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■犬を飼った話3

「見つからないか……」
疲れた顔で、ユリウスは岩の上に腰を下ろす。
犬はかたわらに寄り添って、慰めるように、ズボンに鼻先をこすりつけた。
あれから、かなりの時間帯が経過し、未だに手がかりの発見に至らない。
森だの崖だのをしらみつぶしに探した。捜索場所も尽き、しまいには山まで登った。
絶壁を伝い、ロッククライミングし、高山病にかかりかけ、何とか山頂に至り、
テントで野宿し、迎えたご来光の美しさに何か感動してから我に返って下山し、
その途中で本当に遭難しかけ、何とかふもとに至り……だんだん、部下の捜索に来た
のか、本当に旅に出たのか分からなくなってきた。
試行錯誤の末に火をおこすことに成功し、テント設営も上達したが、虚しさは募る
ばかり。ついでに犬は相変わらずテントに入ってくる。
ちなみに猟犬だけあってか山道にも慣れたもので、下山途中に遭難したときは匂いを
頼りにユリウスを先導してくれた。熊に遭遇したときは果敢に吠えて追い払い、
律儀にこんなところまでやってきた刺客に噛みついて撃退のチャンスをくれたこと
さえあった。
持参した食糧が尽きた後は野鳥やウサギを捕まえてくるなど、大活躍だった。
だが、肝心の馬鹿は見つからない。
「そろそろ、時計塔に帰るか……」
長いこと塔を留守にした。腕の怪我はとっくに治っているし、入れ違いで奴の方が
時計塔に着いたかもしれない。
「だが……」
なぜか知らないが、部下は戻っていないと言える。
勘とでも表現すればいいのか、そんな確信がある。
「おい、行くぞ。もう少し探す」
ユリウスは立ち上がる。だが犬はあまり元気がない。
というか、はしゃいでいたのは最初の数十時間帯だけで、その後はだんだんと
大人しくなっていった。特に山に登ろうとしたときはユリウスのズボンを噛んで、
行かせまいとしていた。
今も、どうも気が進まない様子で時計塔の方をチラチラ見ている。
『もういいから、帰ろう』と言いたげだった。ユリウスは冷たく、
「それならおまえだけで帰れ。私は一人でも行く」
首輪だってとうの昔に外している。好きな場所に行けばいい。
だがユリウスが荷を背負い直し、歩き出すと少し遅れて犬もついてきた。
進む先には大きな湖が見える。
とはいえ足が痛く腰も痛い。全身ほとんどが痛い。
引きこもりの身で長期の野外生活をした。犬が止めた通り、そろそろ心身ともに限界だ。
――あの周辺を捜して、何もなかったら今度こそ打ち切ろう。
そう決意した。

…………

「…………奴はどこだ?」
湖のほとりに部下のテントがあった。
かなり時間が経ち、焚き火跡は風でバラバラになりテントもあちこち破れている。
野ざらしになった布団は汚れきっていた。
だが部下本人はどこを捜してもいない。
「エースっ!!」
手を口にあて、大声で名を呼ぶ。
するとワンッと吠える声が聞こえた。
もう一度、部下の名を呼ぶと、またワンッと吠える声。
ジロッと睨むと、駄犬がユリウスを見ていた。
尻尾を振っている。
「まあ、おまえの手柄と言えば手柄だがな」
犬は湖に来たとき、まるで場所を分かっているように、まっすぐにテント跡に
ユリウスを導いた。これだけ時間が経って、匂いを判別出来たのなら本物の名犬だ。
「なぜ、飼い主はおまえを捨てたんだろうな」
さらに何度か名を呼んだが、犬が無駄に吠えただけだった。
「となると……」
ユリウスはチラッと湖を見た。湖面に昼の光が輝いている。

迷わずにコートを脱ぎ、身体を軽くしていく。
すると犬はユリウスの行動に驚いたのか、激しく吠え立てた。
「大丈夫だ。手がかりがないか少し見るだけだ。すぐ戻る」
制止を無視し、半裸になり水面に素足をつける。かなり冷たい。
だが止める気にはならなかった。
しかし水に入る直前、ふと思ったことがあり、未だ吠えている犬を振り返る。
大きな犬だ。改めてよく見ると、燃えるような赤い目をしている。
ユリウスは再び湖に入りながら、

「そうか、おまえ……エースという名前なんだな」

犬の鳴き声がピタッと止まった。
やはりそうかと確信し、それきり後ろは振り返らずにユリウスは水中に潜った。

「…………」
入ってみて、すぐに失敗だったと悟った。湖は不透明でしかも暗い。
よほど潜水に慣れている人間でなければ手がかりどころではない。
しかも水温が思ったより冷たく、もともと疲労していたこともあり体力の低下が早い。
早々にあきらめ、浮上しようとした。
「っ!!」
そのとき、ふいに足に激しい痛みが襲い、動かなくなる。
――しまった!
どうやら足がつったらしい。
慌てて手だけで水をかくが、沈むばかりで全く浮上出来ない。
必死になってもがくが、足は動かず、上下を保つことさえ危うくなり、次第に湖面が
遠ざかっていく。息も続かず、肺が爆発しそうに呼吸を求める。
――こんな……ところで……
最後のあがきに必死に水をかいたが、ただ沈むのを早くしただけだった。
口が開き、最後の酸素が泡となって虚しく浮き上がる。
それきり意識は闇に沈んだ。


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