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■四号店、トカゲと夢魔に会う・下

「どうなってるんだ、この世界は……」
ユリウスは、クローバーの塔の廊下を飛びながら真剣に考える。
トカゲが上司の世話にてんてこ舞いだったため、隙を突いて逃げることが出来た。
夢魔も、あれはあれでダメ人間だ。
ワーカホリックが有能と等号ではないという典型例か。
――もう、どうでもいいか。
時計屋が三人いたり、帽子屋のボスがアリスだったり、夢魔が仕事中毒だったり。
つきあいきれない。
とにかく今は元の世界に戻ることが先決だ。
フワフワ飛ぶユリウスの前に、ようやくドアの階段が姿を現した。
『開けて……』『私を開けて……』『ドアを開いて……』
声が次々にユリウスにかかる。ユリウスは自分でも開けられそうな小さな扉を探し、
その前に降り立つ。ドアノブを手にかけ、目を閉じた。
「これで、やっと帰れる……」
安堵に小さく息をつき、ユリウスは迷うことなく扉を開いた。

…………

扉を開けたそこは帽子屋屋敷だった。
ソファで紅茶を飲んでいたアリスは優雅に微笑む。
「あら、お兄さん。遊びに来てくれたの?一人のお茶会で寂しかったわ。
ゆっくりしてちょうだい」
「…………」
アリスがベルを鳴らすと、すぐさま部下たちが現れた。
いつの間にか主の部屋にいた時計屋には一切の疑問を挟まず、整然とテーブルに
カップを並べ、紅茶を注いで去っていく。
「…………」
ユリウスは固まっていた。
扉を開けたら二号店サイズから、元の自分に戻っていた。
それはいい。時間が経ち薬の効力が切れたのだろう。
だがドアを開けた先が、なぜ異世界の、それもマフィアのボスの部屋だったのか。
「座ってちょうだい、お兄さん」
「あ、ああ……」
促され、ユリウスはソファに腰を下ろした。
アリスは向かいのソファで優雅にお茶を飲む。貴族の令嬢に見えるはずなのに、
チラリとこちらを見る瞳には、どこか色香が漂っている。
「ねえ、お兄さん」
「あ、ああ。何だ?」
時計屋らしく、動揺を表に出さないよう平静に答える。
「やっぱり私の屋敷にしばらく滞在しない?
たまにはお仕事を忘れてのんびりするのも悪くないわよ?」
「……前向きに善処しつつ検討しよう」
「考えておいてね?」
こちらの動揺を完璧に見抜いているのだろう。片目をつぶる姿さえ可愛らしい。
――とはいえ、どこからもこれか。
エースに迫られ、トカゲに飼われそうになり、帽子屋のボスにも誘われる。
こちらの時計屋の人望(?)もあるのだろうが、余所者ゆえの好意も混じっている
のかもしれない。

「お兄さん。私といるときは、他のことを考えないで」

「な……っ!!」
いつ移動したのだろう。いつの間にかアリスがユリウスの真横に座っていた。
そっと手をのばし、意味ありげに人差し指で腿のあたりをなぞる。
「……くすぐったいから止めろ」
「いやよ、お兄さん」
だが言われたとおりに手を離し――そっと手を伸ばし、ユリウスの頬に触れた。
「お、おい、アリス……」
だがアリスはゆっくりと顔を近づけてくる。なおも焦っていると、
「お兄さん、こういうときは目を閉じるものよ」
甘くやわらかな声。ユリウスは目を閉じそうになり、
――い、いや、落ち着け。こいつはアリスではなく、帽子屋のボスだ。
というか役割がおかしくないだろうか……。

「アリス、止めろ」
だがユリウスは理性を総動員し、アリスの肩を引き離した。そして目を見て、
「こういうことは、好いた相手とやるものだ」
するとアリスは目を丸くし、声を上げて笑った。
「古風なのね。ますます好きになったわ!」
そして、こちらならいいだろう、とばかりにしなだれかかってきた。
ユリウスは内心ため息をつきながら、
――元の世界のあいつも、あちこちからこんな目に遭っていたのか?
と内心同情する。そして元の世界の、ボスではない少女のことを考えようとし、

――そういえば、元の世界のあいつは、今何をしていた……?

ふいに疑問符が頭に浮かぶ。どうも頭に霧がかかっていて、思い出せない。
だが違和感の源をつきとめようとする前に、
「お、おい、止めろ、アリス!」
「いいじゃない。お兄さん」
くすくす笑い、アリスがユリウスの、あちこちのポケットを探り出した。
計算し尽くした行為ではなく、ただの悪戯だろう。
笑うアリスをはたきながら、かわしていると、
「あら、お兄さん、これは何?空っぽなのね。何が入っていたの?」
ふいにアリスがポケットから何かを取り出した。
時計修理の道具でも入っていただろうか。
ユリウスはアリスの取り出したものを見――言葉を失った。

ハートの小瓶だった。

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