が悪い。
そして休息のコーヒーを口に含み、
「ユリウスーっ!!」
窓から入ってきた男の顔に盛大に噴いた。

…………
「ひっどいなぁ、ユリウス…驚いて窓から滑り落ちるとこだったぜ」
言いながらも爽やかに笑うエース。
しかし奴の外見はさんざんだ。
鮮やかな赤のコートは機械油で、『仕事』時の茶色のローブ並みに無残に汚れ、
身体の方は、あちこちに打ち身や擦り傷を負っている。
しかし、窓から現れた理由を聞いたユリウスの驚きはそれの比ではなかった。

「…………と、時計塔の外壁を登ってきた!?」

「ああ、俺は騎士だからロッククライミングくらい出来るさ」
そんなアウトドアな騎士が他にいただろうか、と考える。
しかし時計塔はそこらの崖より遥かに高いし、壁だから凹凸も少ない。
もちろん命綱があるはずもなく、オマケにエースの体は油まみれ。
「……よく死ななかったな」
死ぬ。普通は死ぬ。むしろ死ななかった理由を聞きたい。
普段は運が悪いくせに、こんなときばかり強運だ。
ユリウスは化け物を見る目で騎士を眺める。
「しかし、そこまでして、私に重要な用事でもあったのか?」
「ははは。理由なんて無いさ。ユリウスに会いたかったんだ!
俺は騎士だから、あの程度の障害じゃ、くじけないぜ!」
爽やかに笑う……が、目は笑っていない。
まあ確かに怒るだろう。
エースが何度も階段から転げ落ちる音を聞きながら一切助けなかったし、そもそも
様子を見に行ったとき、上からロープなり渡してやれば、外壁を上らずとも簡単に
来られたのだから。

「ユリウスってさ、あそこまで必死だった俺の目の前で扉を閉めたよな。
俺、あれには結構、傷ついたんだぜ」
「ん……ゴホン、い、いや……まあ、コーヒーでも淹れてやる……飲んだら傷の
手当てもしてやるから、それから帰……」
言葉を切る。
……帰せない。
階段は未だ油まみれで危険だ。
まさか再度ロッククライミングで塔を降りろと言う訳にもいかない。
エースはポンッとユリウスの肩に手を置く。
強くは無いが弱くも無い重さで。
「客も刺客も誰も来ない。今、完璧に二人きり……だな」

……沈黙するしかなかった。

1/2

続き→

トップへ 短編目次

- ナノ -