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■四号店と時計屋の領土争い・上

不気味な月はおぼろげに光り、舞踏会の騒音は遠い。
――いや、もう舞踏会という気分ではないな。
ユリウスは軽く集中すると、浮ついた舞踏会の礼服を、平時の服に替えた。
こちらを見つめる赤い騎士は、冷たい瞳のままだ。
そして、また問う。
「『時計屋』の誰でもないよな。ユリウスのそっくりさん、おまえの正体は何だ?」
「何を馬鹿なことを言ってるんだ。私はユリウスだ。エー……」
言いかけた言葉は、途中で途切れた。
「……っ!」
首筋になじみのある、だが新しい痛みを感じた。
「あ、でも鈍くさいところはユリウスっぽいか」
「おまえ……!」
ほんの一瞬でエースが、目の前に移動していた。
そして抜いた剣の切っ先で、ユリウスの首筋に小さな傷をつけていた。
つぅっと、生ぬるい液体が首をつたうのを感じる。
「……私はユリウス=モンレー、時計屋だ」
「嘘が下手なんだな。そこも『ユリウス』と同じだ」
エースは笑う。彼の言う『ユリウス』とは、あの無口な三号店のことらしい。
「嘘ではない。私は正真正銘の時計屋だ」
「時計屋のカードが増えた、なんて聞いてないな。
でも少し前からいただろう?一度、会ったよな?」
「…………」
斬られた箇所から、生ぬるい血が流れるのを感じる。
エースの瞳は赤いのに、自分を見る目は氷のようだ。
異邦人、いや異物を見るような嫌悪さえこもっている。
――ごまかしきることは、不可能か。
ユリウスはついに、大きく、大きく息を吐いた。

「私は時計屋。ユリウス=モンレーだ」
「しつこいぜ、そっくりさん。どこの領土の奴が何の薬を使って変身してるんだ?
教えてくれたら、痛みを感じる間もなく首を飛ばしてあげるよ」
ああ、教えてくれなかったら拷問な、と嫌な冗談に一人で笑う。
ユリウスは声を抑え、低く言った。
「私は他の時計屋からは『四号店』と呼ばれている。四人目の時計屋だ」
そして首元に鈍い痛みを覚える。
エースが、一度斬った場所に再度、剣先を当てていた。
「ふざけないでくれよ。まあ、薬で変身してるにしては妙だけどさ」
「姿かたちを変える薬品は、何一つ使っていない。
私はこの世界に×××時間帯前にあらわれ、今は時計塔に厄介になっている」
「……そっくりさん。馬鹿な俺にも分かるように、説明してほしいぜ」
いつもの笑顔。そして、いつもの殺気だった。
――まあ、にわかに呑み込める話でもないか。
かといってユリウス自身にも、自分がなぜ似て非なる異世界に来たのか分からない。
ましてエースが分かってくれるかどうか。
――仕方ない。ここは適当にごまかして、納得させるか。
「エース。私がここに来た理由は――」
「よく分からないから、とりあえず斬っとくか」
エースが真顔で言い、再び剣を抜いていた。
「おい!人の話を聞け!!」
ユリウスは怒鳴る。
怒鳴りながら即時スパナを取り出し、後ろに跳躍した。
風の気配。靴に衝撃。エースは月の光を浴び、髪を風に揺らしている。
ユリウスは威嚇代わりにスパナをつきつけ、
「おまえにも分かるように説明してやる。だから剣を引け!!」
「うーん。でも、この方が確実だろ?俺が斬るだけで余計な四人目は消える」
「そんな解決法があるかっ!!」
そのときブワっと殺気を感じ、反射的に、さらに後ろにさがった。
直後に眼前を剣が一閃する。眼球を刺すような、切れの良い風。
「この……っ」
一秒、いや一瞬でも遅れていたらと、ユリウスはぞっとする。
「エース!なら説明は省く!私はすぐこの世界から消える!
おまえに斬られずとも、私は元の世界に帰る!だから剣を下ろせ!」
認めたくないが、望郷の念はいや増している。
必ず、あの森の扉は『家』につながるだろう。だが、
「うーん。でもさ。それはそれで、気持ち悪いんだよ。余計に分からなくて。
それに、おまえと話してると変な気分になってくる。やっぱり今すぐ斬りたいぜ」
ごめんな、と子供のように屈託なく笑う。
――く……この××××……。
最悪だ。『余所者』の力は、エース相手にも発されていたらしい。
しかもエースは、その違和感を、消すべきものと捉えたようだ。
「――っ!!」
そして反撃する間もなく、手の中のスパナが弾き飛ばされた。
腹に衝撃。腹にめり込んだ騎士の靴先を、どこかゆっくりと眺めていた。
「……ぐっ!」
背中から壁に激突し、自分の身体が床に勢いよく跳ねる。
容赦のない力で蹴られたのだ。
「…………っ!」
せきこみ、胃液をはくが、もちろん馬鹿は待ってくれない。
「じゃあな、ユリウスのそっくりさん。これで、何もかも元通りだぜ」
「待て!私の話を――」
剣が思ったよりスローに、自分の首を狙って宙を滑ってくる。
かわすなり、腕で防ぐなりすべきだ。
だが実際にしたところで、その前に首が飛んでいるだろうと、なぜか分かっていた。
――こんなところで……。
ユリウスは目を閉じた。

そのまま数秒、いや数十秒はたった。
それなのに、いつまで経っても、最期の瞬間は訪れなかった。
「……?」
ついにユリウスは目を開く。
とりあえずは自分の首が落ちていないことを確認し、安堵した。
「…………」
だが剣の切っ先は目の前にあった。
まさに首の皮一枚というところで止まっていた。
――いったい何があった?
しかし一瞬遅れ、ユリウスもその理由に気づく。
「エース……その人に、手を出しては……ダメだ」
やや息の荒い、自分と同じ声が聞こえた。

エースも同じ方向を見ている。彼は廊下の向こう側にいた。
必死に走ってきたのだろう。
長い髪は乱れ、汗を床にこぼし、大きく肩を上下させている。
時計屋『三号店』が立っていた。

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