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■犬を飼った話2

「……遅いな、あいつは」
読み終えた本をソファに置き、ユリウスは舌打ちした。
部下の到着が遅れている。
もともと十時間単位で遅刻する奴だが、今回は特に遅い。
かなり時間も経ち、こちらはそろそろ傷が治る頃合いだというのに、奴が遅れては
仕事の再開に支障が出る。
だが連絡を取ろうにも、放浪癖の強い部下は、なかなか捕まらない。
そのとき、足下で鳴き声がした。
犬だ。片時もそばを離れようとせず、今もユリウスがソファで本を読む間、
図々しく靴にあごを乗せ、眠っていた。
「何だ?餌はあと三時間帯、先だぞ」
だが犬は尻尾を振り、得意そうに床を跳ねる。
「おい、そんなに跳ねると足が……いや、待てよ」
ユリウスは近寄って後ろ足の包帯をほどく。傷跡はなかった。
「おまえの方が先に治ったのか」
犬はワンっと吠えると、
「うわっ!!」
突然どうっと立ち上がり、ユリウスの胸に前足をかけた。
衝撃で後ろに倒れるとそのまま上に乗り、存分に口元を舐めてくる。
「もういい、分かったから離れろ!この駄犬が!!」
しかし犬は聞いていない。ユリウスはあきらめて天井を仰ぐ。
そして犬の頭を撫でながら呟いた。
「外から見えないだけで、骨や筋肉がまだ傷ついている可能性もある。
あともう少し、経過を見ないとな……」
犬はこちらの言葉を分かっているのかいないのか、顔を舐めながら元気に吠えた。

…………

「これは、どこかで遭難しているな」
ユリウスはついにそう結論づけた。
部下の遅刻が最長記録を更新した。
使いを出したが、城でさ迷っているという報告はなく、街での目撃情報もない。
時計屋であるユリウスには、部下の時計が止まればすぐに分かるが、もちろん
それもない。となると、どこかで遭難し、難儀しているのだろう。
いつもなら、勝手に困っていろと時計を修理しているところだ。
「…………」
だが足下では犬が吠えている。元気になってからは散歩に連れて行けとうるさい。
このままでは犬のストレスがたまり、室内を荒らし始めるだろう。
ユリウスにとっても、始終吠えられては仕事の再開どころではない。
それに自分自身、腕がまだ治らず、することもない。
「散歩に行くか?」
犬はもちろん大きく吠えて応えた。

…………

「おい、そんなに引っぱるな!おまえも首がしまるぞ!」
必死に叫ぶが、外に出られた嬉しさか、犬は無視して先に進む。
街中で走って子供でも転ばせたら事なので、あらかじめ用意していた首輪と引き綱を
つけてやった。犬はほとんど抵抗せず首輪をつけさせたが、一歩時計塔の外に出ると
長身のユリウスを引きずる勢いで走ろうとする。
何やらうるさく吠える大型犬と、それを必死に押さえる時計屋。
妙な光景に、いつもは葬儀屋を避ける市民たちも、物珍しげにじろじろと見る。
恥ずかしさで顔が赤くなり、ユリウスは早々に街を抜けて森に入った。

――とはいえ、どこから探したものか……。
森は広いが遭難して動けなくなる場所となるとかなり範囲が狭まる。そんなに広い
国でもないし、しらみつぶしに探せばそのうちつきあたるだろう。
犬はというと、ようやく興奮が収まったのか『どこに行く?』と言いたげに
ユリウスを見上げてくる。ユリウスは懐から布を出した。
部下のまとっているローブの切れ端だ。
それを犬の鼻に近づける。
「いいか?この匂いだ。この匂いを探すんだ」
猟犬ならこういったことは訓練されているはずだ。
犬はずいぶんと長くその切れ端の匂いを嗅ぎ、ユリウスを見上げ、ためらいがちに吠えた。
「?」
気のせいか、犬が戸惑っているように感じた。血の臭いも混じっているから混乱
したのだろうか。ユリウスは首を傾げ、リュックを背負い直す。中には犬の餌と
簡易野宿セット一式が入っている。
「よし、旅に出るぞ」
元気に吠え返すはずの犬は、ますます戸惑ったようにユリウスを見上げていた。

…………
「あれ……これで火がつくんじゃないのか?」
結局、最初の捜索では一切手がかりが見つからず、森に野宿することにした。
だが火をおこす段階から早くも失敗している。
聞くとやるとでは大違い。こういったことに異様に詳しい部下が、何度もご教示
して下さったので知識はあるつもりだった。部下に無理やり連れられて出た旅で、
奴が楽々と火をおこし、料理を作るところも見ている。
だが自分がいざやるとなると、全く出来なかった。煙さえ出ない。
こんなときに限ってライターは燃料切れ。料理はあきらめ、何とかテントを張ろうと
したが、これまた数時間帯がかりだ。
やっと完成したものの土台がゆるく今にも倒れそうで、中に入るとすきま風も吹いて
くる。だが張り直す体力もないし、時間帯も夜に変わった。

犬は始終吠えまくっていた。
さながら『俺にやらせろ、下手くそ』と言わんばかりに。
……さすがに被害妄想かもしれないが。
「うるさい。おまえの餌はやっただろう!」
八つ当たりに怒鳴ったが、さらに吠えられただけだった。
観念してキャンプ用の布団に潜り込む。寒いし空腹だし最悪の気分だ。
何だってあの馬鹿は、こんな不毛な行為を愛好しているのだろう。
「お、おい、勝手に入ってくるな!」
図々しい犬は強引にテント内に入り込んできた。そして尻尾を振りながら
ユリウスの隣に器用に潜り込む。頭を布団から出し、顔をなめてきた。
「……ん」
温かい。獣はもともと人間より体温が高い。
暖を求めて抱き寄せると尻尾を振る気配がする。
「おまえは変な犬だな」
頭をなでると、その手を舐められ、ユリウスは少し笑う。
布団をかけ直し、犬を暖房代わりに眠りに落ちていく。
だが犬は眠る様子はなく、ユリウスを見ている。
――何だか、見られている気分だな。
そもそも愛玩犬ならともかく、訓練された猟犬が主人の隣に図々しく寝ようと
するだろうか。
まるで、ユリウスが寒いことを知って暖めるため入ってきたような……。
だが眠りに落ちたユリウスはそれきり、そのことを忘れた。


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