続き→ トップへ 短編目次

■遊戯の代償・中

時間帯は夜に変わり、薄明かりが塔内にともる。
ただでさえ歩かない夜の塔は、初めて歩く場所のようだった。
ユリウスは少し下がって歩き、グレイについていく。
「時計屋、仕事の方はいいのか?」
「ああ。普段から、もっと休んでも間に合うくらいだ」
そう言うとグレイはうなずき、
「だろうな。もっと休んだ方が良い。お前は働きすぎだ」
「お前の方こそ過労だ。少し休暇を増やせ」
「俺は立場上、仕事が減らせないんだ。今は仮眠を取らせてもらうが、基本的に休む
暇があるなら仕事をする」
「ああ、それはよく分かる。私も休んでいる暇があるなら仕事をしていたい」
「はは。気が合うな。しかし抗争続きだし、お互い当分、働きづめだな」
「全くだな。少しは他の勢力も休戦協定でも結んでほしいものだ」
「それについては塔としても水面下で交渉を――」
……話は合うのにいまいち話題が恋人らしくない。
むしろたまたま行き先が同じになった友人、いや職場の近い知人のような。
グレイもそう感じたのか、早々に話を打ち切る。そして何か考えついたようだった。
「時計屋、こっちだ」
「ああ」
言われるままについていく。私室の近道にでも案内されるかと思いきや、
「資料室?」
入ったことはないが、通りがかったことはある。グレイは持っていた鍵で扉を開け、
ユリウスを手招いた。手堅い統治のされているクローバーの塔の資料室は広大だった。
無数の棚に多種多様の分厚いファイルが隙間無くぎっしり詰められている。
グレイはそのまま棚の迷宮に分け入っていく。だが明かりをつける様子はないから、
資料を取りに来ただけなのだろうか。残業だとすればアフターなのに大変だと、
ユリウスは一人、感心する。グレイは何度も棚を曲がり、ユリウスを案内する。
「こっちだ」
「ああ」
言われるままついていくと、ふいに棚の群れの奥まった場所に誘われる。
静かだった。上方の風窓からもれる月明かりだけが、唯一の光源だ。
――トカゲが作業している間、ここで待っていればいいのか。
ユリウスは一人納得し、手近な棚にもたれて待とうとした。だがグレイは手で制し、
「待たなくていい。今からここでやる」
「そうか、わか――は?」
あまりにも自然に言われ、危うくうなずくところだった。だがグレイはいつも通りだった。
「おい、冗談がきついぞ、トカゲ」
ユリウスは危険な空気を感じて後じさりし、冷たい棚の群れに後退を阻まれる。
思わず脇に逃げようとすると、音を立てて両脇に手をつかれる。衝撃で棚が揺れた。
勢いに怯み、棚にもたれたまま、ずり落ちるように背が下がる。
そんなユリウスをグレイは静かに見下ろし、
「抵抗しないでくれ。今、俺たちは恋人同士だろう?」
「だ、だが――」
恋人とは無条件に相手の言うことを聞く関係ではないはずだ。
そう言おうとしたとき、グレイの瞳と瞳が合う。
平素は冷血動物を思わせる鋭い黄の瞳なのに、今は月のようにその光は儚い。
勝者の立場を利用し、弱みにつけこもうという雰囲気ではない。
――むしろそれよりはもっと悲しそうな、静かなのにどこか切羽詰まった――
そこでユリウスはハッと気がつく。
――もしかして私はトカゲを傷つけたのか?
カード勝負一つで想う相手に切り捨てられようとしたこと。そこまで嫌われ、相手に
されていないことを突きつけられ。だからこその、『ごっこ』遊びの提案。
互いの年齢や性格から、子供の遊びに興じきれるわけがないと知っていて。
それでも伝える、せめてもの意思表示。
それらの思考は一瞬だったが、ユリウスの罪悪感を激しく喚起させるに十分だった。
「時計屋? 嫌なら構わないぞ。そうだな、こんな場所はひどすぎるな」
グレイが引こうとするのを慌てて押さえ、目で『いいんだ』とだけ伝える。
「ん……」
グレイの唇が下り、ユリウスのそれに重なる。すぐに舌が入り込み、口内を静かに
かき回した。唾液が絡み、わずかな息継ぎの合間に熱い息が漏れる。
離れようとすればより強く頭をかき抱かれ、より深く口づけられる。
いつの間にかユリウスもグレイの身体に手を回し、抱きしめていた。
互いの時計の音が混じり合って聞こえるほどに密着し、しばらく互いの息を確かめ合う。
そしてグレイは唇を離し、ユリウスの前をゆるめ出す。
タイを引き抜かれ、性急な動作でボタンを外され、ユリウスは我に返って慌てた。
「おい、トカゲ、本当にここでやる気か? いつ誰が来るか――」
「俺を誰だと思っているんだ。人の出入りくらい把握している」
「だが――ぅっ」
胸を甘噛みされ、熱い声が漏れる。下半身をまさぐられ、早くも反応しかけている
自分が浅ましい。それでもしつこく逃げようとしてしまったのか脱力してしまった
のか、棚を滑り台にしゃがみ込む寸前までずり落ちる。
「時計屋、別にそこまでする必要はないが、お前がしたいと言ってくれるのなら……」
「――は?」
ハッとして前を見ると、目の前にグレイのズボンがあり、少しだけ……その……。
――おいおい……。
さきほどまでの罪悪感が瞬時に消え去り、深く後悔する。
グレイは明らかに分かっていて言っている。

そういえば、こういうところもある奴だった。

2/3

続き→

トップへ 短編目次

- ナノ -