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■四号店と混乱する時間・上

「ん…………」
目が覚めると、天井が見えた。
ユリウスは痛む頭を抱えて思う。
また時計修理に没頭しすぎて眠ったか、それとも不摂生が祟って倒れたか。
だが違和感がある。
何か、とてもやわらかい何かが腕に……。
「……ん……」
「――は?」
それもそのはずだった。ネグリジェを着崩した半裸の少女が、ベッドの上で、自分に
抱きついて眠っている。見れば帽子屋屋敷のボスの部屋だ。
テーブルや床の上には、酒の空瓶が何本も転がっている。
「え……」
頭がこんがらがって、ユリウスが固まっていると、
「うーん……」
横でごそごそと衣ずれの音がする。アリスが起き上がるところだった。
「起きた?お兄さん」
眠そうな顔で微笑む小悪魔。
あの大きなリボンをつけていないと、こうも大人びるのだろうか。
……いや、それどころではない。
「最高の夜だったわ。お兄さんが、あんなにすごいなんて……」
――ちょっと待て。何の話だ。
過ちは断じて犯していないと……思う。多分。
しかし、こちらに手を伸ばす少女を、何となく抱きしめてしまう。
「嬉しい……」
フワリと頬をくすぐる栗色の髪、やわらかい唇の感触――。
「アリスっ!!」
ユリウスは我に返り、バッと少女を引き離し、怒鳴りつける。
アリスはきょとんとして、
「どうしたの?お兄さん。もっと抱きしめてほしいわ」
「お、お、お、おまえ!!嫁入り前の娘が何を……っ!!」
「マフィアのボスだけど?私」
「もう少し、自分を大事にしろ!!他の男の前でそんな、慎みのない格好をして、
しかも……く、口づけまで……」
「えーと。ここ、笑うところなのかしら?お兄さん?」
アリスは人差し指を頬にあて、困ったように見上げてくる。
「おまえは余所者だから、男にあれほど注意しろと……このじゃじゃ馬娘が……」
ユリウスは怒りと焦りでガタガタ震える手を必死に抑えようとした。
というか頭が痛い。ガンガンする。若干の吐き気と悪寒。

「もっとからかおうと思ってたんだけどね。お兄さんとは、何もなかったわよ?」
アリスはネグリジェ姿のまま、ふわりとガウンを羽織り、笑う。
「何?」
ユリウスは体調不良も忘れ、顔を上げる。アリスは真面目な顔だった。
「お兄さんは酔いつぶれて眠っちゃったの。もちろん何もしてくれなかったわ。
私はお兄さんを介抱してから、添い寝してあげたのよ?」
「添い寝……?」
「本当に何もなかったわ。確かめてみる?」
「い、い、いい!確かめたりはしない!だから脱ごうとするな!!」
ネグリジェをまくりあげようとするアリスを、必死に抑えた。
何をどういう方法で確かめさせるつもりだったのか、気にはなったが。
「ええと……それで、アリス……」
とりあえず、ベッドに座る気にはなれず、ソファに移動する。
そして二日酔いの頭を叱咤し、つぶれる前のことを、思い出そうとした。
――そうだ。確か……。
何だか色々と重要な話を聞いた気がする。
要は自分の正体がどうやらバレたらしいこと。そして……。
『時計塔の領土争いに、私たちは喜んで助力するわ』
「なぜ、他の勢力が中立地帯の領土争いに参加する」
「あら、いきなり硬いお話?本当に、どの時計屋とも違うのね」
アリスは着替えたらしい。青のエプロンドレス姿で、水差しからコップに水をそそぎ
ソファに座る自分に差し出してくる。
「お兄さん、はい、お水。珈琲は二日酔いの胃に悪いから、まだ我慢してね」
「……ああ」
ユリウスは受け取り、ぐいっと一気のみする。
清涼な水が体内に流れると、少し視界が晴れた気がした。
横を見ると、アリスが嬉しそうに笑う。
何も変わらない、澄んだ笑みだった。

「時計屋が時計を修理しないから、この異常事態が起きていると。
昨晩、おまえはそういうことを言ったな」
正体がバレた上は、疑問点を問い詰め、元の世界に帰る材料にするしかない。
「そうよ。時計を修理してくれないから役が回らない。
時間の流れもおかしくなっているの。
あなたが元の世界に帰れないのは、それが原因だと思うわ」
アリスはうなずく。
――あいつら……。

一見、気楽に見えた世界は、相当な問題を抱えていたらしい。
しかもあの三人。時計を修理する、努力すると何度も言いながら、実際はほとんど
修理していなかったようだ。この銃弾飛び交う世界で、時計屋が役割を果たさない。
それはとんでもないことだ。だが腑に落ちない点は他にもある。
「そもそも、なぜ時計屋が三人もいる?
なぜ、時計屋が真面目に修理をしようとしない」
「さあ?私は興味ないし、誰も調べてないと思うわ。
最初の頃に騎士ともめたっていう噂はあるけど、時計塔の密室のことだしね」
「……それと、おまえだ。おまえは『余所者のアリス』か?」
これは聞かないワケにはいかなかった。
「さあ?思い出せないわ。気がついたらボスだったの」
思い出せないわけがないだろう。そう思ったが、『誰か』がまた記憶をいじっている
のかもしれないし、嘘をついているのなら問い詰めるのも難しい。

――とにかく私がこの世界から抜け出せれば、それでいい。

細かいことはさておき、そう納得することにした。
そのためには、この世界の時計屋に仕事をさせればいい。

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