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■子犬になった話7

「俺は優しいからね。動物を散々苦しませて死なすなんて、出来ないぜ」
しかしエースも弱っているせいか一息に首は折れないようだ。
だが徐々に力は強まり、子犬の自分をゆっくりと死の淵に追いやっていく。
息が出来ない。目がかすむ。

『エース……私はここにいる……おまえのそばに……ずっとっ!!』

必死に叫んでも、出たのは子犬の弱々しい声。だが、その声がふいに消える。
命の灯火が消えたのではなく、ユリウス自身の意思で。

――そこまで消えたいのなら、一緒に逝くか?

苦しむ頭の隅に、ふとそんな思考が湧き上がった。それは誘惑にも似た思いだった。
どうせ腐りきった世界だ。未練があるはずもない。
いや、何か未練があるとすれば一つしかない。
自分が消え、エースが後を追う。残された者がどう噂をしようが関係ない。
エースの力はなおもゆるまず、彼の身体から流れる赤いものも、止まらない。
ユリウスは優しい気分になって、抵抗を完全に止めた。
――なら、一緒に楽になろう……。
気道が圧迫され、あと数秒も持たない。
ユリウスはどこか満たされた思いで目を閉じた。

そのとき、騎士の手が緩んだ。ずるりとユリウスは落ち、騎士の胸の上に落ちる。

――……っ!何を馬鹿なことを考えていたんだ、私は。

酸欠状態で正気ではなかったとはいえ、一瞬といえど愚かなことを思った。
とはいえ、エースに蹴られた傷も深い。
命が消えるのが、今か、少し後かというだけの話だ。
エースの生死を確認するため、ユリウスはよろよろと歩き、エースの顔をのぞきこんだ。
息はかろうじてあるが、両腕はだらりと下がり、目は閉じられている。
深い森の奥。犬の鋭敏な嗅覚と聴覚をもってしても、人の気配を感じない。
――都合の良いところはおとぎ話のように都合良く出来ているのに……。
多重のルールに縛られた不思議の国を憎悪する。
――都合の良いところは都合良く……おとぎ話のように……。
そのとき、ふとユリウスの頭に浮かんだことがあった。
それは以前、一度だけ考え、その後ずっと忘れていたことだ。
ユリウスは快晴の空を仰ぐ。そして虫の息のエースを見下ろした。
このままでもいい。壊れた男と共に全てから解放されるのも悪くない。
ただ待つだけでいい。何もせずに。このままで。エースもそれを望んでいる。
――だが、それは正しいことなのだろうか。
望むこと全てが正しいとは限らない。この馬鹿な騎士が考えればいいことだ。
もし本当にそれが正しいと彼が思うなら、いずれ再び同じことをするだろう。
何も自分が、今ここで決めてやる必要はない。
ユリウスはゆっくりと騎士に顔を近づけた。
そして、静かに唇を合わせた。

…………

『呪いを受けて蛙になった王子が、お姫様のキスで元に戻るって話があっただろ?
少し色々いじって、おまえで試してみたんだ。そこで”あいつ”に引き戻されてな。
そんな大ごとになってるとは思わなくて仕事漬けにされてたんだ。悪い悪い』
笑う夢魔を、後に夢で死ぬほどタコ殴りにした。だがそれは別の話。

…………

…………

時計塔の作業場は完全に汚れが消え、穏やかな昼日が窓から差し込んでいる。
ソファの上で目を開けたエースはぼんやりと作業場の天井を見上げた。
そして、視線をさまよわせるうちに、眼鏡をかけ時計修理をしているユリウスに
気づき、目を見張った。
勢い良く起き上がり、そして自分の身体を見下ろし、すでに傷が完治したことを確認する。
エースはしばらくユリウスを眺めていたが、ふいに言葉を思い出したように、
「ええと、ユリウス……?」
「……仕事で別の空間に長期間、出張していた。伝言を残さなかったのは悪かった」
用意していた言い訳を素っ気なく口にする。エースは長いこと宙を仰ぐと、
「なあ、ユリウスが助けてくれた……んだよな。
だったら、俺のそばに、子犬がいなかったか?」
「……いた。怪我をしていたから治してやったが、歩けるようになったら逃げた。
後を追ったが、見つけたときには街の子供に拾われ、連れ帰られるところだった」
これも用意していた嘘だ。
「尻尾、振ってたか?」
「…………ああ」
そう言うと騎士は信じたらしく、大きく息を吐く。
「そっか。あいつは頭が良かったもんな。その方がいい。
その方がいい。ああ、その方がいいぜ」
エースはくどいくらいにそう繰り返し、立ち上がる。
そして大量の時計を修理するユリウスに近づき、静かに抱きしめた。
「おい、いい加減にしろ」
なるべくいつもの自分を装い素っ気なく言う。だがエースは抱きしめた体勢のまま
強引にユリウスを引き上げると、地面に押し倒した。眼鏡を取る暇もない。
「おいっ!!」
だがエースはユリウスの意思を全く構うことはなく、破る気かという勢いで
ユリウスの服を性急に脱がせていく。それから思い出したように唇を重ねてきた。
「ん……んん……っ!!」
無理やり重ねられ、口内に舌がねじこまれ、呼吸もままならず、暴れた。
だがエースは半裸のユリウスを抱きしめ、力を解くことはない。



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