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■時計屋の優柔不断・上

そしてトカゲが去り、少しの時間帯が経った。
作業台で時計を修理していると、扉がバタンと開く。
「ユリウス!時計を持ってきたぜ!」
……エースの態度も、悲しいほどに予想通りだった。

修理の集中を乱され、ユリウスは眉をひそめる。
エースはまた、あの妙なローブと仮面を装い、血まみれの袋を持っていた。
ユリウスは袋を受け取ると冷淡に、
「ハートの城に戻れ。おまえの助力は必要ない」
「そんなこと言うなって!俺がここに来るまで、どれだけ遭難したと思ってるんだ」
まるで遭難したのがユリウスのせい、と恩を着せる言い方だ。
「遭難したという割に、どこも濡れていないではないか」
この間、トカゲとの気色悪い戯れでは、少しの雪でずぶ濡れになったものだ。
しかしエースはローブを脱ぎながら胸を張る。
「いいや、俺は遭難した!クローバーの塔の中で!!」
「…………」
危うく、手元のドライバーを取り落とすところだった。
そういえば、階段しかない時計塔でも迷っていた奴だと、思い出す。
「いやあ、大冒険だったぜ!廊下で焚き火をしていたら塔の顔なしに怒られるし、
深く反省して、そこらへんの客室で寝ていたらトカゲさんが入ってきて、『何で、
時計屋ではなくおまえが俺の部屋にいる!』って怒り出しちゃってさあ」
……トカゲの怒り方が、少し引っかかるが。
「で、トカゲさんがそういうことを言うから、お互いユリウスのことで言い合いに
なっちゃって。俺も短気だよなあ。騎士として恥ずかしいぜ」
「私も恥ずかしい……」
見ていないとはいえ、自分のいないところで、勝手に奪い合われると……。
するとローブと仮面を丸めて、そこらに乱雑に放りながら、エースが、
「ユリウスもひどいぜ。俺にさんざん色目使っておいて、自分はトカゲさんと寝るわ、
俺が一生懸命、働いてる間にデートに行くわ……」
「男に色目など使うか!」
作業台を拳でダンッと叩く……手が痛い。しかし馬鹿は聞いていない。
「トカゲさんに聞いたぜ。雪景色の中で、二人で楽しく鍛錬したんだろ?
二人で雪だるまを作ったんだって?で、湖の白鳥を見に行って、二人でエサをやって
それで湖岸に座って、いつまでも冬の催しについて具体的なことを検討して……」
「いや、それはほとんど奴の妄想だ」
逢瀬のとき、疲れは微塵も見せてなかった。だが、己の願望を記憶にすり替えるほど
ストレスに蝕まれていたらしい。
「え?そうなの?トカゲさん、すっごく真顔で言うから信じちゃったぜ」
途端にパッと笑顔になるエース。
「じゃあ、全部嘘なんだ。二人で温泉に入ったこととかも?」
「いや、それは事実だが」
言った瞬間に『マズイ!』という自覚はあった。

「へえ……」

「――っ!!」
奴が一瞬でどう動いたのか、作業台に座り、しかもエースより大柄な自分が、どう
動かされたのか。全く把握出来ない。
だが背に強い衝撃を感じたかと思うと、次の瞬間、床に引き倒されていた。
「……ぐ……っ!」
そして喉に強烈な圧迫感。エースが手袋をした手で、こちらの喉を絞めていた。
かろうじて呼吸が出来る程度の余裕だけ残し。
「この、馬鹿が……っ!」
エースの手をつかむが、ビクともしない。
「ユリウス〜。前から思ってたけど、優柔不断すぎるぜ。
嫌って言う割にトカゲさんとのデートを拒否出来ないし、温泉まで入っちゃうんだ」
「そ、それは……」
真っ正面から言われると、まさにその通りだ。
何度エースやトカゲを拒もうとしても、自分に拒絶を貫く意志がないからこそ……。
「あ、また落ち込んだ。ユリウスって怒るより落ち込む方が好きだよな。
まあ、ユリウスにはその方が楽なんだろうけどさ」
「……髪を、撫でるな!落ち込むのが、好きなわけ、では……」
「じゃあ何で浮気するんだよ。俺は、恋人の浮気を許す寛容な男じゃないんだぜ?」
「おまえ……っ!」
声はふざけている。だが、喉にかけられた手は徐々に強くなる。
肺が酸素を求め、悲鳴を上げだしていた。
ユリウスはエースの手を離そうと、非力にもがく。
だが騎士の握力は強い。手袋をした手に爪を立てたところで、抵抗にもならない。
「……その、奴はクローバーの塔の要職で、私は色々世話になっているから……」
「まさか脅されて関係を持たされてます、なんて苦しいこと、言わないよな?
トカゲさんより格上なんだぜ?ユリウスは」
「…………」
まさに正論だ。喉を圧迫されていることもあり、それ以上の言い訳が思いつかない。
そして、引きずられる己への嫌悪が徐々に強くなる。
暗くなるユリウスを見やり、
「はあ……本当にうじうじしてて、うっとうしいなあ。ユリウスは。
まあ、そこが好きなんだけどさ。
でも浮気癖だけはどうにかしてほしいよ。俺って不幸な騎士だぜ」
エースはとんでもないことを言って、嘆いている。

「ユリウス。好きだぜ」

首をさらに締め上げ、こちらが苦しむ様子を観察しながら、エースが笑う。
このまま、手を緩めるつもりはないのだろう。
恋人でもない男に浮気を糾弾され、笑われ、ユリウスも唇を噛む。
そして酸欠と、時計が止まる恐怖とにあえぎながら、何とか言った。

「私は、おまえになど、興味はない……エース」

「……っ!」

なぜかエースが目を見ひらき、首を締め上げる力が一気に弱まった。
「……?」
ワケが分からず、無言で見上げると、
「……いや、別に」
中身の読めない声で騎士が笑う。そしてやっとユリウスの喉から手を離した。
途端にユリウスは激しく咳き込む。
「それじゃあさ、疲れた部下をいたわってくれるよな?」
「おまえを、部下にした覚えなど、ない……!」
苦しさに涙をにじませ、睨みつけると、
「俺にもさ、トカゲさん相手くらいに優柔不断になってくれるといいのに」
エースはそう言って、ユリウスのボタンを外し始めた。

…………

そしてエースは血をなめて爽やかに笑い、立ち上がる。
そして床に放った仮面とローブを身に着ける。
ユリウスは体液にまみれた姿で床に伏し、顔を上げることも出来ない。
「じゃ、仕事に行ってくるぜ」
エースがかたわらにしゃがむ気配がする。
「ぐ……っ」
髪を引っ張って顔を上げさせられた、うめいていると、貪るようなキスをされる。
舌を絡められ、呼吸が困難になるほど求められ、苦痛にまた涙がにじみ出る。
そしてエースは顔を離すと、
「今度またトカゲさんと浮気したら……殺すよ?」
冷酷そのものな顔で、『自称』部下は去って行った。

残されたユリウスはどうすることも出来ず、ただ床に倒れている。

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