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■捕らえられた話2

「……?」
帽子屋の引き出した本には覚えがない。
こんな本が自分の本棚にあっただろうか。しかも表紙の装飾を見るに紅茶の本らしい。
「記憶にないな。恐らく以前に間違って購入し、そのまま突っ込んであるのだろう。
欲しければ恵んでやるから、勝手に持って行け」
意地悪く言ったが、ギョッとしたように帽子屋が振り向いた。
「な、何!?『ALL ABOUT TEA』の初版本を!?
お、おまえは、こ、これにどれだけ天文学的な値がついているのか……!!」
どうもその筋の稀少書だったらしい。紅茶狂の男には呆れ果てるしかない。
「相変わらず紅茶が絡むと、さらにイカレるようだな。
私が紅茶の本を持っていてどうするんだ。好きな奴が読むのがいいだろう」
別に何か取り引きをしようとか思ったわけではなく、普通にそう言った。
本棚にある記憶がどこにもないほど、自分にとって印象の薄い本なのだから。
だが本はユリウスが思っていたよりはるかに、帽子屋に意味のあるものらしかった。
帽子屋は、時計屋に借りた本のことは完全に頭から抜け落ちたようだ。
震える手で深緑の書を引き出し、美術品でも鑑賞するように、飾り気の無い表紙と
金箔で印字された題字を見ている。
ユリウスはいい加減、購入した本を読みたくて仕方なかった。
「もうこれで十分だろう。早く帰れ。貸した本は人を寄こして返してもらえれば
……おい、聞いているのか?帽子屋」
「…………」
ブラッド=デュプレは我が物顔でソファに腰かけた。
そして目を輝かせ(!)、紅茶の資料を読み始める。
ユリウスは深く深くため息をつく。
「早く帰ってくれ……」
そして迷子癖の部下が到着するか、帽子屋の犬が迎えに来ることを切に願った。

…………

…………

珈琲豆を、音を立てて挽く。
香ばしい匂いがユリウスの苛立った気分をわずかに紛らわせてくれた。
だが帽子屋はそれにさえ反応しない。
「……帽子屋。いつ帰るんだ?」
うんざりして粉状になった珈琲豆をフィルターに入れ、ドリッパーにセット。
湯を注ぐと、ガラスのサーバーに黒い液体が落ちる。
紅茶狂は、本から目を離さない。
「おい、帽子屋……おい!いつ帰るんだ!」
「ん。ああ。これを読み終わったらな」
「かなり分厚い本に思えるのだが……」
帽子屋は未だに帰らない。
それどころか、いつの間にかブーツを脱ぎ、帽子を、ジャケットを外しと、まるで
自室にいるような格好で、だらしなくソファに寝そべっている。
そして、ユリウスの物だったらしい紅茶の超稀少書を読んでいる。
ユリウスはうんざりして、いっそ屋敷に使いを出して、犬かツインズに迎えに来て
もらおうかと本気で考えた。
……まあ、ボスに恥をかかせたと逆恨みされそうだが。
「そこまで面白いか?」
珈琲を口に含み、返事など期待せずに言ってみる。
「ああ。名書中の名書だ。紅茶の歴史をここまで膨大に網羅しているとは……」
「いや、おまえのような紅茶狂以外には、退屈なだけの本だと思……」
「紅茶を軽んずるな!あれは計算され尽くした味覚の芸術品だぞ!!」
バッとソファから起き上がり、眼光鋭くこちらを睨みつける。
「……す、すまなかった」
勢いに押されて謝罪すると、帽子屋はフンッと鼻で笑い、またソファに寝そべる。
――い、いや、なぜ時計塔の主の私が譲らねばならないんだ!
密かに憤りに襲われる。が、もっと笑われそうなので言葉に出せない。
それともこれがマフィアのボスと、引きこもりの時計屋の差なのだろうか。
勝手に軽い自己嫌悪に襲われ、我が物顔でくつろぐブラッド=デュプレを見る。
「…………」
認めたくは無いが、帽子屋は顔の整った男だ。イカレた帽子を外し、トランプ柄の
あしらわれた妙なジャケットを取ると、女が騒ぐ理由もそれなりに分かる。紅茶の
弁舌のためとは言え、常のダルさを捨て、こちらに食ってかかった瞳の色は……。
――……男の容姿について、何をくどくど考えているんだ。××か、私は!
ユリウスは頭を抱える。
そして嫌がらせに二杯目の珈琲を淹れることにした。
そこで、しかし、と心に引っかかるものを覚える。

気のせいだろうか。帽子屋がときどき、こちらの気配をうかがっている気がした。
だが視線を向けても、マフィアのボスは常に本から目を離していない。
だからユリウスも気のせいだろうと、すぐにそのことを忘れた。

…………

珈琲の香気も室内から消えた頃、ユリウスはようやく本に集中するようになった。
そのとき寝息が聞こえた気がして、本から顔を上げた。
すると、帽子屋がソファで眠っていた。
「ん……」
「お、おい!ソファで寝るな!風邪を引くぞ!?」
そういう問題ではない気もしたが、帽子屋を揺さぶる。だが、起きる気配もない。
「〜〜〜〜!!」
頭をかきむしり、チラリと部屋の隅の古びた電話を見る。
……まあ帽子屋ファミリーの電話番号など知らないし知りたくも無いのだが。
――いっそ、この場で始末するか?
敵の領土の奥深くで眠る間抜けな役持ちなど、撃たれても文句は言えない。
ユリウスは懐からスパナを出し、銃に変えようとした。
「…………」
――もうすぐ、こいつの犬が来るかもしれないな。
ユリウスはため息をつき、自分のコートを脱いで帽子屋にかけてやる。
――…………。
そして、こんな機会も滅多にないので、帽子屋の奇妙な服や帽子を観察する。
だがすぐに飽きて、次にユリウスは、帽子屋の顔を観察した。
やはり眉目秀麗という言葉が似合う。
漆黒の髪はカラスの濡れ羽色。長いまつげの下には、宝石のような碧の瞳が……
「ぼ、帽子屋!?起きていたのかっ!?」
帽子屋は目を開け、ニヤニヤとこちらを見ていた。
「ああ。襲われる瀬戸際だったな」
……明らかにユリウスが優位だというのに、帽子屋は余裕の笑みでこちらを見る。

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