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■白と黒の時間2

ここはどこなのだろう。
内装を見るに、どうも自分を連れてきた道化の部屋らしい。
だが暗くて寒くて、いるだけで陰鬱になる場所だ。
「さあついた。とりあえず座っててくれよ、ユリウス」
「おい、突っ立ってんじゃねえよ、時計屋」
連れてきたのは一人のはずなのに、なぜか部屋にはもう一人制服の男がいた。
道化と同じ顔のその男に、乱暴にこづかれ、手近にあった椅子に座らされる。
どうも『ユリウス』とは自分の名前らしい。
実際にそんな風に呼ばれていた記憶があり、ふいに何かを思い出しそうになった。
だがユリウスの頭はそれ以上はたらいてくれない。
何も思い出せず、全ては霧のもやの向こう側にあった。
「それで、連れてきたはいいが、どうするんだ?」
監獄の制服を着た怖そうな男が言った。ユリウスに……ではなく、ユリウスを
連れてきた道化姿の男に。不思議なことに二人とも顔がそっくり同じだった。
「まさか、俺たちで、記憶喪失を治す手助けをするとか言い出すつもりじゃ……」
怖そうな男が言うと、道化の方の男は笑った。
「そんなことするワケないだろう!せっかく面白いことになってるのに」
「だな」
二人は何かを含む笑顔でうなずきあい、ユリウスを見た。
同じ顔の二人の男に見られ、ビクッと身をすくませる。
すると怖そうな制服の男が靴音を立てて近づいてくる。
何をされるのだろう、と思った瞬間に、視界に火花が散った。
「――っ!」
痛みに頭を押さえていると、道化が苦笑していた。
「おいおい、ジョーカー。いじめちゃダメだろ」
「だって、こいつ、殴ってくれって顔をしてるんだぜ。こいつが悪い」
なぜそうなるのだろう。だが反論すればもっと殴られそうな気がして、ユリウスは
殴られた箇所を押さえ、黙っていた。すると、
「おい、時計屋、何か思い出したか?」
制服の男が顔をのぞきこんで聞いてきた。
殴られたところが痛いだけでだが何も思い出せない。
ユリウスが顔を上げ、無言で首を横に振ると、制服の男はホッとしたような、
残念そうな、複雑な表情をした。
「こういうときは一発殴られりゃ記憶が戻るってのが定番なんだけどな」
「ユリウスだから、そんな正攻法じゃ治らないだろ?それにすぐ治っちゃつまらない」
「まあ、このままでも、そのうち『あいつ』が怒鳴り込んでくるだろうがな……」
あいつ?誰のことだろう。だが自分を省みてくれる存在が一人はいるらしい。
心に小さな灯りがともったとき、ふいに道化が歩いてきて、ユリウスを抱き上げた。

不安定な体勢で居心地が悪い。間近で見る瞳の紅は、どこか不安にさせる色だった。
「さて。それじゃあ君の記憶が戻るまで、なるべく楽しまなきゃね」
「?……っ!!」
突然、道化が唇を重ねてきた。
男が男に、それも大人が子供に、ということにユリウスの思考が止まる。
混乱でわずかに開いた唇の隙間から、何かぬめるものが入り込んだ。
それが相手の舌と気づいたとき、ユリウスの頭は完全に真っ白になった。
「ん……っ!」
生温かい感触は、動きを止めたユリウスの口内をうごめく。
やっと離れてくれたとき、互いの唾液が糸を引き、ユリウスは慌てて口をぬぐった。
道化はユリウスを抱いて笑いながら、
「そんな嫌そうにしないでくれよ、ユリウス。あのままあそこにいたら、誰かに
拷問されるか殺されるか、でなきゃ森で飢え死にしてたかもしれないんだぜ?」
「恩知らずだよなあ。おい、俺にも貸せよ、ジョーカー」
「はいはい」
ジョーカーと呼ばれた男は、物のようにユリウスを制服の男に手渡す。
さっき自分を殴った男に抱き上げられ、身を固くしていると、その男も唇を重ねてきた。
「……っ!!」
多少冷静になってきたこともあり、必死で逃れようとするが、制服の男の力は強い。
むしろ強引に頭を抱き寄せられ、さっきの男よりしつこく口の中を荒らされる。
舌に絡みつかれ、舐め回され、嫌悪で吐き気がする。
だが逃れようとしても頭が全く動かせず、好きにされるしかなかった。

「はあ……はあ……」
道化の男よりはるかに長い間、蹂躙され、ようやく床に下ろされた。
隣で道化の男が笑って、
「はは。熱いね、ジョーカー」
「うるせえよ!ジョーカー」
「?」
ユリウスは口もとを拭きながら怪訝な顔をした。
同じ顔の二人の男は両方ともジョーカーと言うらしい。
双子にしても同じ名前というのは聞いたことがない。
だが口に出して問うてまで、この二人と会話したくはなかった。
すると制服のジョーカーがユリウスを見下ろして舌打ちし、
「けっ。ガキになっても人を見下した面しやがってよ。蹴られたいか?」
本当にユリウスに暴力をふるいそうな気配に、思わず後じさる。だが横から道化が、
「ジョーカー。お楽しみを続けたいけど、もう寝ていいかな。公演で疲れてるんだぜ?」
「……ちっ。俺もだな。仕方ねえ、続きは起きてからだ」
口惜しそうに制服のジョーカーが言う。蹴られずに安堵したユリウスだが、
「それじゃあ、どうする?ベッド、大きいし、三人で並んで寝ようか」
「冗談じゃねえっ!おい、時計屋。おまえはソファで寝ろよ」
隅のソファに追いやられ、ユリウスがそこに上がると、制服のジョーカーがバサッと
暖かい毛布をかけた。
仕方なく、それにくるまると、外の世界から遮断された安全な空間が広がった。
ジョーカーの靴音が遠ざかるのが聞こえ、ユリウスはやっと安堵の息をつき、目を閉じる。
外では、二人のジョーカーが会話している声が聞こえた。
『……処刑…は……』『彼は何も……』『どうせ迷い……』『そのうちここに……』
途切れ途切れに言葉が聞こえる。『処刑』という物騒な言葉に驚いたが、流れから
して、自分のことではないらしい。
それに、なぜだろう。『処刑』という言葉は、とても大事な言葉だった気がする。

――頭が、痛い……。

早く思い出して家に帰りたい。ユリウスは頭の隅々まで記憶を探り、何か思いだそう
としたが、何も思い出せない。たまに時計と、何か黒い影が脳裏をチラつく程度で、
後は何も戻らない。そうしているうちにユリウスはうとうとしてきた。


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