続き→ トップへ 短編目次

■エースを嫁にしてみた・中

…………
鼻腔を香ばしい匂いがくすぐり、ユリウスは目を覚ます。
――あの馬鹿、また室内でテントを……。
怒鳴りつけてやろうと起き上がる。そしてベッドの下を見……
「あ、飯が出来たぜー」
意外なことにご飯はテーブルの上にきちんと置かれていた。
だがおたま片手にユリウスに笑うエースは……エースは……。

ユリウスは確信する。季節が何度めぐっても、どれだけ人が過ぎゆきても、
たった今見た、このおぞましい光景は脳裏から離れることはないだろう。
何度も何度もうなされ、夢魔の力を借りなければ追い払えない、とわに続く悪夢と
して自分を苦しめ続けるのだろう。そう確信した。
「確か、新妻ってこんな格好するんだろ?」

「…………エプロンの下に、ちゃんと下着と服を着ろ」

悪夢から目をそらし、吐き気を必死にこらえ、ユリウスはやっとそう言った。

…………
窓の外にはきれいな月夜が広がっている。
時計塔の作業場でも灯りをともし、男二人が夕食を取っていた。
「はい、あーん」
「…………」
仕方なく口を開けると、赤いコートの騎士(エプロン着用)はミソスープの乗った
スプーンを口に入れてくる。結構美味い。

あの後、エースに何とか服を着させ、改めて互いの名を教えた。
その場で記憶について説明してやってもよかった。
しかし空腹だったので、真相を教えるのは食後にするかと判断したのだ。
おかげで未だにエースはユリウスの奥さん気分でいる。
「美味いか?」
「ああ、美味い」
仏頂面で答えると、なぜかエースは嬉しそうに笑う。
「あはは。ユリウスって照れ屋だな。さっきだって俺の、は――」
「それ以上は口にするなっ!」
思い出すも悪夢の記憶を呼び覚まされそうになり、怒鳴るとエースはきょとんとする。
そしてまた噴き出した。
「亭主関白なんだなー。でもそんなところも可愛いぜ。仕事のしがいがあったよ」
「…………」
ユリウスはどう返答したものか分からなかった。
実際、エースの仕事は上出来だった。
洗濯も掃除も、男手の雑さはあるものの、きっちりと終わっていた。
塔の補修も完璧で、部屋の整理整頓もされ、今食べている食事も文句のつけようがない。
普段ろくなものを食べていない反動もあり、ユリウスは一気に食事をたいらげた。
「はは。そんなに一気に食べてくれると、俺も嬉しいぜ」
エースは甲斐甲斐しく食べ終わった皿を盆にまとめ、立ち上がる。
「ちょ、ちょっと待て。私も厨房まで行こう」
ユリウスもあわてて立ち上がる。
「ええ?大丈夫だよ。ユリウスは部屋でくつろいでいてくれよ」
「おまえが迷子になったら困るだろう。客用の皿まで持って消えられてはかなわん」
本心からの発言だったが、なぜかエースは嬉しそうにユリウスを見る。
「それじゃ、一緒に皿洗いしようぜ」
「……は?」
「ほら、ドアを開けてくれよユリウス」
「あ、ああ。分かった」
両手のふさがったエースのために、あわてて扉を開けてやった。

…………
「ユリウス、ここか?」
「ああ、もっと右……そこだ」
――何で、こいつはこんなにハマっているんだ……。
さっぱり分からない。
二人で後片付けして、手をつないで部屋に戻り、話をしながらマッサージをさせ。
ソファに横になるユリウスは首を傾げていた。
「痛……馬鹿!そんなに力を入れるな!」
エースは笑いながら、肩をマッサージしてくる。
「ユリウスこそ肩がこりすぎだ。普段から運動してるのか?」
「するわけがないだろう。そんなことをする暇があるのなら仕事をする」
「はは。真面目だなあ。俺の旦那様は」
「誰が……」
と、そこで時計修理のことを思い出す。
作業机の上には、残像が持ってきたらしい時計が数個のっていた。
「……ご苦労。私は仕事に戻るから、おまえは寝ていろ」
エースに手を振って上からどかせ、ユリウスは起き上がる。
「ええ?これから寝るところだろう?夜なのに仕事をするのか?」
「夜の方が集中出来る。いいからおまえは寝ていろ」
「あ、ああ」
記憶はまだ戻らないのか、心配そうにユリウスを見ているエース。
――そうだ。仕事が終わったら、ちゃんと思い出させてやらないとな。
「いいから、おまえは黙って私についてくればいい」
「ああ。わかったぜ!」
「…………」
素直に返されるとまた反応に困る。
ユリウスは何となくエースの頬に手を当てる。
「エース、目を閉じろ」
「ん……」
薄暗い部屋の中、二つのシルエットがそっと重なった。

…………
「寝ていていいんだぞ」
「いいよ。ユリウスの仕事を俺も見ていたいんだ」
窓の外は未だに夜が続いている。
――待て。何か私自身もその気になってないか?
恐ろしい可能性に戦慄しつつ、ユリウスは眼鏡をかけ、時計を修理している。
エースはというと、眠ったのは最初の数時間帯だけ。
夕刻が来て、朝になり、また夜が来て。
そのあたりで起き上がると、あとは真横で頬杖をつき、ユリウスの修理を見ている。
「……珈琲、飲むか?」
「ああ」
間が気まずくて、ユリウスは立ち上がる。

「ほら」
「ありがとな」
湯気の立つコーヒーカップを渡すと、エースは微笑んで受け取る。しかし一口飲むと、
「ユリウス、苦いぜ」
「ならクリームでも入れろ」
「ええ。砂糖の方がいいな、俺」
「…………」
ユリウスは無言で角砂糖の入った小瓶を渡す。
フタを回してエースが角砂糖をつまみ、一つを口の中に放り、音を立てて砕く。
珈琲を飲みながら何とはなしに見ていると、こちらを向いたエースと目が合った。
「……ユリウス」
「ん……」
唇が重なり、エースの舌が、うかがうようにこちらの舌に触れる。
角砂糖が溶けきらない甘い味がした。
そのまま、二人で角度を変え、何度も何度も口づける。
「ん……」
「ユリウス……ん……」
薄明かりしかない部屋の中で、時計の音に混じり、唾液が卑猥に絡む音が響く。
砂糖の味も消えた頃、エースがユリウスを抱き寄せ、首筋に舌を這わせる。
身体に回された手が少しずつ下に下りていく。
そこでユリウスも、低い声を出した。
「おい、私はまだ仕事中だぞ」
「好きだぜ……」
「馬鹿が」
ユリウスはエースの顔を上げさせると、そっと自分から口づけた。

2/3

続き→

トップへ 短編目次

- ナノ -