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■子犬になった話5

あのとき……血まみれになったユリウスの部屋を出た後。
時計塔を出たエースは、街で片端からユリウスの行方を聞いて回った。
そして当然のことながら情報を何一つ得られなかった。
そして迷っては聞き、迷っては聞き、迷っては聞き……と延々と繰り返した末に
ハートの城に戻ってきた。それ以降は時計塔を目指すこともなく城にとどまり、
軍事責任者として仕事に精を出している……はずなのだが、現実は先ほど見た通りだ。

そんなエースの後ろを、走って追いながら、ユリウスは鼻が麻痺しそうな薔薇の匂いに耐えた。
エースは城に入ると、堂々たる足取りで歩いていく。恐らく自分の部屋に向かって
いるのだろうが、相変わらず、あちこちを迷っている。そして、
「女王陛下、お久しぶりです!」
やがて自室より先に上司を見つけた。
ハートの女王は、騎士を見つけると不快を隠しもせず
眉をひそめた。
部下に声もかけずに背を向けるかと思われたが、ふとユリウスを目にし、
「相変わらずエースに懐いているのか、変わった子犬よのう」
「あはは。俺、動物に懐かれやすいんですよ」
――嘘をつけ、嘘を。
「それより陛下、陛下は本当にユリウスのことをご存じないんですよね」
「ええい!何百回その話をさせるのだ!会えば時計屋、時計屋、時計屋と!」
気味悪そうに女王が怒鳴る。正直、当のユリウスでさえ不気味に思うほど
エースはユリウスのことについて女王を疑い、会うごとに追及している。
「だから何度も何度も何度も言っておるであろうが!わらわが時計塔に行ったとき
時計屋はいなかった!わらわは時計屋を殺しておらぬし、殺す理由がなかろう」
そう言って話は終わりだとばかりにエースが呼び止めるも無視して去って行った。
――はあ……気持ちはわかるが、もう少し女王がちゃんと話してくれればな。
あのときの状況について細かく話してくれれば、いや『作業場の血は兵士のもので
時計屋のものではない』の一言だけでもいい。
それだけでユリウスが死んだ可能性が低いことがすぐに分かる。
そのあたりから、エースが最終的に『ユリウス=子犬』を導き出す可能性もゼロではない。
だが女王に限らず、この世界の人間は過ぎ去ったことに関心が薄い。
女王は、子犬がいつから、どういう状況で作業場にいたか全く覚えていないよう
だったし、そもそも顔なしの兵士を時計塔で処刑したことすら忘れているらしい。
ひどい話だが、この女帝はそれくらい頻繁に兵士を処刑しているのだ。

あのとき作業場にいた兵士はほぼ全員処刑されているらしい。
生き残りらしい者も、ここ最近のエースの荒れようもあり口を閉ざすばかり。
おかげでエースの誤解は解けることなく、むしろユリウスについて聞き回っている
せいで逆に『時計屋が死んだ』という噂が国中に飛び交うようになる。
その話が巡り巡ってエースに戻り……悪循環だった。

しかしなぜ自分がいないだけでエースがあそこまで荒れるかが理解出来ない。
――『ハートの騎士』に戻らなければいけないのが、そこまで不満か?
元々、ユリウスはエースの上司であり、男同士でありながら『そういう』関係にあった。
役割を放棄したい騎士が見つけた逃げ場と、性的欲求の処理対象。
それが失われただけで、部下に八つ当たりはする、女王にはつっかかると、荒れ放題だ。
いちおう友人を自認しているユリウスまで引いてしまう。
――そこまで己の役が嫌なら、新しい上司を見つければいいのに。面倒な男だ。
ユリウスはさまよえる騎士の後を追って走っていく。メイドたちは騎士を見ると
すぐに脇によけ、そそくさと立ち去っていく。
臭いと聴覚で分かるが、兵士たちもエースの足音を聞くと、彼の視界に入るまえに
逃げていくようだ。
本拠の城で、上司に疎まれ、部下に逃げられる軍事責任者。

――早く元に戻らないと……。
なぜかその思いだけが強くなる。だが相変わらず夢では夢魔に会えない。
「おや、エース君。まだくたばっていなかったのですか?ちっ」
廊下の向こうに、白ウサギが立っていた。
「あはは。ペーターさん。本音がダダ漏れだぜ。ひどいなあ」
ウサギ耳の男は、女王以上に不快そうにエースを見る。
「時計屋のことを聞き回って、薄汚い獣まで連れて……雑菌が移るから寄らないで
もらえますか?」
「ははは。これは非常食だよ。ひっどいなあ。ペーターさん」
『おい、白ウサギ!おまえなら動物の言葉も分かるだろう?私はユリウスだ!』
必死に吠えて訴えるが、
「ほら、こいつもペーターさんに抗議してるぜ」
「どうせ腹が減ったとか言ってるんでしょう……僕は失礼します」
『おい、白ウサギっ!!』
だが汚いものを見る目でユリウスを睨む白ウサギに、言葉が通じた気配はない。
どうも本当に、子犬がユリウスと分からないらしい。
そもそも、動物の彼らがどんな風に他の動物の言語を聞いているのか謎だ。
もしかすると違う種族だと分からないとか、そういうこともあるかもしれない。
――まあ、分かったところで、あの男が協力する可能性も低いか。
何とか気落ちする自分を納得させる。白ウサギは後ろも見ず歩いていった。
エースを見上げると、
「あはは。ペーターさんって、つれないよなあ」
エースはただ爽やかに笑っている。爽やかに。

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