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■子犬になった話6

そして彼とユリウスはそのまま数時間帯歩き、
「あれ?」
外に通じる門の一つに出た。
また道に迷って、私室どころか外に出てしまったらしい。
――全く、こいつと来たら……。
「そうかそうか、俺は外に出たのか。よし、親友を探す大冒険に出発しないとな」
――いや、出発しなくていい。それに、おまえ、ここ最近休んでいないだろう。
ユリウスも不眠不休で仕事をし、たまに倒れるが、それさえ今のエースの比ではない。
眠らず、休まず、飲まず食わず。
それで兵士を負傷させるような激しい鍛錬を行うのだから、消耗も相当のはずだ。
だが、なまじ体力があるだけに多少の無理はきくらしい。
ユリウスはエースを止めようと、彼のズボンの裾をかんだ。
するとエースは優しい目でユリウスを見下ろし、
「止めるのか?俺は大事な旅に出るんだぜ。
動物に優しい騎士でも……それはいただけないな」
――?――っ!!
次の瞬間、全身に激しい痛みを感じた。
騎士が自分を蹴り飛ばしたのだと壁に叩きつけられてようやく知った。
地面にうずくまり、痛みに鳴いていると、騎士の靴音が遠ざかるのが分かった。
しかしむしろ幸運だ。今の苛立ちようでは斬り殺されてもおかしくなかった。

だいたい、エースはあまり自分に感情を向けなかった。少なくない時間帯を片時も
離れず一緒に過ごしていたし、周囲にも『エース様の飼い犬』と認識されていた。
だが実際のところ、最初と真逆に、エースはユリウスをほとんど構わず、名前を
つけようともしなかった。
途中からはユリウスが一方的に追いかけていたようなものだ。その程度の間柄だった。
――あの馬鹿……親友と思うなら私に気づけよ……。
ユリウスは立ち上がろうとして、痛みにうめいた。
子犬が騎士に全力で蹴飛ばされたのだ。
骨くらい折れたのだろう。痛みのある箇所を守ろうとし、ふいに喉に何かこみ上げた。
勢い良く吐き出すと、赤い液体が磨かれた床に散った。
――……まさか、内蔵が傷ついて……。
ユリウスは考えないようにし、よろよろと騎士の臭いを追った。

…………

長い時間をかけ、どうにかエースに追いついたとき、彼は森で倒れていた。

周囲には息のない刺客。そして、返り血ではない血にまみれた騎士。
このまま目を開けないのではないかと心配になる。
ユリウスはしばしためらい、やがておずおずと近づき、エースの頬をなめた。
するとエースは薄目を開け、ユリウスを見た。
緋色の瞳に子犬が映り、驚いたように見開かれる。
「おまえ……俺の後を追ってきたんだ」
一度舐めて抵抗がなくなったユリウスは、何度もエースの頬を舐めた。
「あはは。あんなことをしたのに。おまえって頭が良いと思ってたけど馬鹿だなあ」
――頭が良い?そう思っていたのか?
飼い犬に全く執着していないと思ったらそう見られていたとは。
こんな状況だが少し意外だ。
「だって、おまえは俺といても犬らしいこと、何もしなかっただろ。
一度も尻尾を振らないし、お手もしない、顔も舐めたりしない。
でも俺を追ってくる。何か、見張られてる気分だったぜ」
――…………。
何をしでかすか分からない奴を放置出来なかった。それだけだ。
「でも、ちょっと安心した。おまえが俺のこと心配してくれてるってわかってさ」
騎士の手がゆっくりとユリウスを撫でる。だがその力は弱い。騎士はまた笑う。
「はは。やっぱり尻尾を振らないんだ。でも俺、そういう犬が好きだぜ……」
ユリウスはもう一度エースを舐めてやろうと顔を近づけようとし――その場に崩れた。
エースに会った安堵か長距離を歩いてきたせいか、傷の痛みが一気にひどくなる。
痛みに震え、かたわらにうずくまる子犬に、エースはすまなそうに、
「ああ……ごめんな。蹴ったりして。でも動物をいじめた罰かなあ。
俺さ、おまえがいなくなったら、どうしてか一気に不調になっちゃって……。
刺客は始末出来たけど……」
エースの声が弱々しくなる。傷を見る限り応急処置をすれば何とかなりそうだ。
だがエースは動かない。放置すれば危険とわかっているだろうに、何かを待つように空を仰ぐ。

――おい、しっかりしろ、この愚か者が!

全く意味が分からない。なぜここまで荒れ、刺客に後れを取るまでになったのか。
しかしエースはまるで誰かがいるかのように空に話しかける。
「今、俺もそっちにいくから……」
――待て。おまえ、いきなり何を言い出すんだ!?
だが空を仰ぐ騎士の顔は、どこか陶然としている。
そして子犬に視線を戻すと、手を伸ばした。
「……おまえ、頭が良さそうだけどやっぱり馬鹿な奴だよなあ。蹴られたときが、
俺から逃げる唯一のチャンスだったのに。
また逃げようとしたら殺すつもりだったから。ずっと……」
――……?おまえ、何を……。
だがエースは子犬を両手で胸の上に持ち上げ、首に手をかけ、力をこめていく。
――おい、エースっ!!冗談はよせ!!

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