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■四号店とクローバーの塔・下

時計屋の自分が、余所者として異世界に来て、驚いたことはいくつもある。

「おい、止めろ」
……だが。
「止めろと言っているだろう!」
だが、こんな奇妙なことは予測していなかった。
「いいから離れろ、『トカゲ』!」
ちなみにこの場で呼びかけているのは、補佐官ではなく、本物の爬虫類だ。

頭を押してどけようとするが、グレイの首元から実体化(?)した『トカゲ』は
いっこうに離れない。こちらに身体をこすりつけ、顔をなめようとする。
あのトカゲは、元の世界では確か、手のひらサイズだったと記憶している。
しかしユリウス自身が手のひらサイズとなった今、自分にとって『トカゲ』は、
ワニのごとき巨大さであった。じゃれつかれても、嬉しいはずがない。
だが飛んで逃げようとして……背中がガシャンと何かにぶつかる。
鳥かごだ。頑丈な鳥かごに入れられており、逃げられない。
「止めろ!調子に乗るな、この……っ!」
しつこく顔を舐めようとする『トカゲ』を、必死に押し戻していると、
「ははは。仲良く遊んでいるようだな」
鳥かごの檻の向こうから、上機嫌な声が聞こえた。
「…………」
『トカゲ』の主人も、相変わらず頭のネジが完全に外れている。
ニコニコして、気色悪くも幸せそうだった。

トカゲの補佐官はトレイを持っていた。そしてトレイをテーブルの上に置くと、
そこから何かをつまみ、ユリウスの前にかがんだ。
「二号店。チョコチップクッキーだ」
と、檻の格子の間から焼きたてのクッキーを押し入れてきた。
「…………」
これまた小さくなった身には、両手でやっと抱えて持つサイズだった。
あと、匂いが甘ったるくてたまらない。
「……おまえの手作りではないんだろうな?」
するとトカゲの補佐官は少し悲しげな顔になり、
「ああ。買った物だ。夜の時間帯で厨房も閉まっていたし、部下たちも、飼い始めで
餌の手作りは止めた方が良いと――」
「もういい!」
怒鳴りつけ、クッキーをかじろうと――間近に爬虫類の視線を感じた。
「……食うか?」
『トカゲ』は返事こそしないが、また、ちょんとユリウスの頬に鼻先をつける。
ユリウスは無言でクッキーをバキッと半分に割り、『トカゲ』にやった。
たちまちバリバリと食べ出す『トカゲ』。
「……ん?」
そして頭に何やら圧迫感を覚えた。指だ。補佐官の方の。
「優しいんだな。時計屋」
慈愛に満ちた微笑みで、トカゲが指で、ユリウスの頭を撫でていた。
「食われるかと思っただけだ。勘違いするな!」
仏頂面で指から逃げ、ユリウスは言った。
そして、この『トカゲ』もトカゲの一部であるという、嫌な事実を思い出した。

「ふう……」
ユリウスは鳥かごに座る。
巨大チョコチップクッキーは甘ったるかったが、腹は満たされた。
「トカゲ、私は仕事があるんだ。そろそろ出してもらえないか?」
すると、頬杖ついて鳥かごを眺めていたトカゲは、
「なぜだ?ここにずっと住めばいい。時計屋は三人いるんだ。
一人くらい仕事をしなくても、大丈夫だろう?」
……大丈夫なわけがあるか。
「そういうワケにもいかないんだ。その……いろいろ事情があって」
あまり仕事のことを話すと、二号店ではないことがバレかねない。
しどろもどろに言うと、
「よく分からないが可愛い……」
「うわっ!」
指でつつかれ、後ろからは『トカゲ』にジャレつかれ。
そして言語が通じない。
――誰か、私を助けてくれ……!
二号店を保護しにきて、助けを求める羽目になるユリウスであった。

…………

「……時計屋」
暗闇の中、誰かの声がした。夢か、と鳥かごの中で寝返りをうつと、
「時計屋。いつまで寝ているつもりだ」
また声をかけられ、ユリウスはパチッと目を開ける。
「……?……うわっ……」
大声を出しそうになり、慌てて口をおさえる。
あたりは暗闇、ここはトカゲの部屋だ。
ユリウスは、彼の分身たる『トカゲ』を枕に寝ていた。
そしてすぐ自分の置かれた状況を思い出す。
そうだ。あれから、説得に失敗して寝てしまったのだ。
部屋には寝息が響いている。
トカゲも『トカゲ』も寝ていて、起きる気配はない。
ユリウスはホッと胸をなで下ろし、二号店が助けに来たのかと、鳥かごの外を見た。
「すまない。それではここから出してくれ。すぐ元の世界に――」
驚きで言葉を止める。

鳥かごの外から声をかけたのは、小さい二号店でも、やる気のない一号店でも、
小心の三号店でもない。
「一度来てくれたのに、すまないな。あのときは本物の二号店と勘違いしてたんだ」
「い、芋虫!」
この世界の夢魔、仕事熱心と評判の、ナイトメア=ゴットシャルクだった。

「ひ、久しぶりだな!」
二号店を真似、威勢良く言ったつもりだった。
だが、トカゲの部屋にひっそりと立つ夢魔は言った。
「演技は必要ない。おまえが異界の時計屋ということは分かっている」

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