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■捕らえられた話1


侮蔑、そして憐れみ。

奴から向けられるのはそんな視線ばかりだった。

ゆえに憎悪した。
時計が止まるまで関わり合いになりたくはないと。
そう思っていた。

…………

ある夜の時間帯のこと。
時計屋ユリウスは、塔の外に買い出しに出ていた。
そして帰路、行きつけの書店に寄ることにした。
探していた書物が、手に入ったとの連絡があったからだ。

ユリウスは夜の街を一人静かに歩いて行く。
最近は、大きな抗争もなく、本を読む余裕は十分にある。
腕に抱えた紙袋の中の、新しい珈琲豆の重みも心地良く、ユリウスは書店に急いだ。
そして。
「ど、どうかお許し下さい!!」
古びた書店の扉を開けたとき、そんな声が奥から聞こえた……。

「…………」
まずユリウスは眉をひそめ、そして気取られぬよう、静かに扉を閉める。
そしてスパナをいつでも銃に変えられるよう、手に握りしめた。
棚の間を這うようにして、暗い書店の奥に進む。
ほどなくして『それ』が見えた。
奥の明かりの下で懇願しているのは、いつもの古書店主。
今は、冷淡で事務的だった顔と声を崩し、必死の形相だった。
「そ、その本は他の役持ちの御方がご注文された品です!
他の本でしたら何でも差し上げますので、それだけはどうかお許しを……」
そして訴えている相手は……

「それは気の毒なことだ。だが私もこの本に興味がある。ゆえに私がいただこう」

明かりの中、長い影が本棚に落ちる。
その奇妙すぎるシルエットには心当たりがあった。
「ブラッド様、どうかお慈悲を……!私が葬儀屋に殺されてしまいます!」
自分で仕事を増やすような真似をするか、とユリウスは思うが、役なしにとっては、
その程度の認識だったようだ。
「ふむ。マフィアのボスに慈悲を求めるか?なら応えねばなるまいな。
くだんの役持ちに殺される前に、私が息の根を止めてやろう」
「……そ、そんな!」
言うまでも無く、声の主は帽子屋ブラッド=デュプレだった。
珍しく部下を連れず、単独でいる。そして古書店主は、
「そ、それなら結構です!お代もいりません!どうぞお持ち帰り下さい!」
必死に首を振るが、イカレた帽子屋はすでにマシンガンを出している。
「遠慮は無用だ。何、苦痛を感じる間もなく終わる。本をいただくせめてもの礼だ」
「ひ……っ」
単に退屈しているのか、顔なしに抵抗されたことが不快だったのか。
そして恐怖に声も出ない店主がハチの巣になろうとする寸前に――

「止めろ。その本を注文したのは私だ」

ユリウスは薄明かりの中に出て行った。

…………

勢い良く扉が開けられ、古書店主が逃げる足音が遠ざかっていく。
かび臭い古書店には、二人の役持ちが残され、銃を向け合っていた。

「帽子屋。おまえとは、まだ撃ち合う順番では無い」
ユリウスはいちおう言って見る。だが、
「私の知ったことでは無いな。エリオットにいい手土産が出来た」
薔薇つき帽子の男がマシンガンを下ろす気配はない。ユリウスは冷ややかに、
「ウサギの土産なら野菜でも買っていけ。それより、その本を渡してもらおう。
私の注文していた稀少書だ。人を通じて代金も支払ってある」
帽子屋と同じ物を探していたと思うと、反吐が出そうなほど不快になる。
だが背に腹は代えられない。
帽子屋も手に持った分厚い古書をチラッと見る。
「まあ。時計屋が最近、この店に出入りするという情報は入っていたが……」
マフィアのボスの古書を見る目には、厄介な執着のきざしが見えた。
仕方ないので、ユリウスは言ってやる。
「言っておくが、その本を最初から子細に読んだところで、意味など分からない。
それは続き物で既刊が何冊かあるからだ。もちろん、よそにはない」
ユリウスは持っているが。
「…………」
帽子屋の表情に、不穏な何かがよぎった。
一瞬、ユリウスは心配になった。
帽子屋が、本に興味を失い、腹いせに本を撃ち抜くのではないかと。
そうなったらその一瞬の隙に、引導を渡してやろうと、引き金に、力を入れる。
帽子屋は、気だるそうにしながらも、まだ考えているようだ。

…………

…………

「これはまた想像以上に陰鬱な場所だ。まさに墓地だな」
「…………」
いくら何でも、そこまで形容されるいわれはない。
だが時計屋の作業場に入った帽子屋は、撤回する気がないようだ。
狭くて機械油くさい室内、修理中の時計や、時を止めた時計を、嫌そうに見ていた。
「不愉快極まりない場所だな。よくこんな陰鬱な空間にこもっていられるものだ。
もっと広く開放的な場所に移ったらどうだ?」
「私は陰鬱な空間とやらの方が気に入っている。本が欲しくないのなら帰れ」

……欲しかった本を人質に取られた弱みかもしれない。
『最初の巻から読めるのなら返す』という帽子屋の言葉に従うしかなかった。
ユリウスはズカズカと本棚まで歩き、一冊を取り出すと、帽子屋に放り投げた。
「ほら、これが一巻目だ。返さなくていいから、とっとと帰れ!!」
パシッと分厚い本を受け止め、帽子屋は帽子をかぶり直して苦笑する。
「奇妙な時間帯だ。この私が時計塔に入り、よりにもよって時計屋に、本を二冊も
譲り渡されるとは」
帽子屋は満足そうに、一巻目の最初の数ページをめくる。
「貸しただけだ!それと新しい巻の方は今持っていても意味がないだろう!」
手を出すと、やっと目当ての本が手の内に戻る。
それさえ入ればもう用は無い。無言でユリウスは扉を指した。
が、帽子屋は出て行かない。
渡した本をどこかにしまい、次に興味深そうに棚の書籍を見はじめる。
「ふむ。我が屋敷のものとは、またおもむきの異なる様相だな」
ユリウスは舌打ちし、イライラと帽子屋が帰るのを待つ。
そして窓の外の時間帯を見ていたとき、背後から声が聞こえた。
振り向くと、書棚の前で帽子屋が芝居がかった仕草で驚愕していた。
「何……これは……!こんな稀少な本が、まさか時計塔に……」
どうやら帽子屋の興味を惹く本があったようだ。

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