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■子犬になった話1

※原案:和菓子屋様、夕夜様
※R18

ある朝、時計屋ユリウスが何か気がかりな夢から目覚めると、自分が寝床の中で
一匹の小さな子犬に変わっているのを発見した。

「…………」
気がついた、というか目が覚めた瞬間に自分が犬であると分かった。
他に説明しようがない。
理由は全く分からない。何らかの薬効でもなさそうだ。なのに犬になっている。
とにかく現状で把握出来ることはそれだけだった。

ユリウスはとりあえず、丸まっていたベッドから、はしごを伝い床に飛び下りた。
当たり前というか、二の足ではなく四本足で床につく。
視界に入るのは犬の前足。両目を寄せると犬の鼻面が見える。何度見直しても、
自分が人間の姿とはとても思えない。
ユリウスは早々に諦め、自分が今、犬の姿をしていると認めた。そして犬になった
ヒントがどこかにないかと作業場を見回した。

犬の姿で見た部屋は、やけに大きい。嗅覚が鋭敏になったせいか、機械油や珈琲の
匂いを鮮やかに感じる。もしやと思い床に鼻を近づけると、嗅覚も犬のそれだ。
自分の匂いや来客の靴の匂いまでもが、明瞭に判別出来た。
――この鼻なら、わずかな違いも嗅ぎ分けて最高の珈琲が淹れられそうだな。
だがもちろん、犬の姿では珈琲を淹れられない。
ユリウスは首をかしげる。嗅覚まで備えているし、やはり自分は完璧な犬だ。
しかし、なぜ、どうして自分は犬になったのだろう。
ユリウスは寝起きから覚めつつある頭で、説明をつけようとした。
ほどなく出た結論は、
――犬になったのではなく、私は元から犬だったのか?
それが一番正解に近い気がする。
この世界、猫だのウサギだのネズミだのが、ごく普通に服を着て、通りを闊歩している。
だとすると時計屋が実は犬だったとしても、おかしくはない。
獣耳もなければ、尻尾もない。犬らしいことをした覚えも無い。
だが『時計屋ユリウスが最初から犬だった』という事情でなければ、今の状況が
説明出来ない。
――そうか。ずっと気がつかなかったが、私は犬だったんだな。
ユリウスは納得し、ワンと鳴いた。
そして説明がついたことで安心し、好奇心いっぱいに部屋のあちこちを散策する。
やがて床を嗅ぎ回っているうちに、落ちていた鏡を見つけた。
鏡の中には、どこかの補佐官なら目の色を変えそうな愛らしい子犬がいた。
――元が長身だからといって、大型犬になるわけではないんだな。
どうせなら威風堂々たる猟犬か、有能そうな牧羊犬が良かった。少し残念に思い、
子犬の前足で鏡を少し引っかく。

だんだん犬の姿にも飽きてきたし、仕事も気になってきた。
――さて、そろそろ人間に戻るか。

ユリウスは元に戻ろうとし…………戻れなかった。

――そういえば、獣の姿から人間にはどうやって戻るんだ?
白ウサギの変身を見たことがあるが、奴は何も考えず自在にやっているようだった。
ユリウスは何かの拍子で元に戻らないかと、部屋をぐるぐるした。
だが唸っても転がっても、いつまでたっても人型に戻れない。
――どうする?どうする?
焦りが胸の時計を蝕んでくる。そのとき音を立てて部屋の扉が開いた。
「時計屋!この苛々を――おや?留守か?」
華美な衣装に身を包んだハートの女王が部屋に入ってきた。
ユリウスは、またかと内心うんざりする。
――だから、おまえの時計は壊れていないと何度言ったら分かるんだ。
だが女王に心の声が聞こえるわけもない。女王は供の部下たちを苛立たしげに見、
「ええい、苛々する。そこのおまえ、処刑じゃ!!」
――おい、私の部屋で勝手に血を流すなっ!
思わずワン、と吠えた。すると女王の動きが止まり、床にいたユリウスに目を留めた。
――あ……。
まずい、と思う間もなく女王の頬がみるみる染まる。
「おお……何と愛らしい」
そして先ほどとはうってかわって、床にしゃがみ、慈愛に満ちた目で手招きする。
「おいで、わらわが飼ってあげよう。こんな陰気くさい場所より幸せになれるぞ」
――結構だ。私は時計塔にいる。
じりじりと後じさると、女王にも意図は伝わったらしい。
機嫌の変わりやすい女王は、眉をひそめると、
「わらわの言うことを聞かぬとは生意気な犬ころじゃ。
誰か、この獣を斬っておしまい!」
たちまち室内に兵士が乱入し、神聖な作業場は大騒ぎになった。

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