続き→ トップへ 短編目次

■猫耳協奏曲・上

※R18

「緩急針七十、秒カナバネ五十、コハゼ二十五、輪列受け十、アンクル五十、
雄ネジ二百、雌ネジ二百五十、丸穴座十五……」
時計屋ユリウスはブツブツつぶやきながら、部品を点検する。
ハートの国の中心部にひっそりと建つ時計塔。
その作業室でユリウスは、業者から納品された仕事道具をチェックしていた。

しかし、手品のように滑らかに動いていたその手が、突然止まる。
「何だこれは?」
ユリウスは小さな瓶を取り上げる。
透明な瓶だ。表面は光を反射し、眼鏡をかけた暗そうな男を映す。
だが、この瓶は見慣れた機械油や研磨剤のものではない。
いぶかしげに瓶を回していたユリウスの瞳が、突然鋭くなる。
フタに帽子のマークがついていた。
「あいつらのものか。間違えてこちらに納品されたか?厄介な……」
舌打ちして、その小瓶だけ脇に避けておく。
そのとき、作業室の扉が勢い良く開けられた。

視線を向けるまでもなく分かる。薄汚れたローブを羽織った仮面の男、エースだ。
エースは仮面を外すと爽やかに、
「ユリウス!久しぶりだなあ!」
「五十六時間帯の遅刻だ、馬鹿者。おい、作業を手伝え」
愛想だけは良い部下に素っ気なく返し、ちょうどいいので、点検の終わった部品を
パーツ棚にしまうよう指示を出す。エースは肩をすくめると、大人しく指示に従った。

少しして、ユリウスが新しい片眼鏡を装着して周囲を見たとき、エースがあの小瓶を
見ているのが視界に入った。奴も帽子のマークに目を止め怪訝そうにしている。
ユリウスは片眼鏡を外し、
「それに不用意に触るな。紛れ込んでいたもので、中身が何かは分からないんだ」
するとエースは面白がる顔になり、
「じゃあユリウス、飲んでみろよ。帽子屋さんの薬なら絶対面白いことになるって」
だがユリウスに冗談に応じる気はない。
「その薬品は処分する。奴らとはあまりトラブルを起こしたくない」
連中はマフィアで、危険な薬品も多数扱っている。
わざわざ返品に行ったところで、礼を言われて終わりになるとは到底思えない。
「ふーん、面白そうなのに、残念だなあ」
言いながら、そうっとユリウスの肩に伸ばされるエースの手。
ユリウスは容赦なく手の甲をはじき、
「私はこれから仕事だ。お前にも次の仕事を用意している。
休んだなら、とっとと働け」
素っ気なく言うと、エースは『えー』と抗議してきた。
「戻るなり仕事手伝わされて、休んだとか言えないぜ。
もう少し部下をいたわってくれよ!もう二百時間帯も禁欲してるんだぜ?
ご褒美を期待して、ユリウスの仕事をがんばったのに」
「壊れた時計も、お前のような自堕落な男に回収されては浮かばれまい」
呆れて呟く。エースはなおもぶつくさ言い、諦め悪くユリウスに触れようとする。
ユリウスは冷たくその手をはらいながら、
「そこまで労働環境が不満なら、私の部下を辞めて古巣に戻るか?
二君に仕える男が暖かく迎えられるとは思えないがな」
「ユリウス〜、言葉がきつくないか?」
「私は元からこういう性格だ。分かっていて部下になっているのだろう?」
嫌味を追加するとエースは苦笑いした。
「なら、もう少し頑張ってくるからな。帰ってきたら今度こそご褒美を頼むぜ」
そう言って、エースはユリウスの腰を抱く。
かわす間もなく素早く唇が重ねられた。

瞬固まってから抗議しようとしたとき、ローブをまとった部下はすでに仮面をつけ
片手をあげて部屋を出て行った。
ユリウスはしてやられたことに舌打ちはしたが、
――しかし、褒美か。
確かにここのところ抗争続きで、エースには過重なくらい働いてもらっている。
本人の迷子癖をさし引いても、労働時間は相当なものになっているはずだ。
しかし本人は根を上げるでもなく、根気よく回収してくれる。
帰ってきたら、本当に何らかのねぎらいを与えるべきかもしれない。
――やはり定番通り、金か酒か?
しかし単純に金というのも即物的だ。
しかしそれなりの酒を用意するとなると下調べがいる。
さらに女王や帽子屋といった愛好家のライバルと競り合う手間も出てくる。
――面倒だな。
まあ、一番手っ取り早くエースを喜ばせる方法はあるにはあるが……。
だが自らそれをやってしまっては、男として終わりだ。

特にアイデアもなく、ユリウスは頭をかきながらポットの湯を出し珈琲を入れる。
湯温は冷がっていたので一気に一杯目を胃に流し込み、続いて二杯目を――
「熱っ」
舌に熱さを感じて珈琲を噴きそうになった。

――妙だな。一杯目は普通に飲めたのに。

ユリウスは首を傾げ、手の甲で顔をこする。
「まあ、金でも渡すか。金をもらって嫌がる奴などいないからな」
一人結論づけ、満足するとユリウスは窓の外を見た。
いい天気だ。
昼の陽光が室内に差し込んで、とても気持ちがいい。

ユリウスはそのまま窓辺で丸くなると、ごろごろ喉を鳴らしながら昼寝に入った。

1/3

続き→

トップへ 短編目次

- ナノ -